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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第八鐘 壊れかけの煩悩
159/209

06. その白は華武吹色に染まりて


 俺を日光消毒するなどと冗談を言いながら、白澤先生は屋上に案内してくれた。


 屋上。

 いい響きだ。


 俺も明珠高校ではぼっちだから、よく逃げ込む場所でもある。

 あとはヒーロー活動の際には通り道だ。そっちの場合、逃げると言うよりも、ただ単にあのカッコで大通りを歩きたくないってのが大きな理由だけど。


 つまり、解放感があって、静かで、自由で、日常を少しだけ俯瞰してみているような、そんな場所。そんなイメージだった。

 だから、階段を上っているさなか、ここからはどんな風景が見えるのだろうと俺は心躍らせた。

 いつもと違う、少しでも友好的な華武吹町の顔が見られるのだろう、と。


 だが、俺が期待した風景はそこに無かった。

 華武吹町は、華武吹町だった。


 そこいらに換気口や貯水タンクが並び視界を圧迫しており、解放感など微塵も無い。

 そもそも人が立ち入ることを想定していないようで、鉄柵などもない。


 それもそうだ、病院とあってはふとした拍子に気分が落ち込んで、飛んでしまいたくなる人もいるのだから、ここに立ち入るには鍵が必要だ。白澤先生はさらりと鍵の束を使って見せたけど。


 しかも、天候は雲が押し合う音さえ聞こえてくるような曇り空で、見下ろす風景さえどんよりと暗い。

 極めつけに薄闇の中でネオン色だけは早々に輝き、俺の良く知っている、大嫌いな街が広がっていた。

 日光消毒など、期待できるはずがなかった。都会のスモッグが充満していた。


「禅くん。院内にはウワサ好きの妖精さんが多いみたいだから、気を付けないとねえ」


 ああ、きっと子供相手にもそうやって説明しているのだろうな。

 デリカシー不足の俺ですらそんな想像が働くほど、屈託のない――無意識レベルに染み着いた作り笑いを浮かべた白澤先生。


 お説教の香りがぷんぷんしていた。


 ここ数日、話す回数も別段増えて、ようやく彼の張り付いた営業スマイルと、文字通りザ・苦笑いの区別がわかるようになってきた。

 特撮バカスイッチが入ってしまうことはややあるも、それ以外のことであれば自分を抑制することに長けているのだ、この人は。


 言ってみれば、本心のわかりにくいこの男にとって逃げ場を提供できている俺としては、秘密を打ち明けられているようでちょっと誇らしいが、同時に何かお堅い話をされるということも察することができたのである。


 そんな白澤先生にジェスチャーで足を気遣われ、俺は恐る恐るコンクリートの段差を椅子替わりに腰かけ、白澤先生自身は対面の換気口に背中を預けた。


「それでさ、さっきの……怖い美人、カノジョ?」


「ええと……」


 痴話喧嘩競歩レース(あんなこと)があった後なのに、あらためて関係を問われてしまうと、困る。


 なにが困るって、なんというか、外面ファッションヤンキーの俺が口にすると嘘臭くなっちゃいそうで、関係性を固定化するような……ようするに証拠になる言葉を……丁寧に上手に意図的に避けてきてしまって……とかそんな関係だ。

 つまりは、俺が白澤先生に暑苦しい憧憬抱いているなんて言えないのと同じ理由だ。


 恥ずかしい。

 柄じゃない。


 でも、優月は……はっきりしろって感じだったな。

 あそこまで的確かつボロクソに言われると自信なくなってくるけど……ううん。


 そんな逡巡の末に、俺はなけなしの勇気を振り絞り「そっす」と合計三文字で軽い調子を取り繕った。

 いまさら「違う」とか「わからない」なんて言うほうが度胸が要る。


「ふーん。そうか。そうだったんだ。はは、青春だねえ。真剣な付き合いなの?」


 いやいや、あんた……。

 突っ込んで聞いてくるなよ……。


 ああ、そうか。

 俺がナースにちょっかい出していると思って咎めているのか?

