10. VSデスパレートアマルガム-(1)
※諸事情で臨時更新としております。
「ウウゥォオオオオオッ!」
それでもまだ、ウマタウロスは吠え散らかし開いた顎からは、またも黒い光が集まって――上下の顎が、さらに左右に割れた。
丁度、額に並んだチンターマニを真っ二つにするように。
「オ――ゴッ」
黒い光が揺らぎ、左右の裂け目は頭から胸にまで及ぶ。
息を飲む音が聞こえた。
陽子が歌う声も曲も止まり、シンと静まり返っていた。
胸の中では忙しなく鼓動が打ち鳴らされる。
――。
――。
終わってくれ。
その願いを聞き入れたかのように、巨体の裂け目から黒い液体がこぼれた。
胸をなでおろした。
安堵に息をついた。
――早計だった。
ゴボゴボと、内側から激しく湧きあがる黒い液体が……蠢いていた。
怪獣としての形すら失いながらも、粘り気のある水音を立てながら形をとろうとしては潰れてを繰り返す。
「馬でもヒーローでも怪仏でも怪獣でもねぇ、次から次へと何なんだ……つか、なんだアレ……!」
どこか哀れで、あきらかに脅威。
あれだけ口汚い言葉を知っていた華武吹町住人ですら、その異様さを形容することができない。
その姿を、俺たちは祈りながら見上げていた。
その蠢きが静まり、溶けて、消えることを。
されど、忌々しげに声が降りかかる。
無料案内所のネオン看板の上、優月を捕えながら文字通り高見の見物をしていたアーリヤだ。
「欲望と絶望の混合物、人間らしく言えば……ヤケクソのクソになってしまったようですね」
答えるように巨大怪獣が溶けた汚濁のスライムはぽっかり口をあける。
トンネルに風が吹き抜けたような音の中に、俺は「まんだら、いけにえ」という言葉を聞いた気がした。
だがそれは、気のせいではなかった。
次の瞬間、臓器を思わせる触手が、無料案内所の看板へと伸びる。
汚濁を飛び散らしながらまっすぐに。
「――ッ」
悪寒に息を詰まらせながら先端を目で追うと、意外な光景が広がっていた。
たしかに優月を狙っていた触手だったが、割って入った黄金錫杖とその腕に絡みついていたのだ。
「廃棄物めが、余計なことを……!」
力が拮抗し、錫杖が震え、しゃらしゃらと環が鳴る。
アーリヤの表情にまさかの焦燥が刻まれた。
「食われるものか……貴様などに……ッ!」
さらに、もう一本触手が伸びる。
今度はアーリヤの足首を掴んであっという間にぐるぐると足を巻き込み、腰を巻き込み、肩を巻き込み……。
とうとう看板の上から引きずり下ろし、逆さ釣りにしてゆらゆらと弄んだ。
俺たちに、惨い様を見せつけるかのように。
「ぐ……ぎ、ぎががががッがが――」
黒い粘液が、アーリヤの左目の穴へと次々に入り込んだかと思うと、鼻、口、眼球の下から這い出てくる。
整った顔にはベタベタとアメーバが張り付き、銀髪も汚濁が染みわたっていた。
「この私が、汚らわしい、壊れた、ヒトの意思などに……ッ飲み込まれて、たまるかああああぁぁぁッ!」
強制共生救済などと謳ってきたアーリヤの台詞にしては、あまりにも皮肉、あまりにも自業自得、あまりにも因果応報。
しかし凌辱され、冒涜された姿に、それを叩きつけられる豪胆は俺には無かった。
むしろ、助けをはねのけ続けた俺の姿と重なった。
「アーリヤ!」
だから、思わず手を伸ばした。
手を伸ばして届く距離でない。
そもそも手を伸ばすべき相手ではなかったのかもしれない。
だとしても、俺は見ていられなかった。
だがアーリヤは、汚濁が這いまわる眼球で俺を睨みつける。
その目が訴えていたのは……いつも通りの決裂だった。
そうだ。
こいつにはそもそも、俺みたいに「しんどい」とか「助けてほしい」とか、弱くて汚い感情がわからない。
ただ道具のように決められた救済を実行するのみ。
俺を敵とみなして拒絶するのみ。
誰かに頼ろう、助けを求めようなんて選択肢はないのだ。
俺はただ、その壮絶なさまを見ていることしか出来なかった。
アーリヤは額に筋を浮かべて歯を食いしばる。
その白い歯の隙間からも粘液質な音を立てながら汚濁が溢れ出ていた。
「おご――ガッ、はぁ」
とうとう、咳き込むように吐き散らした黒い粘液がアーリヤの頭部まですっぽりと包み込む。
くちゃ、くちゃ。
もぐ、もぐ。
咀嚼するように奇怪に、たっぷりと身悶え、やがて吐き捨てるように小さな塊を落とした。
思わず回避する。
「……な、これ……」
落ちてきたのは、粘液まみれのドブネズミの死体だった。
腹はペタンコで、がりがりに痩せていて、放っておいても長くないことが見て取れる、そんな身体だ。
もしかして、これがアーリヤの宿主だったのか……?
