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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第七鐘 Shout at the Bonnow
148/209

12. それでもぼくたちは許し合いながら生きていく


 翌朝。

 花魁クラブの倒壊は、大事件になっていた。


 昨晩からテレビでもネットでもニュースになっていて、不正隠しだ、やれヤクザの抗争だとあらぬ噂が盛り上がり、果ては新人アイドル九条陽子の実家近くとあって熱狂的ファンが自分の犯行だと言い出す始末。

 お祭り騒ぎもいいところだった。


 しかし、明け方には双樹コーポレーション会長、双樹正宗が「ガス爆発」だとか「街を守る双樹コーポレーションが全面的に対応」だとか、都合のいい内容を発表。

 世間はその寛大な対応を称賛し、そういう意味での大事件に塗り替わった。


 そのせいもあって、俺は午前中「ほーん、そうだったのかー。やっぱ双樹コーポレーションはすげえなあ」とぼーっとしてしまった。

 そんなわけあるかい、と自分にツッコミを入れたのは、昼飯のカップ麺にお湯を入れて待っている最中だった。


 また小一時間ぼーっとして、銭湯に行って湯船でぼーっとして、人っ子一人いない待合室でコーヒー牛乳を飲みながらぼーっとしているところだった。


「もうこの世界線は絶望的だわ」


 ソラだった。

 俺の隣に座っていた。

 古臭くて狭い、ついさっきの瞬間まで人っ子一人いなかった待合室に、最初から存在していたかのように彼女はいた。


「聖観音アーリヤは曼荼羅条約の残りを懐柔している。あなたはアーリヤはおろか、如意輪観音チンターマニチャクラも倒せていない。何もかも無駄よ」


「未来の可能性だかなんだか知らないけど、ネタバレやめてくんね?」


「私は何もしない。ただ行く末を見ているだけ」


「あ、そ」


「私はいてもいなくても未来に影響しないもの。あなたを説得しようだなんて、これっぽっちも思っていないわ。逆に言えば、そんな隙間にしか存在できないのだけど」


「つまり、おまえの話には一切意味がないってこと?」


「そうね。私は無意味な存在よ。だって、私はソラ――虚空のソラだもの」


「自分が無意味とか言うなよ」


「無意味よ」


 ちょっとカチンときて、俺は言い返した。


「でも、おまえはお父さんがいるって言ってたじゃん。さすがにその人には意味があるんじゃないの?」


 ソラは足をぶらつかせたままだんまりだ。

 子供の考えたオカルト設定の矛盾に突っ込むべきじゃなかったな。

 瓶に残るコーヒー牛乳を一息にやっつけて、再び隣を見るとソラの姿は見えなくなっていた。


「なんだよ、都合悪くなると逃げやがって……」


 *


 結局、ぼーっとしたまま獅子屋の前に並んでいた。

 期間限定イチジク大福もあったけれど、あんまりおいしそうに見えなかった。イチジクってなんかちょっとグロテスクだし。

 それに財布事情も厳しいので、俺の大好きな特選いちご大福を一個。

 大きいから半分ずつでもいいだろう……なんて、当たり前にように優月と一緒に食べる予定になっていた。ぼーっとしているせいである。


 ビニール袋をひっさげて望粋荘の玄関を開けるなり、その音を聞きつけたのか優月が降りてくる。

 そして神妙な顔つきで俺の肩をゆすった。

 相変わらず食い物へ反応が早――


「禅! 心配した……」


「ええ?」


「……昨晩戻ってきてからずっとぼんやりしていて、気がついたらいなくなってて……よかった」


 徘徊老人みたいな扱いされてるなあ、おちょくられてるのかなあ、と思っているそばから優月の指摘で便所サンダルのまま外をほっつき歩いていたことに気がついた。

 ついでに靴下も右は黒地で左は黄色だ。

 ちょうど危険色だ。俺は毒を持っているぞー危ないぞー、と他の動物に威嚇する色。

 だからどうしたって話なんだけど。


「ズボンの前も開いているし、頭も半乾きで……もしかして(てい)シャツも、前後逆か? それ……」


 めっちゃ心配されてる。

 大丈夫なのに。


「大福、食べよ」


 俺はしっかりしているとアピールしたつもりだった。

 便所サンダル、ズボンの前を開けっ放しで。

 言った後に徘徊老人じゃん、と思ったがそれもついさっき考えていたっけ。


「…………」


「…………」


「……お茶、淹れようか」


「うん」


 そして、ぼーっとしながら優月の部屋、卓袱台の横に座る。

 テレビのニュース番組でも花魁クラブ倒壊事故の映像が流れていて――優月が水の入ったヤカン片手に、テレビの前までやってきて電源を切った。

 ヤカンくらい置いてくればいいのに。


 それから。

 それから……。


 青々と晴れ、安閑とした窓の外。

 汽笛を鳴らすヤカン。

 穏やかに時間が通り過ぎて。

 俺の前に出てくる透明度が高く緑色をした、一見して人間の消化器官に害を及ぼすようには見えない、湯気の舞う液体。


「そんな顔するな。さすがにもう、茶くらい淹れられる。掃除と洗濯は誰がしていると思ってるんだ? 私だって少しずつ役に立てるようにはなっている。料理も少しだけ、覚えた」


