04. ラスト・オブ・煩悩
結局、俺たちは剣咲カナエの案に乗るほかなかった。
作戦内容は後述するが……実にヤクザらしい手口で、実に合理的だった。
なんにせよ、荒事になるのは避けられそうにない。
俺たちは無駄な出入りは危険といわれ、このままシャンバラで朝を待つことになった。
すでに手を打っているカナエの策が明日の朝には動き出し、作戦実行という運びだ。
これほど緊迫した、パニック映画さながらの状況下である。
自称であっても一応は女の子だ、どうにか吉宗だけでも家に帰そうと――それに乗じて俺も離脱しようと――したが、彼女は「え? もう友達の家に泊まるって家に連絡しちゃった」「私を助けてくれた恩返しする気満々だけど?」と誰よりも乗り気だった。
もしかしたら、俺の浅ましい考えなど最初から見抜かれていたのかもしれない。
そうこうしつつ、時計の針がすべて真上を指した時刻。
店内の照明は落とされているが、眠っているのは吉宗くらいだろう。この状況で眠れるなんて大したものだ。
カナエは「せいやっ、そいや!」とエキセントリックな掛け声を上げながら携帯ゲームに夢中になっている。
赤羽根は闇の中で腕組みして座っているが、どうも寝ているようには思えない。
ママは裏手の電気をつけて事務作業をしているようだった。いつもならまだ営業時間、寝付けないのは当然だ。
俺もいつものハズレテーブルのソファで横になっていたが、煮詰まった考えに急かされるように、そっと裏手のドアを開いた。
まあ、出た先では氷川さんがぷかぷかとタバコを吸っているのだけど。
「よう」
小さな店が小さな看板を軒連ねた商店街の、さらに裏道である。
一メートル幅の道、並ぶ室外機だけがうおんうおんと我関せずと回っている。
だもんで、見つからないとは思っていなかったが、まるで見張りのように立っていられるのにはぎょっとした。
隙あらばと考えていた俺の表情を見てだろう。
氷川さんは片眉を吊り上げて鼻で嘲笑した。
「なんだ、そのツラは? 胸糞悪いヘラヘラした態度はもういいのか?」
「……はあ、そっすね」
「へっ、逃げんなら今のうちだぜ。俺はなにも知ったこっちゃねえからよ。てめえが消えたほうが都合いいしな」
「……そっすね」
俺だって消えたい、消えてなくなりたいって思ってる!
……なんて、卑屈と屁理屈を言う間もなくド正論のラッシュが続く。
「関係ねえ関係ねえって、そうやって負け犬根性で生きていく覚悟したんだろ。ベルトとかいうスーパー兵器が無けりゃ、女ほっぽりだして逃げ出すようなクソガキは、足手まといだ。遠い街にでも逃げて華武吹町がぶっ壊れるところ見ながら、酒でもかっくらってクソして寝ろ。お前にはそれがお似合いだ。うまくいったら優月の寝顔の写真でも送ってやっからよ。ほら、さっさといけよ!」
それはもしかしたら、俺に発破をかけていたのかもしれない。
単純に、俺の態度にムカついていたのかもしれない。
とにかく、空っぽな俺はノーガードのまま言葉通り受け取って、言葉通り傷ついて……そしてまさしく負け犬のようにフラフラと歩きだしていた。
ああ、出ていかなきゃ。
二度と戻らない。
空っぽでなんの感情も抱かないことにしたのだから、俺は言うことをただ聞いていればいい。
そして……。
すべてがうまくいって氷川さんが優月を幸せにしてくれるなら……それでいいんじゃないかな。そんなところ見たくないけど。
優月……。
こんなことになるなんて思わなかった。
だけど、俺はもう優月のヒーローじゃない。守るとか救うとか、何一つできない。
むしろ傷つけて汚して、俺のものなんだって安心したいと思ってる。
こんな危なくて気持ち悪い男なんか、そばにいる資格なんて無い。
そんな後ろ向きな決意と懺悔を携えながら、どうしてか俺はラブホ街、花魁クラブ跡地、それから一丁目大通りを歩いていた。
深夜と言うこともあり、人の通りはまばら。
孤独を紛らわすようなネオンの色彩さえ静まり返っていた。
