14. Power of Desperate
「あ、そうだ。医療ミスの話、したじゃん。あれ、やっちゃったの僕なんだよね」
――ぇ。
「このとおり、僕は悪の怪人がお似合いなんだ。滑稽だろう、いい気味だろう――失望しただろう!」
失望。
白澤先生の中から希望を見出そうとしていた気持ちが、一気に消え失せた。
これが、失望。
体から力が抜け、咄嗟に両手をついた。
同時に、ベルトの回転圧が歯ぎしりでもするようにガチガチと震える。
この均衡がやっとのこと、両手と両膝をついた情けない姿勢が、俺の精一杯だった。
力んだ黄金の手が俺の頭をぐいぐいと床に擦り付けようとする。
俺を這いつくばらせ、海面に沈めるかのように。
さらに、後頭部に楽しげな声が浴びせかけられる。
「粘るねえ。諦めない心ってやつ? そりゃまさしくヒーローだ! やっぱりきみにはヒーローの素質があったんだねえ! さすがは鳴滝豪の息子、そうだ――きみは"鳴滝"だからねえ! 僕にはそんなもの無かったから、うらやましかったなあ……!」
食いしばった歯の隙間から、なんとか答えた。
「鳴滝豪は……関係ない!」
「あーあ、そうだった……それなのにさ、きみはヒーローになることを望んでいないんだよね。それどころか鳴滝豪を恨んでいた。挙句の果てに、僕をヒーローだなんてもてはやして……」
「じゃあ……どうして! あれほど絶望的だった俺を助けてくれたんだ……! 絶対に助ける、絶対に救ってみせるって言った先生が、本当に俺のことを助けてくれて……俺の命に意味があるって光を灯してくれて! だから俺、あんたのことずっとヒーローだと、今でもヒーローだと思ってんだよ……!」
「それだよ、それ! それがどれほど不愉快で疎ましかったことか! きみの周りの人間を怪仏にしたのに、気付いてもくれなかった! 限定版ディスクゥも見てくれなかった! ずーっと僕から目を背けていたくせに、いまさらなぁにがヒーローだよ! 助けてくれる医者なら誰でも良かったんでしょ? 都合いいよねえ!」
「――ッ」
それはまったく、華武吹町に対する俺の気持ちだった。
助けてくれたのなら、誰でもいい。
助けてくれるなら、救ってくれるなら、誰の事だってヒーローだと思っていたかもしれない。
「ぐ……っ」
だめだ、自分にも失望してしまう。
四つん這いの状態から、さらに力が抜けていく。
自分の筋肉だけでは、さすがに支えきれない。
それどころか――ヒーロースーツがひりつく!
まるで全身火傷しているのに紙やすりでできた服でも着せられているかのような痛みだ……!
とにかく抵抗しないと……。
優月のところに帰らないと……。
でも、その優月は……。
涅槃症候群……寿命……。
もう考えたくない!
がくん、と体から力が抜けて、俺は額を白い床に押し付けられていた。
それでもなお、黄金の手が体を押さえつける。
抗いきれない俺を、ヒーロースーツが噛みつき爪を立てる……!
食い込む、俺を食おうと、飲み込もうとしている……!
「ッあがあぁぁぁあああアアッッ!」
痛みからくる絶叫か、内側から食い破ろうとする咆哮か、喉を焼くような声がほとばしった。
ベルトはがらがらと荒々しく回転し、危険を叫び続けている。
「気持ちはよくわかるよ、禅くん。そうだねえ……僕は負けの日に、ヒーローモノを見るんだ、救える物語をさ。物語のヒーローはいいよね、必ず勝つ。でも現実はそうじゃない――そうじゃなかった! 汚れと弱さと矛盾で満ちていた! 真っ暗だ、無明だ! 今のきみなら、わかるよねえ? わからないといけないねえ……きみはもう救えないんだって。彼女のヒーローにはなれないって! オトナになるって、そういうことだよね」
どんどん思考の袋小路に追いやられていく。
それなのに白澤先生の絶望的な言葉だけが、するすると頭の中に溶けていく。
もう、感情を動かすことすら苦痛で……なにも、考えたくない。
思考停止……したい。
やめ、たい……。
「自分の汚さや弱さを知る気分はどうだい……?」
優月……こんな俺がいなくても……。
喧嘩したままで……きっと今も怒ってて……もう嫌われてるかもしれなくて……。
――Do not extinguish the desire.
