07. VS馬頭明王ハヤグリーヴァ-(1)
「華武吹曼荼羅、そして愛染明王丹田帯は奪われたのではない。よりふさわしい者の手に渡ったのだ」
優月。
ベルト。
双樹正宗の手の中には、俺から奪われたものがあった。
救いのない灰色の日常から、俺を救ってくれたものがあった。
そして今まさに、欲しくてたまらないものがそこにあった。
「はあああ? ふざけんなよ、ジジイ……それは俺が長いこと食い損ねてる据え膳なんだよ……ッ!」
低く獣じみた唸りが、俺の唇から漏れ出す。
「もう少しマシな言い方はないのか、鳴滝」
「無ぇッ!」
この感情。
自分が一番わかっている。
腹の中で、それがようやく燃え上がった。
その上、たったいま油が注がれてバチバチと火柱を上げている。
「そいつはもう、俺の……俺だけのモンだ。てめぇにも華武吹町にもやるわけにいかねえ……」
対照的に淡々と冷えたアキラの声が、どこからともなく降ってきた。
ふと見上げると中空にあぐらを構えた黒衣の魔王が、両手を双眼鏡がわりに添えて双樹ビルを見据えている。
「ベルトにはチンターマニが一つだな。適合者でもないのに――なるほど、如意輪観音の制御能力で装備するつもりらしい。ヤツは変身する。老いぼれだと言うのに、ここまでヤる気満々とは、あっぱれだ!」
忠告をそのままトレースするように、双樹正宗はベルトを腰にあてた。
ロマンスグレーの長髪がそろりとなびき、ベルトから黄金の帯が伸びる。
優月は異様な力の放出を目の当たりにして、鎖が許す限り後ずさった。
「思考停止して騙され続けていればよかったと、後悔させてやろう!」
ベルトから伸びた帯は、とうとう双樹正宗の頭まで包む。
サーキュレーターの回転とともに稲妻が逆巻き、光と影のコントラストの中で次第にその肉体はコーティングされていた。
そして、変異途中にもかかわらず、優月の身を脇に抱えて中空に身を投げ出す。
黒炎の尾を引きながら正面入り口を飾る黄金の天蓋へ落下、天蓋がV字にひしゃげる。
同時に轟音が響き、コンクリートやら大理石の破片が垂直に巻き上がった。
「――見よ」
もうもうと煙る礫と土埃のカーテンが左右に開いたそこにいたのは、双樹正宗などではない。
ましてや俺が良く知っているヒーローでもなく――異形のヒーローだった。
禍々しく燃える黒いヒーロースーツは俺もよく知っているカラーだ。
ただ一点だけ。
決定的に違う。
肩の上に鎮座する、怒髪天の……馬の頭が。
「ハヤグリーヴァ……!?」
屈強な上半身とアンバランスに細いウエスト。
デフォルメのアメコミヒーローじみた体系は、俺が変身した姿よりも荒々しい暴力性を訴えている。
以前に俺が見たハヤグリーヴァの頭部は少なくとも草食動物に見えた。
だが目の前にいるそいつの縦長の瞳孔とむき出しになった牙は、肉食動物――捕食者の顔だ。
怪仏でベルト所持者とは、贅沢で悪趣味で節操なしでえげつない、まさに華武吹町の支配者に相応しい姿だった。
「我こそが、人と仏の力を手に入れた即身馬頭明王ハヤグリーヴァ。貴様ら意思無き畜生どもを導いてやろう――この力で!」
「――ッ!?」
人と馬の間違いじゃねえのか、なんて減らず口を言うことさえ許されなかった。
ヒーロースーツを失った俺の感覚はなにもとらえられなかったのだ。
見たまま述べるなら……とてつもない光ととてつもない破壊音、そして土煙混じりのとてつもない衝撃波にもみくちゃにされていた、なんていうのが実情だ。
とにかく、とてつもないことが起きた。
目に焼き付いた光景をさかのぼれば、こんな感じ。
馬頭明王ハヤグリーヴァの口から放たれたどす黒い光は正面の大通り――俺たちに向けて放たれた。
そこに間一髪、ジャスティス・ウイングの三鈷剣が閃光を左右に引き裂く。
分断された光を受けた左右の雑居ビルはえぐられ、ぽっかりとひと気のない店内を晒した。
まるで不格好に切られたケーキの断面のようだった。
なんかとてつもないことが起きたぞ、と俺が呆然としていたその頃にはすでに、あたりを焦げと埃っぽい臭いが漂い破壊の残響がどこまでもうねっていた。
「なん、じゃこりゃ……」
あまりの暴虐に、思わず冗談めかした言葉が口からこぼれる。
ヒーロースーツでの戦いは、人知を凌駕している。
生身の人間にしてみれば、何が起きているのか認識するのも難しいだろう。
魔王マーラとジャスティス・ウイングの戦いで思い知らされた。
でもそれはあくまで、巻き込まれた聴衆だったときの場合だ。
ヒーロースーツに敵対視され、攻撃されるのではワケが違っていた。
ぼんやりとではあるが、相手が強敵であることは覚悟していた。
だが、敵意と威力をまざまざと見せつけられて、ようやく相手がなにものなのか身に染みた。
ヒーローで仏?
