08. 迦楼羅-GARUDA
俺はヒーロースーツのコーディングを解除されて、とりわけ凹凸激しい瓦礫の山の上に……そうだ、叩きつけられていた。
身体の痛みはそのせいだった。
意識が混濁して、状況を理解するのにも、かなりの時間を要していた、と思う。たぶん。
痛い。
赤羽根から借りたスーツはそこかしこ切れているけれど、全身は一応つながっている。
いや、でも。
そんなのどうでもいい。
相手は魔王。
恐れのあまり数多の異名を持つ、相手はそんなヤバい存在なんだ。
無理だ。
沈もう。
閉ざそう。
穿たれた快楽と渇きの奔流に、全部委ねてしまおう。
うつぶせたまま、まぶたを閉じようとした。
でも、それがあまりにも綺麗で、俺はむしろ目を見開いていた。
黄金の間。
瓦礫の山。
大穴の、さらにその上でガラス天井さえ割れて臨む夜空。
その中に揺れる赤い炎の翼。
天使、などというにはあまりにも猛々しい翼人が立っていた。
いいや、あれはヒーローだ。
「そうか……」
その、すっげーダサい名前のヒーローは言った。
「そうだったのか……」
慰めるような、哀れむような口調が、むずがゆくなるくらい優しかった。
「この猛烈な渇き……これがお前自身なのか」
俺に向けられた言葉ではない。
いまだ容赦なく、雷電を纏う魔王に向けられていた。
この欲望は、快楽と渇望。
いっそ、殺してくれ、滅ぼしてくれと願うほどの苦痛。
生半可な意思では切り裂けない残影。
彼の異名は――死より悪しきもの。
「だとしても、答えは変わらないだろう? 正義、君はヒーローで、僕は死より悪しき煩悩の魔王だ! 悪の存在にいきりたて! それが正義のヒーローというものだろう!」
沈黙はそれほど長くなかった。
覚悟が決まったのだろう。
燃える三鈷剣を構え、ジャスティス・ウイングは肩を揺らした。
「お前が望むのなら、そのひび割れた渇望の盃、満たしてやる――アキラ」
指一本動かせずうつぶせているだけの俺は、その中に揺れる炎を見ていた。
「全解除、梵の鳳!」
ジャスティス・ウイングがベルトの上に指を滑らせると、その赤は高く燃え上がる。
痛みに唸るような雄叫び、ヒーロースーツの隙間から上がる"怒り"、その姿は不動明王そのものだった。
俺はまぶたを閉じることが出来なかった。
視界は薄ぼんやりしているのに、綺麗で、恐ろしくて……その光と熱が、腹いっぱい詰め込まれた黒い煩悩を溶かしていくようで。
いや、まさしくそうだった。
マーラの吐いた黒霧が、この輝きに浄化されていく。
瓦礫の上で伸びていた男たちの呻き声が、明瞭なざわめきに変わって――擬似的な煩悩大迷災は祓われていた。
これが、即身明王。
これが、本来の丹田帯の力。
五十年前、煩悩大迷災と時をあわせて存在していたら、間違いなく……救っていただろう。
英雄だ。
次第に霧がかった意識がクリアになって、ベルトのあたり――愛染明王丹田帯が静かに回転の圧を訴えはじめた。
指先、手首、腕……足も、打ったり擦り切れているが、しっかり動かせる。
頭を振りつつ身体を起こし、立ち上がることが出来た。
ギィンッ――と頭上で金属がぶつかり合うような音が響く。
見上げてみれば、魔王マーラとジャスティス・ウィングがぶつかり合い、鍔迫り合い、せめぎ合いが繰り広げられていた。
衝撃波さえ凄まじく、そのたびに足元がおぼつかなくなる!
余波だけなのに!
ヒーローの戦いってのは、生身にはこんなに衝撃があるのか……!
左右フラフラ揺れながらも、ちりめん模様のお蝶さんにたどり着く。
彼女――他警備員と思わしき屈強な男たち数名――は半身を起こし、見知った場所の崩壊、そして押し迫る空気振動に呆然としていた。
「アレ、燃えてるじゃないか……!」
ジャスティス・ウィングの煌々と燃え上がる炎を見てだろう。
その光が充満した黒い煩悩の瘴気を消し去っている、と説明してもお蝶さんはポカンとしたままだった。
「とにかく! お蝶さん、ここからどうなるかわからないから早いとこ逃げてくれ」
さらに十数秒たっぷり呆然とするも、お蝶さんは自分の頬を両手で叩き「あいよ!」と景気良く返事する。
きびきびと瓦礫山をかきわけ、まずは半ボケの竹中一味に平手と蹴りをお見舞いした。
「起きんか、ボケェッ! 足腰立たないヤツぁ、引きずってやんな!」
他の男たちも文字通り叩き起こすと、乱れ髪をさらに振り乱し、そろって玄関口に走った。
刹那、足を止めて振り返ると、彼女はありがてぇ手印を掲げる。
「ボーナスつけて待ってるよ!」
「ったりめーだ!」
俺も同じ手印を返してお蝶さんたちを見送り、そして見上げる。
大穴の中央に浮かぶマーラ。
瓦礫の上で燃え上がるジャスティス・ウィング。
睨みあう赤と黒は、名乗り上げているとおり、悪者と正義のヒーローにしか見えない。
ただ。
少なくとも。
赤羽根・ジャスティス・正義は、即身明王抜きにしてでも、そこに立つだろう。
「不動明王の意思に燃やされてでも、僕を満たそうというのか。嬉しいな!」
マーラはせせら笑う。
一方、ジャスティス・ウイングは三鈷剣、そして不動明王の武器である左手の羂索をぎちぎちと握り締めた。
「俺の身は、とうの昔に不動明王に捧げられた。そして今、ようやく火種としてここに燃えている。即身明王の宿命を成すために」
「そうだ。正義は悪を、完膚なきまでに挫かねばならない……!」
「いいや――」
ちらりとジャスティス・ウイングは俺を見た。
「――助けを求めているヤツを救う。それが即身明王だ」
おい。
それは……俺のセリフだっつの。
そのヒーローは、即身明王ではなく赤羽根・ジャスティス・正義としてそこにいる。
そして魔王マーラではなくアキラを、悪ではなく弱者として救おうと――
「だからアキラ、お前を――殺す! 必ず、殺す……!」
「あーっはっはっはっは! 不動明王の意思に潰されたか! ならば、ラストダンスだ――正義」
――前言撤回。
俺にはちょっと理解できない流れになってきた。