灰色だ。
日本一のネオン街は、いまやドブネズミが横断し、からっ風が通り抜けている。
静かな華武吹町は、どこか病的な雰囲気だった。
何を隠そう、病的だったのは俺のほうだったのだけど。
病のまま、無意識に、その場所へとたどり着いて一層参ってしまった。
俺は探していたのだ。
あの、最初の夜を。
そしてやってきたのは、薄暗い路地裏のゴミ捨て場だった。
自分のセンチメンタルさを呪いつつ、これが最後だと言い聞かせて路地裏に入る。
当たり前だが、生臭くて、秩序皆無で、俺が抱いている華武吹町のイメージそのものだ。
でも、優月はこんなゴミ溜めにいて、絶望しかけていて……希望の燃えさしに、偶然、俺が光を灯した。
「…………」
絶対にありえない。
そう思いながらも、どこか祈るような気持ちで、俺はゴミ箱の鉄のフタを持ち上げた。
中からは、モワッと生暖かく濃厚な腐臭が湧き上がるだけ。
黒く大きな双眼と視線は合わなかった。
当たり前だ。
溢れる未練を閉ざすように、勢いよくゴミ箱のフタを閉めた。
バン、と派手な音が路地に響き渡り――その下で何か、がさついた電子音が聞こえる。
「――ッ」
ぎぃぎぃと唸るような音にぞっとしながらも再びフタを開いてみれば、ゴミ箱の底で何かピカピカ――次々に色を灯す鮮やかな光が見えた。
目を凝らすとサーキュレーター部分が見えて、俺は咄嗟に腐敗と汚水にまみれた箱の中に手を突っ込んだ。
届かない。
頭をつっこむ。
肩まで入る。
上半身がゴミ箱の中に入ったところで、やっとのことそれを掴み、引き上げる。
差し込む街頭の明るみに出たそれは――オモチャの変身ベルトだった。
「…………」
壊れて音割れしているし、ところどころ欠けている。
ライトも何か所か点かないようで、さすがにカッコつかなくなって捨てられてしまったのだろう。
結果、俺がやったことはゴミ溜めを漁って壊れたオモチャを引っ張り出した……だけだった。
「なにやってんだよ、俺は……」
ベルトは壊れている。
それどころか、これはどこかの誰かが捨てた、ただのオモチャだ。
プラスチックのかたまりだ。煩悩ベルト、愛染明王丹田帯じゃない。
それなのに。
どうか胡散臭い語り口で喋りかけてくれないかと願っていた。
だって、なにもかもそこからはじまって――俺は優月が隠し持っていた煩悩ベルトに語り掛けられて、変身ヒーローにされた。
その上、優月が探していたヒーローはオヤジだったとか、煩悩大迷災だとか、怪仏だとか……。
華武吹町が嫌いで仕方ない俺に、ベルトがいろんなしがらみを巻き付けてきた。
ベルトの存在があって、優月と俺は繋がって、優月と華武吹町も繋がっていて、だから俺はここに繋がらざるをえなかった。
ぶつかったり離れたりを繰り返す中で、ベルトは優月と俺に一蓮托生の意味を灯し続けてくれた。
Togetherなんて胡散臭い合言葉をたずさえて、ずっと。
だけど、そのベルトが無くなってしまった。
意味を灯してもらえなくなった。
無明だ。
だからもう、優月のそばに俺の居場所は――。
考えるのをやめよう。
意味のない俺に、そんな資格さえない。
咄嗟に、思考回路を自己嫌悪で塗り潰し、口を継ぐんだ。
聞かれたくなかった。
「…………」
「禅」
「…………なに」
そろそろ俺も、誰もいないはずの場所から呼びかけられるのに慣れてしまっていた。
黒いワンピースの少女だとか、真っ裸の美形変質者だとか、亡霊のような不確かな存在さえ闊歩するのが混沌、華武吹町だ。
現れたのは後者だった。
変質者は全裸でゴミ箱の上に胡坐をつくり、空を仰いでいる。
もはや脱衣パフォーマンスが出来ない風体だが、だからこそ修行僧のような厳格な雰囲気があった。実体は魔王なんていうロクでもない概念なのだけど。
「見ろ、今宵の月を」
らしくもないことを言ったアキラ。
俺も倣って、両側の壁に切り取られた狭苦しい夜空を見上げる。
黒い帯の中で、新月が儚く輝いていた。