な……っ!
くそ、これベルトか……!?
流れ込んでくる……!
――Do not escape the disaster.
くそ、流れ込んでいクナ!
我ヨ! 言葉が足りナイ、歯がゆい……。
我とTogetherするのであれば、おまえ自身が必要だ! 空になるな! 我とTogetherせよ、梵の鬼!
――俺、空っぽ……虚空に、ソラ……。
「……全解除――!」
唱えるな!
「――ッが、は」
――。
――。
…………?
腹に突くような衝撃が走って体が浮いていた。
むしろ、俺の意識をクリアにする。
ようやく立ち上がった白澤先生の黄金帯となった足が、俺の腹を蹴り上げていた。
「あ、ぁ……っ」
だが、状況が好転したわけではない。
這いつくばる寸前から仰向けにひっくり返されただけで、俺の体は動かない。
感触を確かめるまでもなく、痛みだけが押しかけてくる。
そんな俺を跨いで立った白衣の異形は、黒い球体頭をゴチンと額に合わせてきた。
「どうだい? すっからかんになる気持ちは? 案外悪くないだろう」
黒い球体の中に、黄金色の文字が泳いでいた。
難しい経文の漢字などではなく、俺にも読める単語が渦巻いていた。
孤独と罪悪感。
その二つがひしめき合っていた。
白澤先生は――。
「羽化ができない蝉はオトナになれない。さあ絶望が解ったのなら、こんな殻は脱ごう。僕らはもうオトナなんだしさ、こういう"オトコのコ"なヤツ、卒業しないと」
そして、顔をあげた黒い球体。
今度、袖口から垂れた帯に絡まる黄金のメスが俺の眉間に触れる。
「オン ハドマ シンダマニ ジバラ ウン――煩悩、切除」
怪仏の力が行使されるその詠唱――真言が聞こえても、俺はただ、ぜぇぜぇと喉笛が鳴るまま肺に空気を送り、そのたびに響く心拍にすら痛み、意識をつなげることで精一杯だった。
鼻先、口元、顎、首筋……撫でられていく。
すると、焼けるような痛みが治まる。
水面に顔を出したように肺いっぱいに黴臭い空気を吸い、やがて視界がぼやけ……やっとピントがあったところで悟った。
顔面から胸元まで開かれ、脱がされている。
ヒーロースーツが、まるでジッパーのように割られている。
その裂け目が腰回りに到達して、止まった。
「あーあ、びちゃびちゃじゃないか。ひっどい顔だな――きみは負けたんだよ、ボンノウガー」
なんとか眼球、首を動かしたその先。
黄金の帯――白澤先生の指先が俺の体にめり込んでいた。
「……ぁ、あ……あぁやめっ」
はらわたを掴まれているような感覚に、ぞっとしたのも束の間だった。
腹のあたりでぶちゅぶちゅと厭な感触が響き、一瞬遅れて体中の皮膚を削ぎ取られるような痛みの洪水が押し寄せる。
痛覚さえぶっ壊れそうな衝撃に悲鳴さえ喉に詰まり、声が出ない。
されど、ベルトは猛獣の雄たけびのように荒々しく唸りを上げ、黒い炎を撒き散らす。
そこに白澤先生の優しく穏やかな声が降り注いでいた。
「そして、さようならだ。禅くん」
次の瞬間。
俺の視界に、黄金の帯に絡まった禍々しいベルトが掲げられていた。
煩悩ベルト――愛染明王丹田帯。
しかし――しかしそれは、絶望した者が持てば――!