違うな。
誰かの意思を背負ったヒーローでもない。
ねじ曲がった救済のために絶望をもたらす怪仏でもない。
誰を救おうとも思っていない、純然たる破壊のバケモノだ。
こんなヤツとの長期戦など、ジャスティス・ウイングはともかく、華武吹町のほうが先に壊れてしまう。
怪獣映画さながらの惨状に、大通りに佇んだ華武吹町一同も同じ結論に至ったのか、息をのみ、沈黙し、やがて――
『……ッ! 吐いた唾ァ、飲まんとけよボンクラぁッ!! おんどれのタマァとるまで死ねるかっちゅうんじゃあ!』
「好き勝手しやがって! 江戸っ子を舐めるなよ!」
「そうよそうよ! 馬並みウママンなんてやっちゃっうわよ~!」
「華武吹町をバケモンなんかにやれるかぁ!」
――エキセントリックなカナエの金切り声を筆頭に剣咲組、老人会の面々が、鬱憤爆発したのかこの世にあるだけの物騒で低俗で口汚い罵声を浴びせかけていた。
華武吹町では、曼荼羅条約もとい双樹正宗による圧政があったのは事実だ。
そのために苦しい生活を強いられた人々、怯えて暮らす人々がここには集まっている。
憎しみ、報復、決して褒められた感情ではないが、まあ……一応……一致団結はしていた。
……すまん、フォローしきれてない。
「あんたら応援をしなさいよ、応援を! 意思力っていうのが大事って話したでしょ! 何のために居んのよぉ!」
幸いにも、さすがにママの、冬眠から目覚めたクマのような野太い一喝で軌道修正が入った。
罵詈雑言がなんとかジャスティス・ウイングへの応援の体になったころにはすでに、赤と黒はビルを足場にドカドカとぶつかり合っていた。
ビルの合間を飛ぶような戦い。
頭上で爆ぜるインパクトにパラパラとコンクリート片が飛び散り、いたるところから重い破壊音が反響している。
戦況は……アキラの後方支援もあるが、ジャスティス・ウイングはパワーで後れを取っている様子だ。
一方、優月は歪んだ天蓋の上に置き去りだった。
とはいえ、身一つで降りられそうな高さではない。
何より上空ではアーリヤが目を光らせているだろう。
こっちも手詰まりだった。
くそ、見ているだけで何も出来ないのが歯がゆい……!
結局ベルトが、ヒーロースーツがなければ、俺はその他大勢、聴衆の中の一人でしかないのか……!
最前線のヒーローにやんやと口出ししたくなる気持ちが――一緒に戦いたいのに戦えない歯がゆさが、いまになってわかる。
とにかく今は、双樹正宗……いや即身馬頭明王ハヤグリーヴァの勢いを抑えなければならない。
たしか、カナエの計画通りなら、双樹正宗が怪仏化したところで沙羅が手を打つ算段だったはずだが――。
「なあ、沙羅はまだなのか!?」
通りの片隅の老執事――留蔵に詰め寄るが、彼は「もう少々お待ちを」と微笑をたたえた。
「紅茶にも適切な抽出時間がございます」
なにか粋なことを言ったようだが、葉っぱから抽出された汁を楽しむ文化のない俺には通じないやつだった。
留蔵は「おやおや」と目を丸くしつつ、実に淡泊に言い直す。
「たった今、沙羅様が双樹ビルの巨大モニターの制御を奪ったそうです。実行まであと……十五分少々です」
「それって……この状態で十五分、待ってろってこと……?」
「えてして人生は、堪えしのぶ戦いが常でございます。ベルトの加護なきいまこそが、ヒーローとしての戦いのときなのではないでしょうか」
留蔵は懐中時計を取り出し、はじくようにフタを開く。
それこそ茶葉の抽出を静かに待つ、優雅な佇まいだった。
なんだよ、気持ちよくお説教しやがって!
