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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第八鐘 壊れかけの煩悩
166/209

13. Power of Curse



「我が名は如意輪観音チンターマニチャクラ。煩悩を切除する者なり」


 その笑みに黒い裂け目が次々にできたかと思うと、まるで林檎でもむいたかのように、白澤先生の顔がほどけていく。

 帯状になった顔の隙間から、人間の頭サイズの黒い玉が――鎮座していたチンターマニが現れた。


 同じく手足もほどけ、服の袖口からは帯が垂れ下がっており、まるで空っぽの中身を隠すために白澤先生柄の包帯を巻いていた、そんな有様だった。

 ほどけた帯は黄金色にきらめきながら、宙に三対の手を作る。

 白澤先生の形状を解いて脱ぎ、代わって神々しい黄金色の御手とチンターマニの姿を見せた――怪仏。


 手術の術式宣言のように、黄金の手がよどみなく甲を向ける。


「これより、煩悩執刀を開始する」


 違和感なく、明瞭な声色。

 もう怪仏化が完了しているのだ。

 最初から医療施設が疑われていた。むしろこの怪仏こそ、長らく追っていた最初の一人。

 ――いいや、いまはもう、そんなことは重要じゃない。


 倒せば吉原や三瀬川と同じで、消えてなくなる。

 生きて地上に戻れるのは俺か白澤先生か、一人だけ。

 残酷に冷え切った事実が頭に浸透し、ぶるっと臓腑が震え、吐き気さえした。


「あ、そうだ。一応、戦いのルールを説明してあげよう」


 それなのに、白澤先生はゲームでも始めるかのような飄々とした口調だった。


「きみの勝利条件はこれまでどおりと同じ、目の前の怪仏を八つ裂きにすればいい。簡単だよ。如意輪観音(ぼく)はチンターマニの管理者ってだけで、非戦闘員だからね。残念ながら特撮番組みたいに殴ったり蹴ったりするのは得意じゃないんだ。ほんと、残念だ」


「な……」


「でも、絶望して空っぽになったきみは、ベルトに押し潰される。怪仏化と同じだね」


 ようするに白澤先生――如意輪観音チンターマニチャクラは自らの非力さや、欲望を燃料にして暴れる(ボンノウガー)との相性の悪さを熟知していた。

 それどころか、チンターマニとベルトが同じ代物だってことも、全部。


「さあ……僕がバラバラになるのと、きみが空っぽになるのは、どっちが早いかな? はは……ははひゃははっ!」


 導き出したのは、俺を徹底的に絶望に陥れて封殺、挙句ベルトに潰させる――白澤光太郎という立場、如意輪観音チンターマニチャクラの知識、双方あってこそ成し得る策略だった。

 しかも、この時すでに白澤先生の策略は功を奏し()()()()いたのだ。


 優月の涅槃症候群。

 観音菩薩の動機、その不気味さ。

 怪仏だった白澤先生。

 怪仏を作ってきた白澤先生。

 生き残るのはどちらか。


 俺は無意識に目を背けていた現実をこれでもかというほど、明瞭に、鮮やかにつきつけられ、無意識に張り巡らせていた湾曲解釈をはがされ、すでに先制攻撃として一発どころか四、五発もらっている。

 あらゆる絶望的な情報にブン殴られて、すでにノックダウン状態だ。


「絶望的な絶望……」


 気が付けば、全身が震えている。

 頭で事実を整理するよりも一足早く、俺の体はこの窮地を理解したらしい。

 覚悟が追いつかないまま震えた手を、ベルトにあてた。

 とにかく、ファイティングポーズをとらないと。


 ベルトのサーキュレーターは、まるで俺を落ち着かせるように静かに呼吸し、やがていつものように雷電が走る。

 バリバリと唸りを上げながら、されどどこか慎重に黒いヒーロースーツが俺をコーディングした。


「わああ……! すっごいなあ、かっこいいなあっ!」


 白澤先生は無邪気に声をあげて、帯状の手を緩慢に叩く。

 本人の形状さえ、もはや人間とは言い難い怪人そのものにもかかわらず、反応はいつもの特撮バカそのものだ。


 それがやるせなくて、悔しくて……。

 その負の感情を燃やそうとしても、わずかに黒い炎が勝手に漏れ出す、たったのそれだけ。

 白澤先生の足元を照らす黄金に、まるで届きもしていない。


「おやおや、どうしたんだい? ずいぶんと大人しいじゃないか、やんちゃがウリの()()()()


「っ……俺には帰る理由がある……優月が――」


「あと何年も生きられない蝉のような儚い命……絶望的だよねぇ!」


「……くそ、がぁ……!」


「あは、はははあぁぁ……楽しいなあ、禅くん。知ってるだろ、僕がヒーロー大好きなのをさ! 僕ぁいま、大好きなはずのヒーローを倒そうとしている悪の怪人なんだ……途轍もなく惨めな気分だよ。僕はそっち側じゃないんだ、最悪だ、清々しいほどの絶望だ! ははっひはははあっ!」


 白澤先生は、人格干渉を受けていないと言っていたが……そうは思いたくない。

 この絶望的な絶望が、白澤先生の内側だなんて、思いたくない!

