05. VS死より悪しき者-(1)
「あいつはもう、あなたたちに手加減するつもりなんてないわ」
アキラ・アイゼン。
いや……あいつは。
階段上に立つ第六天魔王マーラは、俺たちが知っているド変態お騒がせアルバイトとは到底思えないほどの、色香と不穏に満ちた目で笑っていた。
黒い布を巻いたような民族衣装、暗い肌色に映える黄金の装飾、肩を抱くように流れる黒髪。
その容貌から、俺は「異国の王子様」なんて思っていたが、ヤツは王子様どころか魔王だった。
ヤツの腕の中のお蝶さんはうっとりとした、だらしのない表情でマーラの瞳を覗き込んでいる。
その魔に、魅入られているのは明らかだった。
「……あんたが、ナントカっていうベルト所持者かい! ここが誰の城かわかってんだろうね!」
枯れ枝のような腕を掲げた吉原。
合図に応え、フロアに点在していた警備員が音もなく懐から銃を取り出して向けていた。
「ハッ! あんなに近いんだ、お蝶に当たっても仕方ないさ、撃て!」
むしろ、好都合と言わんばかりの号令だ。
勘違いはあるものの、俺たちが出てきたら最初からこうするつもりだったということか。
ヒーローもお蝶さんもまとめて亡き者にする――実に傲慢な吉原菊代らしい作戦だ。
悲鳴とどよめきが湧き、来客たちは姿勢を低くする。
――銃。
ならば。
咄嗟にヒーロースーツをまとい、同じくジャスティス・ウイングとともに大男数人を押し飛ばすが――警備員の数が散らばっている上に多い!
まずい、マーラの乱入に気をとられて出遅れた!
お蝶さん!
報酬、家賃、ラブホ代!
来客を飛び越えている間に、左右からパスンパスンと音が聞こえた。
間抜けな音だな、と思っていたがほぼ同時にサイレンサーという言葉が思考を追いかける。
背筋に寒いものが走り抜けた頃には――何も。
何も、起きていなかった。
銃弾に対し、マーラは指先で空間を撫でた……だけだった、にもかかわらず。
呼吸さえ躊躇われる緊張の中、マーラはやれやれと悠長に首を振る。
「自分のためなら人殺しも辞さないというのか! 愛おしいほどに欲深いな、曼荼羅条約! 欲しいもののために強引になれるのは、素敵だよ……!」
「おまえ……!? くっ……妙なまやかしを使いやがってぇッ!」
激昂した吉原は警備員の銃を奪い取り構えるも、へっぴり腰。
案の定、震える銃口から放たれた弾丸は、マーラとお蝶さんから大きく軌道をはずれて階段に黒ずみを作っただけだった。
あまつさえ「ぎゃっ」と声を上げた痩躯が銃の反動に吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。
それを無様などと笑っている場合ではなかった。
息つく暇もなく、次が起きていた。
「怒張せよ――欲望の災厄」
極めて短い、いわゆる詠唱だった。
さらにマーラの指先は宙を撫で――ただけで、身構えていた俺自身には何の異変もない。
だが、目の前で奇妙な光景がはじまっていた。
マーラの腕の中でお蝶さんはぐったりと、しかし恍惚の表情のまま、舞うように腕をうねらせる。
そしてふぅと息を吐くと唇から流れ出す妖艶な桃色が、あっという間にフロアに霧散した。
皿やグラス、そして銃が落ちる音があちこちから響いて、来客や警備員がふらふらと階段へと向かって、麓で押し合いへし合いの乱闘騒ぎ。
あの仲良し竹中一味でさえ、舎弟が竹中の顔面を踏みにじりる有様だ。
誰もが「お蝶、お蝶!」と騒ぎたて、まるで砂漠の遭難者が一杯の水を求めて争うような光景だった。
なんだ、コレは。
この不気味な状況は。
呆然としていた。
様子からして、ジャスティス・ウイングも。
そんな中で吉原は、この光景を見知っていたかのように指差し、フロアに足をバタつかせながら金切り声を上げる。
「ひぃやゃああぁぁぁあッ!」
足を縺れさせながら走り出した吉原だが、今度はエレベーター前に立った俺を見てまた奇声を上げ、「STAFF ONLY」と掲げられた狭い通路に逃げ込んだ。
気がつけばソラの姿も無い。
俺はもう一度その光景に目をやった。
目に見えない壁に阻まれているものの、くぐもった声の群はお蝶さんが吐く禍々しい桃色の瘴気を求めている。
ゾンビ映画さながらだった。
まさしく災厄だった。
つまり……。
「煩悩の暴走――これが煩悩大迷災」
解を同じくして、ジャスティス・ウイングが苦々しく答えた。
「そのとおり。あの時、負の意思が溢れ出し、箍が外れて欲望のまま求める者がのさばった。こんな風にね。そして絶望に落ち、どこからとも無く現れた怪仏に体を空け渡す者もまた多かった。華武吹町は、絶望して滅ぶか、欲望という滅びの一部になるかを迫られたのだ!」
目の前の惨状に加えて、怪仏の同時発生。
絶望か、欲望か。
いずれにせよ……この光景の行き着く先は、恐らく地獄絵図だ。
相変わらず俺の考えていることを勝手に読み取ったか、マーラは頷き続ける。
「あまつさえ、この街は五十年前から何も解決できていない。災厄の一因――欲望はまだ、絶頂寸前まで溢れている。凝固するほどに……!」
「それがおまえだってのか……?」
「そう。絶望の化身が怪仏なれば、欲望の化身はこの僕だ! 即身明王ならば、避けられぬ相手であろう?」
「なるほど、そりゃあシンプルだ! だがな――!」
――俺は、即身明王の宿命など背負った覚えは無い。
その言葉を聞く前に、マーラは返した。
「だろうね」
マーラの爪がお蝶さんの喉元を撫でると、血の一筋がつるりと流れ、青い打掛に滴り落ちる。
それでもお蝶さんは恍惚として、だらしなく微笑んでいた。
「彼女が無事でなければ報酬も出ない! 禅、おまえにはそっちのほうが問題なんだろう?」
「……よくわかってんじゃねえか」
こいつは人に仇なす魔王マーラとしてそこにいる。
俺は金欲しさに魔王の正面に立っている。
それから、ジャスティス・ウイングは――
「マーラ……」
――苦しげに、自分に言い聞かせるようにそう呼んだ。
踏ん切りがついていないのは俺の目から見ても明白だった。
しかし、マーラは穏やかに笑う。
「それじゃ、使い終わった駒を片付けようか。出番はおしまいだ」
絢爛な階段の上に立つ魔王マーラが指先を高く掲げると、その先端で黒い電雷が小鳥のように舞い、次第に勢いを増して蛇のように腕をうねる。
次の瞬間には、フラッシュ、地響き、黒い稲妻の群れが落ちた。
成す術も無く。
黒い光が、俺の左腕を串刺し、通り抜けていた。
「――は」
ヒーロースーツの装甲がひび割れ、俺の意志力がちりちりと中空に流れ出すのを感じて、やっと。
それが攻撃だったと理解できた。