 であるならば、合点がいく。


 致し方ない。こうなったらまな板の上でヘビに睨まれたカエル作戦だ。

 つらつらと白状する。


「真剣っていうか、大事っていうか……俺がいないとダメなヒトだし……ずーっと一緒にいるためになら、結構頑張れてるっていうか……」


 自分で言っているうちに、俺の脳内に可愛くて従順な優月のイメージ (※実物と異なる場合がございます)がふぁ~んと浮かび、しかしそのあたりで白澤先生は吹き出し、ついには爆笑しはじめた。

 そして――ふらりと肩を翻し、換気口の壁に額を預け、咽せたり咳き込んだり忙しい。

 ひいひいとまで声を上げ、肩を揺らし、腹を押さえ、医者を呼んだ方がいいのかと思えるくらいに……そのくらい、片腹痛かったのだろう。失礼な話だ。

 俺が見た目ほどチャラチャラしてない、むしろ純情ボーイだって知っているはずなのに。


 文句の一つ二つ、三つに四つくらいつけてやろうと思いつつ、白澤先生が失礼な呼吸困難から復活するのを待っていた。


「カノジョ……禅くんがねぇ……ふ、ふふ」


「そんなに笑うことないじゃないっすか……!」


 思いのほか時間をかけながらも、やっとのこと白澤先生が呼吸を整えたところで――しかし、ぎぃ、と屋上のドアが鳴る。

 俺はそちらに顔を向ける。

 見覚えのある少年二人と目が合い、向こうから声をかけてきた。


「あ! 雑魚チンヤンキー!」


 そう駆け寄ってきたと思いきや、ご挨拶の飛び蹴りである。

 俺は最小限の動きで避け、左右から飛び出すパンチパンチキックを松葉杖で受け止めた。


 この二人は記憶に新しい、夏場の銭湯で俺をコケにした挙句に返り討ちにあって鼻水たらしながら泣いて帰ったクソガキ兄弟だ。

 まったく、教育がなっとらん!