 そして、こんなにも絶望を押し付けてくる相手に対して、俺はなにを燃料にしたらいい……!


 思考さえグラグラと眩んだ、ほんの一瞬。

 俺の横を金色が通り過ぎた。

 ほぼ同時に、背後の鉄扉が銅鑼のような音を轟かせる。

 無防備に振り向き、はっとして正面に向き直った時すでに、白澤先生の帯により形成されていた三対の手の一つが俺の首に絡んでいた。

 さらに両腕両足首も掴まれ、重石のようにぐいぐい床に引き寄せる。


「ん……なっ!?」


 俺を這いつくばらせる、それが精一杯の力だった。

 これが全力というのなら、手足をへし折るほどの脅威はない。


 だが、俺はすぐにその攻撃の意味を悟った。

 これは俺が心身ともに無力であると、わからせるためだ……!


 事実、ベルトは俺を飲み込まないよう慎重に呼吸し、黒い炎はさらに静かに燻っている。

 手足の強化も、認識強化も、まるっきり削がれ、俺は絡みついた黄金の手を振り払うことすらかなわない。

 地に伏せばおそらく諦めがよぎり――俺は折れる。


「さ、自分の無力を認められるかな? それとも地に伏してようやく理解できるかな?」


「残念だが……俺は……土下座し慣れてるからなあ……ッ」


 こんなにも一生懸命に減らず口を叩いたことがあっただろうか……。

 というより、今の俺には減らず口を叩くことしか出来な――だめだ!


 弱音を振り払うように、片足を踏み出す。

 前傾姿勢でなんとか均衡を保つことができた。


 が、悠然と石棺に座っている白澤先生と、這いつくばればオシマイだというのにすでに片足をついている俺。

 目の前の状況は、まったくの大ピンチ、まったくの危機的状況に変わりはない。


「ほらぁ、怪仏化した三瀬川に言ったこと、自分でやってみなよ。煩悩を燃やせとかなんとかさ!」


「く、そ……っ」


 思考停止はダメだ。

 考えろ、考えろ……!


 助けを呼ぼうにもここは秘密の地下施設だ。

 声が届くはずがない。

 しかも俺は、一人にしてくれなんて言ってここに来たのだ。

 誰かが追いかけてくるなんて望みが薄すぎる!


 奇をてらって変身を解除するか?

 いや、さすがに生身で怪仏の力には抗えない。

 それこそ手足を粉々にされる!


 反撃の手立てを探そうと頭を巡らせれば巡らせるほど、絶望的な事実にブチ当たる……!


 そんな袋小路、混乱の中で俺がやっと口にできたのは願望であり、祈りだった。


「白澤先生……あんたはこの華武吹町で唯一の善人で、誰からも慕われていて……! 俺だって助けてくれた!」


「そういうのを現実から目を背けて見たいものしか見ない、ゴミ虫どもお得意の湾曲解釈というんだよ! きみは運良く助かっただけ。現実を見なよ。もうオトナなんだからさ」


 怪仏としての無機質なフォルムのせいで、白澤先生の表情は、もう、わからない。

 だけど、声は嘲笑めいていて、疲れていて、諦めきっているようだった。


 またしても無力感が体を襲い、ガクンと体の軸が揺れ、俺は片足に続き片手まで床につく。


 言ったところで、はいそうですかと心変わりする相手ではないことはわかっている。

 それでも俺は言葉が吐き出せるうち、諦めてしまっている白澤先生に今こそ伝えておかなければと焦りさえ感じていた。


「――でも! 俺がここにいる以上、白澤先生が救ってくれたことは湾曲解釈なんかじゃない! 俺の憧れで、俺のヒーローだ!」


 こんなときだが、胸のつかえがおりた。

 そして、俺のヒーローの返答は辛辣で、残酷で、絶望的だった。


「ああぁ~……そういうのホンット鬱陶しいんだよなあ……引いちゃうっていうかさぁ、勝手に期待押し付けないでほしいんだよねぇ」


「……そん、な」


「あ、そうだ。医療ミスの話、したじゃん。あれ、やっちゃったの僕なんだよね」


 ――ぇ。


「僕はただ寝不足でぼーっとしてて。疲れてたとかテレビ見すぎちゃったとか、そういうしょうもない理由さ。面倒くさいことになりそうだったから、三瀬川を脅して無かったことにしたんだ」


 医療ミス。

 クソガキ兄弟の母親は、意識があるまま切り刻まれてショック死した。

 あのとき白澤先生は、まるで他人事のように淡々と話していて――今でさえ他人事だ。


「このとおり、僕は悪の怪人がお似合いなんだ。滑稽だろう、いい気味だろう――失望しただろう!」


 失望。

 白澤先生の中から希望を見出そうとしていた気持ちが、一気に消え失せた。

 これが、失望。


「――ッ!」


 体から力が抜け、咄嗟に両手をついた。

 同時に、ベルトの回転圧が歯ぎしりでもするようにガチガチと震える。

 この均衡がやっとのこと、両手と両膝をついた情けない姿勢が、俺の精一杯だった。


 そこに、さらに力んだ黄金の手が俺の頭をぐいぐいと床に擦り付けようとする。

 俺を這いつくばらせ、海面に沈めるかのように。


 絶望の海まで、残りわずか数センチ……!


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