08. VS馬頭明王ハヤグリーヴァ-(2)
「ヒーローの皆様。大変、お待たせいたしました」
留蔵は誰にともなく恭しく頭を下げ、視線を導くように右手を高く掲げる。
その先。
双樹ビル、黄金の天蓋の上で馬頭明王ハヤグリーヴァが空を仰いでいた。
歪んだ天蓋から降りられぬままの優月の首輪を再び握りしめ、咆哮する。
それは、勝利を確信した哄笑だった。
「ふはははははッ! この摩天楼を見よ、我が力の象徴! 我が権力の証! 信仰せよ、意思を捨てよ! おまえたちの命を私が存分に利用してやろう!」
だが俺たちの耳も視線も、ハヤグリーヴァには向いていなかった。
皮肉にもハヤグリーヴァの言葉通り、その摩天楼に見入っていた。
双樹ビル――の、巨大モニターを。
モニターは白いオフィスと、そこにたたずむグラマラスな美女を映し出していた。
肉体美を強調するドレスとは打って変わって、知的な輝きを灯すコバルトブルーの瞳で沙羅は笑う。
その手に支えられたノートパソコンの画面には、ズドンと右肩に下がったグラフが表示されていた。
俺にはなんのことかわからなかったが、グラフはリアルタイムで更新されているようで、先端が深度を増していく。
どんどんと、勢いを増しながら下がっていく。
『ついさっき、双樹正宗会長様々の真っ黒な功績をネット上にアップさせてもらったわ。データが大容量すぎて時間かかっちゃった。んで、これが双樹コーポレーションの株価。悪いんだけど、現場のエージェントの皆さんにはお給料でないし、警察との鬼ごっこ頑張ってね~』
よく知った声が聞こえてか、ハヤグリーヴァが巨大モニターを振り仰ぐ。
もはや、沙羅のパソコンには縦長の棒が表示されているだけだったが、すぐさま理解したようで、ハヤグリーヴァは空気を震わせる唸り声をあげた。
「沙羅……! なにをしている! 貴様、金と地位が目当てではなかったのか……!?」
『そだよ~? でも沙羅は強欲なの。自分の、自分だけの会社が欲しいし、もう株式総会のおじい様たちとも話進んでるから、こんな手垢だらけで爆弾抱えた遺物いらないんだよね~』
「なん、だとぉ……誰がお前を社長の椅子に座らせてやったと――!」
『そんで沙羅もゆづきちみたいに、生贄にするつもりだったんでしょ? これまで曼荼羅条約がやってきた悪事押し付けてさ。華武吹町を怪仏どもに売って、その怪仏も騙そうとして、今度は怪仏の力目当てに寝返って……大伯父様ってホンットわかりやすいんだから。でももうオシマイ、沙羅はそういうの飽きた』
それからぼそりと『盛者必衰のことわりをあらわす……ってね』と。
ひゅー……と。
ハヤグリーヴァの口から空気が漏れた。
ぎょろぎょろと瞳が揺れ動き、肩が揺れていた。
次第に、黒い炎は勢いをしぼませる。
大通りでの小競り合っていた黒服たちは次々に背中を見せ去っていき、あっという間に形勢逆転。
カナエの作戦通り、即身明王ハヤグリーヴァは力の源を根こそぎ奪われたのだ。
戦況は見るに明らか。
こうして勝負はついた――はずだった。
「……くくく、ふふ……ひ、ひゃはははははっ!」
ハヤグリーヴァは、どういうことか笑っていた。
「感謝するぞ、沙羅ぁ! 双樹コーポレーションにはしばしば心残りがあったが……これでもう、しがらみは――私を縛るものは何も無いッ!」
そして優月の首から垂れさがる鎖を掴みあげた。
「優月ッ!」
ハヤグリーヴァはにんまりと歯を見せつけるように不気味に、残虐に微笑み、俺を見下ろす。
「そうか。貴様らは平伏すがいい、我を信仰せよ。この女の肉をもって、おまえたちの神となってやろう」
釣り糸にかかった魚のように高々と掲げられた優月。
俺は光景に耐えられず、叫んでいた。
「おまえらは! そうやって自分の弱さや汚さを解ろうともしないで、誰かの弱みに付け込んで、弱いヤツに不都合、全部押し付けて……! 腐った根性は五十年前から変わってねぇなッ!」
「くく、ははは……この街で最も弱く、忘れられ、無意味な女が、すべての罪を背負い命をもって人々を救う。素晴らしいではないか。ヒーローではないか!」
「一人で背負い込むのも、一人が背負わされるのも、ヒーローじゃねぇ! そんなの、生贄だ!」
「そう吠えるな、敗北者。これ以上、反目の意思を示せばこの女がより苦しむことになるぞ」
「……ッ」
「口を――いいや、思考を閉ざせ。おまえら畜生に、意思を持つ権利など無い」
そして見せつけるように、ハヤグリーヴァの長い舌が優月の白い腹から胸、首にかけて這いまわった。
俺は歯を食いしばり、丁寧に呼吸することで憎しみの刃を研ぐことしかできなかった。
優月は嫌悪と怯えに染まった表情で暴れるも、鎖が揺れるだけ。
ハヤグリーヴァは優月の抵抗すら、獲物の活きを確かめるように笑っている。
「さあ、見るがいい。華武吹町が誰のものかを」
再び、ハヤグリーヴァの舌が優月の喉元を滑る。
同時に、太い足と足の間に器官がもりもりと突き出て、大鎌のような残虐な形状を成した。
「贄の巫女……! 我がいきり勃ったモノで、その柔い肉を引き裂いてくれよう! 華武吹曼荼羅ごと!」
「ッこのぉ……!」
俺が怒り任せの特攻の覚悟した、まさにその時。
その音はやはり空気の読めないタイミングで打ち響いた。
しゃらん、と。
上空から降ってきた銀色が鎖を断ち切る。
それは崩れ落ちた優月の体を抱き支えると、牽制に黄金錫杖をひるがえした。
「こればかりは、寛容な私としても看過いたしかねます」
相変わらずさも当たり前に、事務的に、図々しく自分をもちあげつつ、聖観音アーリヤは言った。
つまり、この状況は……?