お陰様で、焦りと歯がゆさとやきもきが募るばかりだ。
せめて何か出来ないか。
きっかけは転がっていないか。
右見て、左見て、後方を振り返ったところだった。
その光景を目にした瞬間、俺の身体はつんのめり、走る際中に理解する。
俺が大嫌いなあのクソガキ兄弟の背後に、サングラスをかけた黒服が息をひそめながら近づき、いまにも小さいほうが後ろから羽交い絞めされようという光景だ。
勢いを殺さぬまま足元から櫓の骨組みであろうパイプを拾い上げる。
棒高跳びの要領で、アスファルトに突き立て目いっぱい高さをとった。
「貴様、このガキが――」
黒服がお決まりの台詞を言い終わる前に、俺の蹴りがサングラスをカチ割りながら突き刺さる。
続けて、倒れ込んだ男の銃を蹴り掃った。
「こんなガキにまで銃を向けたとあっちゃ、アンタらもバケモノ側ってことでOKだよな!」
目を丸くして黒服は転がるように引き下がる。
俺のかっこいいセリフが決まったな、と思っているうちにクソガキ兄弟も目を丸くして逃げ去っていく。
「ん?」
おっと様子がおかしいぞ? と振り返ると、のしのしと薄紫のカーテンを巻いた熊……ではなくママが鬼の形相で迫っていた。
俺と同じく、クソガキ兄弟のピンチに気が付いて駆け付けたのだろうが、派手な色合いの筋肉だるまが猛スピードで駆け込んでくるのだ。
そりゃ怖い。
かくいう俺も鉄パイプを抱えるようにして構えてしまった。
「あら、私が出るまでもなかったわね」
いやあ、ママの迫力勝ちなんだろうけど。
そのへんのことは飲み込んでおく。
ママはすっかり俺の手柄だとして、やわらかに苦笑した。
「ベルトがあっても街を救う気無いわ、ベルトがなくなったらえらい落ち込むわ、ベルトがなくても子供を助けにいくわ、アンタってばまったく……!」
「ベルトの加護なきいまこそが、ヒーローとしての戦いのときだからな!」
完全にパクり。
完全に、暢気に若者へ説教垂れた留蔵さんのパクりだった。
だが、ママは表情を晴れやかにして頷く。
「……そうね。ベルトが無いからって、部外者だ、聴衆だ、いっていられないものね。ここは私たちの華武吹町だもの。さて、と……! なら私も……!」
両手の拳を握りしめ、瞑目し、静かに深く息を吐く。
再び目を開いた頃には、肉体は一回り大きく瞬間パンプアップし、"猛牛殺しの源三"の顔になりかわっていた。
まごうことなき変身だった。
「ぬおおおぉぉぉッ! 覚悟せいやぁッ!」
雄々しい咆哮が大通りいっぱいに響く。
その咆哮が、気迫が、住人達に飛び火する。
あちこちで変身が起きていた。
とうとう細い路地では剣咲組も揉み合いへし合い、あまつさえドンパチまで始まってもはや抗争……いや、戦争状態に陥っていた。
上空でぶつかり合う正義のヒーローと異形のヒーロー。
その下で応援、応戦する華武吹町の住人たち。
住人達を守ろうとタクシーとヤクザとオネェが路地を封鎖し、ネオン街華武吹町の一丁目大通りは血と硝煙と土埃の臭い、破壊と声援の音で満ちていた。
やがて、ジャスティス・ウイングが雑居ビルの横壁に叩きつけられ、地に落ちる。
正確には……着地し、そして見計らっていた。
この抗争の中で静かにたたずむ老執事が、手の中の懐中時計のフタをパタンと閉じるところを。
「ヒーローの皆様。大変、お待たせいたしました」
そして双樹ビルの巨大モニターが、知的な光を灯すコバルトブルーの瞳を映し出した。





