06. VS死より悪しき者-(2)
しかし、マーラは穏やかに笑った。
「それじゃ、使い終わった駒を片付けようか。出番はおしまいだ」
絢爛な階段の上に立つ魔王マーラが指先を高く掲げると、その先端で黒い電雷が小鳥のように舞い、次第に勢いを増して蛇のように腕をうねる。
次の瞬間には、フラッシュ、地響き、黒い稲妻の群れが落ちる。
成す術も無く。
黒い光が、俺の左腕を串刺し、通り抜けていた。
「――は」
ヒーロースーツの装甲がひび割れ、俺の意志力がちりちりと中空に流れ出すのを感じて、やっと。
それが攻撃だったと理解できた。
痛みはない。
損傷も。
なんだ、これは……!
「禅。それが君の力であり、僕を成す"煩悩"だ。どんなに注がれても満ちることがない。まるでひび割れた盃のように満たされぬ欲望だ!」
興奮、違和感、胸騒ぎ。
むしろ心地良くて、同時に頭の奥がちりちりと痛んで――満ち足りなくて!
自分の一部であるはずの左腕が、得体の知れぬ悦楽に浮かれて、猛烈に飢えて不快だ。
渇いた意思が入り込んでくる……。
侵食してくる……!
「……ぅッ!?」
ぎゅるるるるッ――と突如、ベルトが激しく回った。
逆回転で。
ベルトのサーキュレーターが、左腕から注ぎ込まれるマーラの黒い意思力を、嘔吐していた。
「ベルトちゃん!」
「さすがは愛染明王。煩悩がいかなものか、よくわかっているじゃないか。だが、絶え間ない負のエクスタシーに、いつまで抗えるか!」
俺がマーラの快楽と渇望に染まらないよう、ベルト……愛染明王が負荷を被っている。
軋む逆回転が訴えるのは、そう遠くないタイムリミットだった。
「鳴滝。俺もどこかの猿を真似て意思力を補填しているが……聴衆がコレでは長続きしない!」
さすがかっこよくて頭も回る正義のヒーロー、ジャスティス・ウイングは被弾無し。
嫌味も忘れていない。
「わかってるっつの!」
拳を手のひらに叩き付け、戯言を流してやったそばから言葉が重なった。
「畳み掛けるぜ!」
「探りを入れるぞ!」
「…………」
「…………」
「ジャス! 考えてる暇は無い!」
「鳴滝、何か見落としている!」
「…………」
「…………」
この状況で何を言っているんだ、こいつ。
自分で時間がないって言っておいて。
疑問符と怒りマークいっぱいの俺とジャスティス・ウイングの間に一呼吸一溜め息が交差する。
その末、今度はジャスティス・ウイングが「わかっている」と苦く呟いた。
「ジャスくん、戦うのに気が乗らねぇなら――」
「わかっている! 探りを入れている時間など無いのはわかっている! 俺とて生半可な覚悟で即身明王を背負っていない。だが、それはアキラも承知のはずだ。何か……何か見落としている気がしてならない」
「……気がする、ねぇ! 魔王を目の前にして、根拠がたったの"気がする"ねぇ! ヒーロースーツがブッ飛んぢまえば、俺たちもプチ煩悩大迷災の仲間入りだぞ! そこんとこも――」
「わかっている!」
「だったら――!」
俺たちの言い合いに干渉も容赦もなく、マーラが再び黒い雷の槍を掲げていた。
とにかくアレに当たるのはマズい……!
以前であればその距離や威力が感知できたはずだが、エーカダシャムカをアーリヤに奪われた今、俺の探知能力は無いに等しい。
焦る俺に、にこ、とマーラが笑った気がした。
同時に轟音。
槍は俺の足元に突き立った。
俺の反応は遅かったのかもしれない。
しかし、反射的にその地面を踏み込むと、ぞぶん……と沈んだ。
「おいッ!」
ジャスティス・ウイングがらしくもなく声を荒げ俺を罵倒していたが、その言葉はフロアが……というか、足場のコンクリートがガラガラと崩れる音と土煙に埋もれる。
あ、これは覚えがあるぞ。
やっちまったな……。
頭が動いた頃には辺りが静まり返っていた。
いつの間にか抱えていたコンクリート片。
衝撃とともに落ちてきた客たちは、コンクリートの山の上で散り散りに伸びている。
ここは――右手は龍、左手は虎、天井には桜吹雪で、弁天様がいたであろう場所に大穴が開いていた。
黄金の襖が四方を囲んだ、いかがわしさに贅を尽くしたその部屋……見覚えがある。
最初の晩、俺が竹中をイカサマ花札で金を巻き上げようとした、まさしくあの悪趣味な和室だ。
俺たちが落ちてきた衝撃で、安上がりな畳はあっちこっち裏返り、床板は抜けて、平面などもはや皆無。
吉原の策略とはいえ、貸切休業日だったのが幸いだ。
で……ええと――マーラは!?
視線を動かすよりも早く、黄金色の凹凸の中にひらひらと舞う青――お蝶さんの打掛が目に入った。
牽制に抱えていたコンクリート片を投げつけ、起き上がる。
だが、石塊はお蝶さんが羽織っていた青い打掛に――それのみに受け止められていた。
パリッと、スパーク音が頭上で鳴る。
無感情な目と視線が合った。
見上げたとき既に、お蝶さんを抱えながらも高々浮遊したマーラが槍を振り下ろすところだった。
隙も容赦もない、攻めの姿勢。
さらに――その背後には赤い影、ジャスティス・ウイングが三鈷剣を振り上げている。
俺は囮にされた。
あの鳥野郎。
囮に、回避は、不可能だ!
ならば――!
ベルトちゃんには悪いが、俺がやるべきは!
「――だぁらぁあああッ!」
槍の矛先が俺の右肩を貫いた。
深く。
痛みは無い。
それでもやはり渇望のざわめきが全身を走る。
だがさらに踏み込んで、自ら槍に身体をめりこませ――俺の右腕はマーラの喉元を掴んだ。
「捕まえたぞぉぁあああぁぁぁッ!」
俺の咆哮、そして三鈷剣の閃き。
マーラの左腕が黒いタールのような断面を見せ、落ち、霧散する。
やはり、人間の形をした、また別の何かなんだ、コイツ。
実力的にも、概念的にも、容赦している場合では――ない!
肉を切らせて骨を断つ然り。
荒業の末に、ジャスティス・ウイングが宙に投げ出されたお蝶さんの身体をすくいあげ、すぐさま距離をとった。
――やった!
そこまでは、俺が見ていたヴィジョンどおりだ。
だが。
「残念だな。迷いもまた煩悩。迷いある意思では、僕を斬ることなどできない……!」
ぬか喜びする間もなかった。
マーラはそこにいなかった。
同時に、ソラが言っていたことを思い出す。
――色即是空の理をもって、好きなときに現れて好きなときに消える。





