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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
幕間 君が居た晩夏
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Honey Moon-(2)

 望粋荘の取り壊しはかねてから決まっており、大家はそのための身辺整理に戻ってきていたらしい。

 よってその翌日にはおおかたの荷物をトラックに乗せて帰ってしまった。

 俺が破壊して出しっぱなしだったお湯も止まったが、夏場の木造建築に多大な被害を及ぼし、シャワー室を持つ優月以外の住人全員を一ヶ月銭湯生活に叩き落したのは言うまでもない。


 悪魔どもも結託し、やれ(おれ)が望粋荘にトドメを刺した、禅のせいで取り壊しになった……そんな空気が漂っていた。


 そりゃないよ、俺だって困る。

 しかも出て行くってどこに!

 借金だって返せてないのに!


 と、問題は山積みであるが、大家のばあさんが去ったいま俺がやることは一つである。


「優月さん、今夜は暑くて死にそうなので、お部屋に入れてもらえないでしょうか……」


 土下座なのである。

 仕方ないのである。


「またそれか」


 冷たい目でそう言いつつも優月は設定温度二十八度の室内へ通してくれた。


 それからはテレビを見ながら水羊羹のあまりをパクつき、会話がないまま午前零時。

 俺だってポケットに忍ばせたオブラート (仮)開封の儀までの道筋を一旦は考えてはいたが、完全に頭からすっ飛んでいた。

 現在進行形で、バラエティー番組でバンジージャンプが『ゴム有り安全』『ゴム無し危険』だとか連呼しているのが悪い。


「禅……あの、すまない」


 番組に興味がなくなったのか、優月は髪をまとめていたバレッタを外して手の上に置く。

 少し濡れた髪に視線がもっていかれたが、まだそんな空気ではないらしい。


「立ち退き命令が出るなら、役に立つものを受け取っておけば良かった」


「優月さんもそういう発想ができるようになったのは進歩だなぁ」


「でも……誘惑に負けてしまった。近代的なものが、嬉しくて。輝夜神社には高価な銀細工などはあったが、世に出回るような科学の産物は私の目の前を通り過ぎるだけだった。とても、うらやましくて……すまない」


「そういえば、コード差さないでヘアドライヤーが動かないって大真面目な顔してたなあ」


「あの時は……世界そのものが未知で、ネオンの光が怖くて。今は大丈夫、テレビは楽しいし、電話だって話せる。あの、アレ! 小さいやつ、アレで買い物した! 届いた! あ、そんなのお前にとっては日常で、まだまだかもしれないが……私はもう、禅と同じこの時代の住人で、迷惑をかけないように努力する……だから……」


「…………」


「…………」


 早く「これからもずっと一緒に……」とか、言ってくんねぇかな。

 望粋荘から出て行かなきゃいけないのは優月も同じで、空間をシェアしたほうが経済的で、であればもう答えは一つで。


「禅」


「はい」


「……喉、渇いた」


 優月は立ち上がり、視線を泳がせながら台所まで行くと足元の棚から――なんとこの空気で一升瓶を引っ張り出し、なみなみ内容物をたたえる瓶と共に俺の前に座った。

 色白の顔は既に真っ赤で、しかし顔面の強張りには鬼気迫るものがあった。


「優月さん。それは一般的に水分とは言わない」


「神道では水」


「なんて罰当たりなこと言うんだよ! いまに罰が当たるよ!」


 酒の力に頼ろうというのだろう。

 確かに少し積極的な優月のほうが助かるけれど……。


「だって酔っていないと……その、なんだか話しにくい、気が……」


 そりゃあそうだ。

 どう考えても、今から酔ってないと恥ずかしいようなことをしようって空気ムンムンだもん。


「ちょっとだから、そんな……怖い顔しな、いで……」


 コレは俺が生命の出発点について考えてるときの顔だが、それはそれとして。


 本音で話して欲しい。

 無かったことにされても、無自覚だとしても、気持ちが振り回されてしまうから。

 俺だって、確かなものが欲しいんだ。

 あと、ここから「恥ずかしいの?」とか「"よく記憶を無くす浅はかではしたない女です"って言ってごらん?」とか、そういう感じから言葉攻めをしたら、絶対楽しいと思っていた。いけると思った。むしろ、頭の中が屈服プレイでいっぱいだった。


 ということで、俺は一升瓶を取りあげて卓袱台へ置く。


「ダメです!」


 ゴツン、と。

 結構、まぁまぁ、力強く。


 だが、その時点で悲鳴が上がっていた。

 床から。

 というか、床そのものが。

 ミジッと。


「ん――?」


 抜ける床。

 落ちる俺と優月と一升瓶。

 タバコ片手に愕然とする下階の住人、氷川さん。

 騒ぎを聞きつけた住民も加わりシームレスに簀巻きにされ、裏庭の木に蓑虫状態で吊るされる。

 一仕事終えてあくびをしながら踵を返す面々。


「だからいつも言ってるじゃないっすか、禅くんはいつかやるって!」


「酔わせて襲うなんて、性欲猿の考えそうなこった。明日にでも俺の部屋片付けろよ、ブス」


「明日でいいなんて優しいんだ、氷川くん」


「るせーな……」


「ほら、優月ちゃん、行くよ」


「いや、でも……」


 まことけしからんことに優月は天道さんに引っ張られて退場し、望粋荘が暗く静かになったところで――ひょこひょこと戻ってきた。


「裏切り者」


「すまない、なんと言っていいかわからなくて……」


 寝巻き姿に薄っぺらい掛け布団を抱えて。

 そして、少々乱暴な手順で俺を解放するなり、地べたに敷いた布団の上にちょこんと座る。

 なにをするのか容易(たやす)く予想ができて、俺はその子供っぽい奇行に付き合うことにした。


「あーあーあ、こんなもの持ってきちゃって……」


「だって、誰かのせいで部屋に穴があいて……下階は煙草臭くて……」


「たしかに」


「それで……小さい頃、妹と外で寝転んで夜通し空想話をしたのを思い出して。あとでたいそう怒られたが……」


「えっ! 優月さん、妹いるの……?」


「ああ、そうか……私は自分のことを何も話していないな。もう七十年以上昔の話で、つまらないかもしれないが……聞いてくれるか?」


「それって一晩で終わる?」


 その隣に座ると、薄い掛け布団の端が背中越しに渡された。

 近くて、暖かくて。

 それだけでも俺にとっては事件なのに、優月は俺の肩に頬をあてて、笑っていた。


 あ、そういう顔するんだ、と思ってから気がつく。

 どんなに記憶を手繰り寄せても、優月の無防備な笑顔なんてこれがはじめてだったから。

 俺は驚いて、すごく安心して、感動していた。


 だから、そのせいで。

 また怒られそうなんだけれども。


「ふふ、終わらない。ずっと続く。ずー……っと――」


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