――いいや、いま考えるのはやめておこう。
「優月!」
俺は無料案内所の看板上に呼び掛けた。
すでに汚濁スライムが目の前に迫りっている。
十メートルほどの高さがあるが、今すぐにでもこの場から逃げ出さなくてはならない。
「受け止める、飛び降りろ!」
優月は唇を噛みしめ、そして……なぜか首を横に振った。
そして、唐突に叫ぶ。
「――ベルト!」
「……え?」
「ベルトはあそこにある!」
見ればたしかに、蠢く汚濁の中によく知った形が見え隠れしていた。
ヤケクソの汚濁とは、また別の禍々しい黒。
確固たる意志を示す冴えた黒が。
ぐったりと。
息絶え絶えの様相で、それでもサーキュレーターが回転し続けていた。
いや、しかし。
手立てが――!
「優月、いいから早く! アーリヤがどうなったか見たろ!」
「ベルトを――愛染明王を助けないと!」
「は、はあ……!?」
「助けてくれるなら、誰でも良かったのかもしれない。でも禅は私とベルトを助けてくれて、いま私が救いたいのは禅で、それができるのは愛染明王だけだから!」
――優月だって、助けてくれたのなら誰だってよかったんだろ……! 俺じゃなくても……!
望粋荘から逃げ出したときに、俺はそう言った。
優月の宣言は、その心ない言葉のアンサーだ。
アンサーには続きがあった。
「五十年前の私は一人で背負ってヒーローになろうとした。禅の言う通りそれはただの生贄だった。でも、いまの私は違う」
「……優月」
「私はわがままだ、両方欲しがっている。みんなであいつをブッ倒すし、私はおまえのところに帰る! それから、わがまま券を反故にしてくれたおまえをブッ倒す!」
「んっ?」
さらに優月は、鬼気迫る形相で己に聞かせるように唱えた。
「私は不都合を押し付けられるだけの生贄などにはならない! 甘えて、頼られて、ここで一緒に生きる! 私の意思はあんなヤケクソのクソに飲み込まれなどしない!」
そして。
「お、おい!」
止める間もなく無料案内所の看板を「所」から「無」まで走り――ジャンプ。
「だから、だから力を貸して! 私と繋がって!」
自ら、その汚濁の中へと突っ込んでいった。
高々と伸ばした白い手が見事ベルトを掴み、ベルトのほうもまるで助けを待っていたかのように腕にしがみつく。
しかし、優月の下半身はどっぷりと黒い粘液の中に沈み、徐々に飲み込まれていた。
ベルトを投げようと振上げた右手も絡めとられ――。
「優月ッ!」
ならば今度は俺があの中に突っ込むか?
いいや、ミイラ盗りがミイラになっては……!
誰か、助けてくれ。
誰か、誰か!
助けて――。
「――な」
祈りは意外なほどに、あっさりと聞き入れられた。
とはいえその救いの手は、意外なところ――救われるべきものから延びてきてたのだけれども。
文字通りに、延びてきた。
優月の腕から、俺の腰まで一直線に。
そして、念話のように言葉が流れ込んでくる。
『今こそ――我とTogetherせよ!』
確固たる意志の、冴えわたる黒。
ヒーローのベルト。
愛染明王丹田帯。
すべてのはじまり。
『その身をもって欲と弱きを知り、煩悩を《LOVE》に昇華せし者よ!』