「えぇ……」


「……どうしてそう怯える。そのうち披露してやるからな、カレー」


「あ、はぁい……」


「まったく失礼な……! おまえこそ、またこんな贅沢品を買ってきて……大福中毒が治らないじゃないか」


「だって、大福って大きな福って書くじゃん。ビッグなハッピーじゃん」


 優月は「ふーん」と興味なさげにお茶をすすった。

 俺も湯のみを持って――それは、はじめて明確になった。


 湯のみの水面が揺れていた。

 地震か?


 違う。

 俺の手が震えている。

 俺は、震えている。

 まじか。


 ワンテンポ遅れてはっとなり、咄嗟に手を放した。

 しかし、指先がひっかかったせいで湯のみが倒れ「あーあーあ」と拭いたり淹れなおしたり。

 優月は意外にも冷静で、むしろ俺を試していたのかもしれない。


「あれ……なんか、手震えてて……さっきまではそうじゃなかったんだけど……」


「帰ってきたときからそうだった。帰ってきてっていうのは、さっきじゃなくて昨晩。昨晩からずっと心配だった。私が声をかけてしまうと、おまえは強がるから……でも声をかければよかった……」


「え……」


「禅、眠れたのか?」


 きっと、()()が本題だった。


「あれ、どうだろ……わかんない」


「……わからないこと、無いだろうに」


「…………」


「おまえは自分が思っている以上に傷ついている」


「…………」


「……辛いな」


「…………」


 膝を摺りながら距離をつめてきた優月。

 俺は漠然とエロとかイチャイチャとかを期待したが、その白い手はぽんぽんと頭の上に置かれた。

 そして、何度か往復する……だけだった。

 まるで子供が子供にするような、なでなでとか、よしよしだ。

 優月の力の入れ具合も、やっぱりどこか不器用だった。


 小さい頃、妹にこうしていたのだろう。

 ほんと優月はお姉ちゃんだな。

 いや、お母さん……かな?


 でも。

 それにしても。

 いや、それに比べて、だな。


 それに比べて、俺はこんなことされた記憶が無くて、この行為に最初ピンときてなかったくらいで。

 だからこそ、自分の頭頂部にこんな、気持ちがやわらかくなってしまう弱点があるだなんて……思ってもみなかった。


「私では頼りないかもしれない、優しくすることさえ不得手かもしれない、でも私は……抱えすぎてしまうおまえを、どうにか救いたい」


 その言葉に、まるで心の中でうずくまっていた氷塊が溶け、その中から俺にとってよくわからない感情がごろりと落ちて出てきた。


 疲れた。

 抱えすぎている。

 一緒に背負ってもらいたい。

 違うな、それは少しカッコつけてる。

 俺は……そうだ。


「甘え、たいなぁ……」


 あ~……言っちゃったなあ。

 カッコつけたかったのに。

 恥ずかしい。


 しかし、優月は最初から、そんな情けない俺の態度を望んでいたかのように微笑んでいた。


 そうだよな。

 いまさらだよな。

 汚い感情とか、弱いところとか、そういうの全部解りあって、脱いで見せ付けあって、たまにぶつかるけれど……それでも今こうして一緒に居るんだもんな。


 だから俺は、白状した。

 たどたどしく、言葉を並べて。


 実のところ、昨晩は全然眠れていない。

 十一面観音エーカダシャムカ――吉原菊代を引き裂いた感触が、まだ手に残っている。

 多少グロテスクなことが起きたとしても、そういうのはわりと大丈夫だと思う。

 自分の(はらわた)を見たことだってあるんだ。


 だけど。

 意思が飲み込まれ、それが吉原菊代でなくなっていたとしても。

 一つの人生が固執して、欲望に狂って、大金を払って、それでも大切にしていたものを壊した感触であることに、間違いはないのだ。


「曼荼羅条約が優月を贄にしたのは、わかってる。お蝶さんを狙ったことも許されることじゃないと思う。昔のことも。でも儲けたいとか、綺麗になりたいとか、見栄張りたいって、悪いことじゃないじゃん。それを皆で嘲笑ってやっつけろって囃したててさ。なんかそういうの考えてたら……気分悪くて。えっと、怒ってるとかじゃなくて、眩暈がして、気持ち悪くなってきちゃって……」