「てんめー、怪我人相手に何しやがる!」


「るせー! おまえが俺たちの家来をイジメてたんだろ!」


 威勢のいいことを言いながら、クソガキ兄は白澤先生の白衣を掴んだ。


「家来……って! その人はな、稀によく特撮バカスイッチが入っちゃうけど、すげー医者なんだぞ! この街で一番、人を救ってる人なんだぞ!」


 俺の反論はくどくどと続く予定だった。

 だが、俺は察した。

 ……いいや、弁えた、といっていいだろう。

 そのクソガキ兄弟の表情が子供のそれとは思えぬ攻撃的な嫌悪に燃え上がり、なんと俺は気圧されてしまっていたのだ。


 ――何も知らないくせに。


 ふと俺の脳裏に、以前入院していたころの記憶がフラッシュバックする。


 何も知らないくせに。

 あんたたちには関わり合いたくない。

 踏み込んでくるんじゃねえ。

 一人で生きていく。


 ……あの時の俺と一緒だ。

 痛い目を見て、お袋がいなくなって、ひとりになったときの俺と。


 たかだか十歳の子供の顔にそんな影を見たショックで俺が押し黙っているうちに、目の前でおかしなやり取りが繰り広げられた。


 クソガキ兄はフンと鼻を鳴らして、白澤先生を見上げる。


「白澤、メシ。ハンバーグな」


 それは子供の甘えではなく、命令のニュアンスだった。家来に言うような感じだ。

 白澤先生は気にした様子もなく答える。


「僕、今忙しいよ」


「じゃあ金。金よこせ」


 不遜極まるクソガキ兄に対し、白澤先生は事もなく財布を取り出し、そこに入っていた紙幣を全部――十数万を突き付けるように差し出した。

 疲れ切った表情で。


「ほら」


 風が通り抜け、バサバサと万札が鳴る中、クソガキ兄はひったくるように金を受け取る。


「やりぃ! へっ、いつもより多いじゃん!」


 それで終了。

 礼も無い。

 それがいつものやり取り、当然の権利だといわんばかりに。


 クソガキ兄は片手で金を、もう片手で弟の手を握りしめ、そして俺を警戒と敵意の目で一瞥すると逃げるように去っていった。


 俺は……。

 そんな突然の光景を察せなかった。

 察したくなかった。

 俺のヒーローが、生意気な子供に金をたかられてるなんて、飲み込みたくなかった。

 だから、ありきたりで、よい子の上澄みをすくったようなセリフを吐くのが精一杯だった。


「白澤先生……そ、そういうのよくないっすよ……!」


 そんなありきたりなよい子の忠告など、予想していたのだろう。

 白澤先生はフッと年相応、働き盛りの三十路らしいニヒルな冷笑を浮かべる。


 薄暗闇のせいか距離感がぼやつく光景の中で、屋上の縁の前まで進んだ。

 危険なことをするのではなく、一般的なマナーとして俺から距離をとったのだと気づいたのは、彼の手の中で銀色の小箱――ジッポがチン、と小気味よく鳴ってからだった。


 白衣は白ではなく、下から照らす華武吹色に染まる。

 紫煙は、その表情を隠すように彼の顔に纏わりついていた。

 ひどく絵になっていたが、ひどく似合っていなかった。


「なにを言うんだい。ここは鬼も悪魔も行き交う華武吹町じゃないか」


 語り口、声色はいつも通り優しく陽気な白澤先生のそれだ。

 しかし、その目の中にたばこの先っぽと同じ、赤い光が灯っている。

 誰と話しているのか、実感が失われて俺は返事をするのが怖くなった。


 白澤先生であろうその人は、ゆっくりと長く吐き、煙の中で無感情に語った。


「ちょっと前にね、医療ミスがあったんだ。麻酔を間違えたんだ。あの子たちのお母さん、旦那に暴力受けて病院送りにされた挙句、体は動かないのに意識があるまま切り刻まれてショック死したんだ」


 それは…………。

 えぐい。

 非道い。

 俺も、そうなる可能性があったのか……?


 寒いものが背筋を走り抜けるも、感情が消化できないまま、次の紫煙が吐き出される。

 俺は賢明に煙の中の言葉を拾っていた。


「病院はもみ消した。子供が二人、この街に放り出されても知らん顔だ。三瀬川は黒だ。真っ黒だよ。女子供(よわいもの)を消すのはお手の物さ。わかりやすい小悪党の吉原や、手腕ある支配者の双樹とは比べ物にならないくらい。無能で臭くて汚い、ドブの淵だ」


 情報が、頭の中で銅鑼を鳴らす。

 ぐわんぐわんと揺さぶられて、俺は頭を振った。

 それを気遣うように白澤先生がとりわけ優しげな声をなげかけてくれた。紫煙と一緒に。


「悪いね、気分悪くなるような話をして。でも君が知りたがっているのは、こういう話なんだろう? 曼荼羅条約の絶対神話が崩れたせいかな、治安も悪くなっている。ご老体たちは、かつての災厄が――煩悩大迷災が起こっているって騒いでるしさ。君はもう子供じゃない。華武吹町からは離れたほうがいいよ」


「白澤先生……でも、どうして先生はそんな病院に――!」


「僕だって清廉潔白なお医者様なんかじゃない。ましてやヒーローでもない。薄汚い華武吹町の大人の一人だ。ヒーロー……ヒーローか。ヒーローなんて、いないよ。いなかった。少なくとも、僕の前には現れなかった。ここを離れられないのは、そういうしがらみから抜け出せないだけだよ。逃げ出したくても、逃げ出せないんだ」


「…………」


「僕に何か期待していたのならゴメンよ。僕もただの、無力な人間だ。僕は、ただの人間なんだよ」


 そう言って足元にタバコを落として揉み消した白澤先生。


「活気を運んでいた商人たちは逃げ出した。いま、華武吹町に残っているのはこの街のしがらみから抜け出せない呪われた、そして絶望しはじめている人々だけさ」


 顔を上げたころには、いつもの飄々とした笑顔に戻っていた。

 まるで、白昼夢を――悪夢を見ていたかのような気分だ。


 プラチナの腕時計を見るなり、「さてと」と俺の前を通り過ぎる。


「あ――限定版ディスクゥ、あれお金にしちゃっていいよ! 生活費、困ってるんでしょ。プレミアついてるし、きっとまだ高く売れるよ! もう必要ないんだ。僕にも、君にも」


 その声が遠ざかり、ドアの開閉音が一つ鳴って、空は暗く落ちて。

 ネオンの光が色濃くなるまで俺はただ座りながら、黒く濁った街のシルエットを見ていた。


「そうだ。限定版ディスク、帰ったら見なきゃ……な」


 やっぱり三瀬川病院は限界で、白澤先生だって神経をすり減らしながら戦っているんだ。

 この華武吹町(まち)では、誰も彼もがネオンの毒々しい色に染まる。いつか俺も、この偽物の光に飲まれる。

 大人になるって、そういうことでもある。


 懸命に。

 そう自分に、言い聞かせた。


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