アーリヤが、優月を助けた……?
目の前で起きた事象に、俺とジャスティス・ウイングは顔を合わせる。
向こうはバイザーの奥だったが、なんとなしにお互い良い予感がしていないことだけは通じ合った。
アーリヤの主張はこうだ。
「華武吹曼荼羅を破損されては困ります」
それを受けて双樹正宗――即身馬頭明王ハヤグリーヴァはブルルルルッと馬の唸り声をあげ威嚇する。
優月に迫った危機はひとまず回避された。
だが、アーリヤは人間側についたわけではない。
ともすると、あの流れだ。
手も足もでないまま事を見守ると……案の定だった。
「ここに良いものがあります」
やっぱりか。
三度目だ。
アーリヤの手の中に光っていたのは三つのチンターマニだった。
十一面観音エーカダシャムカ。
千手観音サハスラブジャ。
割れているのは准胝観音チュンディーのものだ。
「おい……このままでは怪仏が増えるぞ……」
ジャスティス・ウイングが苦く呟く。
俺だって同じことを考えていた。
そうなってしまえば、ハヤグリーヴァが弱体化したとはいえ、多勢に無勢は分が悪い。
しかし、優月を抱えられた俺たちは動けぬまま、その光景を見ることしかできなかった。
「配下を差し出せば、すぐにでも力を授け――あぁー」
突然、自称高尚で神経が図太いアーリヤにしては、間抜けな声をあげた。
それもそのはず。
ハヤグリーヴァは、彼の手のひらの上に転がっていたチンターマニ三つを奪い取り、そしてべろりと舌に巻き取って服内に納めたのだ。
さらにハヤグリーヴァはアーリヤの胸倉を掴むなり「誰が私以外に、力を与えるものか」と強欲極まるセリフを吐きつける。
「さあ、聖観音。黄金の鐘を鳴らせ。私に仏の力を与えよ」
「あーっと……今なら、まだ間に合いますが?」
「さっさとやれ!」
一瞬、アーリヤは顔をしかめたが、隠すように薄い微笑みをたたえ「よいでしょう。興味があります」と懐から黄金の鐘――チンターマニエフェクトを取り出すとし、ちりん……ちりん……と一音一音確かめるように鳴らす。
再び俺とジャスティス・ウイングは顔を見合わせた。
一つの体に、ベルトとチンターマニが複数……しかも、そのうち一つは割れて壊れている。
「ジャスくん……アレどうなるんだ……? 分裂でもすんのか?」
「知るか。超巨大観音ロボにでもなるんじゃないのか」
「たまにオタクっぽいこと言い出すよね、ジャスくん」
いつの間にか黒い布をまとった姿で背後に立っていたアキラが「あのアーリヤでさえ"興味がある"などと言っているんだ、誰にもわからん……だが……」と、含みアリアリで言葉を切り上げた。
――ロクなことにならない。
少なくとも、その予想だけは俺たち三人で一致していた。
「うぅううごごごごごごごゴゴゴゴゴぉぉお……」
俺たちが今まで見てきた通り、泡立つようにハヤグリーヴァの身体が変形していく。
メリメリと音を立てながら肉は膨れ上がり、天蓋が支えきれず軋み上げながら押しつぶれていく。
アーリヤさえも優月を抱えて無料案内所のネオン看板の上に退避し、肥大化する肉をただ見つめていた。
やがて双樹正宗、即身馬頭明王ハヤグリーヴァだったモノが捕食者の目で笑う。
「うっそだろ……」
太陽光を遮るほどの巨影を、俺は――いや、その場の誰もが仰ぎ見ていた。
首からさげた十一の髑髏。
背負った千手。
青い肌に、下半身は六本足の獅子。
そして怒髪天をなびかせる馬の頭。
怪仏四点盛り……なんて冗談めかして言うほかない、馬鹿馬鹿しい威容が目の前に聳え立っていた。
これこそ、まさしく……。
「怪獣ウマタウロスじゃん……!」