 考えたくなかった。

 故意にぼーっとしていた。

 無意識に見たくないものを見そうで、眠るのが怖かった。


「禅。おまえはまた、そうやって……向かい合った相手のことに共感して、心を痛めるのか。本当に、優しい……な」


「違うよ。たぶん……ヒトのことより、自分のことが怖くて。煩悩の、あっち側に転がっちゃうのが。俺はたまたまこっち側で、吉原はあっち側に転がっちゃっただけだから……俺もいつか、ああなるんじゃないかって……俺もいつか、バケモノ側になるんじゃないかって……死より悪しき者に……」


 あれ。

 何が言いたいのか、俺にもわからなくなってきた。

 話を強引にまとめる。


「まあ……考えすぎだよな。今まで散々好き勝手して平気なわけだしさ。俺の煩悩っつったって……その、さ……迷惑こうむるの優月さんなのにね。えへへぇ」


 そんな感じでおどけてみせたが、優月は黒髪がさらさらと舞うほど強く首を振る。


「迷惑だなんて、思ってない。たとえバケモノになったとしても、私は……おまえの糧になれるなら、嬉しい」


「…………」


 まぁたこの人は。

 そういう……。

 その……。

 少し遠まわしかつ直接的なブッ込みを……。

 それで。

 うぅうむ……俺をときめかせてどうするつもりなんだ!

 ちょっと俺、今、そういうの上手に答えられないのに……。


「あの……それって、俺の身体的な煩悩大迷災を鎮めるための、俺だけの生贄になってくれるということでいいですか?」


 ので、茶化してみた。


「不愉快です」


 ですよね、ブラックジョークすぎました。


「ごめん……閉じ込められて地獄みたいな目にあってたのに、そんなんと重ね合わせて下ネタを――」


「もう、いいです」


「はい」


「それから……禅が居る場所を、地獄とは言わない」


「…………」


 優月はただ素っ気無く「いただきます」と唱えると半分に切り分けられた特選いちご大福をパクつきはじめる。

 凛とした表情で、しかし頬を赤くして。

 やっぱり上手に答えられなくて、俺は泣く泣く、冴えない頭に高級すぎる糖をめぐらせようと必死に口を動かした。


 甘い。

 この甘さに、感覚が生き返った感じ。

 灰色だった目の前が鮮やかに冴える感じ。

 じゃあ優月が居る場所は……俺にとって……。


 そういうのをなんて伝えたらいいんだろう。


「で、報酬は?」


「あ……うん」


 そうこうしているうちに、話を強引に変えられてしまった。

 しかも金の、数字の話だった。


「家賃の残りは払えそう?」


「たぶん余裕ある」


「あの部屋の装備で冬を越せるのか?」


「そりゃまあ、あちこちにお世話になりつつ……」


「ふうん。そうかー、そうなんだー……」


 ずずず、とお茶を啜って優月の詰問は終わった。


 沈黙。

 静けさ。

 大福と温かいお茶が腹におさまった甘い幸福感。

 あとは、優月に弱音を吐いてしまったこともあって、どっと眠気が押し寄せ……あくびが垂れ落ちた。


 ちょっと怖いけれど、優月のそばなら眠れる気がする。


「優月さん、甘やかしついでに膝枕とか、特別スペシャル甘やかしてくれるなら添い寝とかお願いできないでしょうか?」


 もはや全開となった心の蛇口から甘えと煩悩が一気に垂れ流れていた。

 優月は白い粉のついた唇をもぐもぐを動かしたまま、目をぱちくりさせ、だんだんとうつむき、黒髪に表情を隠す。

 それでも白い肌にいっきに茜がさしてしぼりだすようにぼそぼそと答えた。


「……あの、そういう甘やかすのは……もう、おしまいです。自分の布団で、寝てください」


「あ……ふぁい」


 言い方、間違えちゃったな。


 頭が回らないせいで言い直しもできず、やむなく撤退。

 俺は自室の万年床に横になり、掛け布団を抱きしめて、まどろみ半分のところで思い出す。


 そういえばディナー作戦は、氷川さんというまことに尊い犠牲をともなって潰えたのだった。面白おかしく爆散したのだった。

 なら、一体どうすればいいんだ……。

 どうすればラブなホテルに誘えるんだ。

 どうすれば俺は童貞を卒業できるんだ。

 どうすれば優月の隣で眠れるんだ。

 俺にとっての、極楽浄土は――。


「う~ん、う~ん……」


 そんなことを考えながら、眠りに沈んでいった。


 壁の穴から差し込まれた小さな黄色い紙片を――震える線で「でぃなー」と書かれたわがまま券をもう少し早く見つけられていたら、奈良の大仏の頭のブツブツが実はサナギでそこから大量の巨大蝉が出てきて空を埋め尽くし高笑いの大合唱をする夢なんて見なかったんだけど。



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