きっとネオンの光が灯っていれば、か細い月光はかき消されていただろう。
アキラの説法が続く。
まるで謳うような言葉のせせらぎだった。
「影に飲まれど月が失われたわけではない。むしろ月があるからこそ光も影も成るのだ。一つは二つ、二つは一つ。それを仏教の教えでは二而不二という。生と死、男と女、そして煩悩と救済、希望と絶望……あらゆるものは表裏一体だ。おまえは心を無くし空になったわけではない。今宵の月のように陰り、苦しみ、救いの光を求めている。その苦しみは欲望を――希望を捨てられないからこそだろう」
俺は前向きな言葉に反発した。
反発しなければならなかった。
優月を守るために。
優月を、俺から遠ざけるために。
「そうじゃない……俺はヒーローなんてガラじゃなかったんだ! それだけなんだ!」
「ならば、その手の中にあるモノはなんだ? 変身ベルトを取り返そうと、再びしがらみを巻きつけようと、死にかけの街を彷徨っているじゃないか! フフ、きみも素直じゃないねえ! 救いたい、救われたいという願いもまた、欲望。すべては二而不二。己の強い欲望を解って脱ぐのが解脱なら、己の弱さ汚さを解って脱ぐのもまた解脱」
「やめてくれ……!」
「簡単だ、Togetherだよ、愛染明王も愉快なことを――あ、言語設定を英語にしたのは僕だったな」
「おまえな……いや、いい。とにかくほっといてくれ、俺は――」
「輝けないなら、誰かに照らしてもらってもいいだろう? この街は節操ない色で輝いている。その中に、おまえを照らしてくれる粋な光もあるだろう。おまえ自身が救われることを望むのなら――」
沈黙が続き、説法はそんな中途半端で終わりかと思ってゴミ箱に目を向ければ……すでにアキラの姿は消えていた。
そして遠く、スクーターのエンジン音と高らかに嘲笑う声。
黒服の男達が血相を抱えて走っていく喧騒が湧き立ち、通り過ぎ……界隈はあっという間に静まり返った。
「誰も……ベルトのない俺なんて……」
この街の治安は劣悪。
誰もが自分のことに精一杯、自分のことだけが大事でかわいい。
面倒なことに関わりたくない。
知らない誰かを背負いたくない。
都合のいいときだけ乗っかりたい。
人の繋がりなんて無い――そんな街だと、思い込もうとしていた。
繋がりたくなかったのは、俺のほうで――。
だけど、今は……。
「オヤジ、白澤先生……俺、いまさら手を伸ばして助けを求めても、誰にも救ってもらえない気がして……怖いんだ。だけど、しがらみから逃げられない、離れたくない。俺、寂しいよ……一人で生きられるほど強くないんだ……」
握りしめたオモチャのベルトがぎこちなく鳴り、不格好に光る。
解って脱いだ俺の弱さに、応えるようだった。
*
シャンバラの裏口前に戻ると、氷川さんはコートを羽織ってこっくりこっくりしていた。
俺はそっと戸口を抜ける。
カナエも眠ったらしく「覚悟せいや!」「ブッ殺すぞ!」とエキセントリックな寝言を言いながら、ドレススカートにもかかわらずテーブルの上で大の字になっていた。
裏手の電気はついており、コーヒーの匂いが漂っている。
俺は恐る恐る顔をのぞかせると、気配を感じ取ったのかママは椅子ごと体をこちらに向けた。
「ママ、これ……これは、ただの……オモチャだけど、あとで洗って綺麗にしてくんないかな」
俺が差し出した壊れたオモチャのベルトを見て、もちろんママは困惑するわけで。
「なにこれ汚いしボロボロじゃない……」
「そうなんだ……けどさ、拾ってきちゃった」
「……アンタたまに、ベルトのことペットみたいに言うわよね」
「俺……捨てようとしたけど、捨てられなかった。欲しくて、我慢できなかった」
「……そう。そうなのね、よかったわ……あ――あぁ……そうだ! コーヒーでも飲む?」
「いいや、明日早いっぽいし」
「そうね。おやすみなさい」
そんなやりとりをして、俺は再びハズレテーブルに横になる。
わんわん泣いた跡が、明日には消えてますように。





