13. Coming Summer , Hot Care Summer!
周囲を岩肌に囲まれた小さなプライベートビーチ。
夜空には煌々と照る月が一つ、その光が海へと溶け出していた。
うつむいて唇を噛みしめる優月と、開き直っている俺と。
それから、夏の熱気、音、匂い。
甘やかに強張った雰囲気。
もちろん、俺はめくるめくエロい展開を期待している。
第二の心臓と言わんばかりに、下の方が脈打っている。
しかし、優月は熱病を疑うほど耳もうなじも赤く染まって、歩くのもぎこちなく、喋りかけても「はあ」とか「うん」とか上の空。
狼確定な俺のもとに飛び込んできた赤ずきんちゃんをどう扱えば良いのだろう。
そうだな……。
まずはエロから離れよう。
怖い話で脅かして、この空気をほぐそう。
夜の海に幽霊話はつきもので俺もその一つや二つは知っているし、優月は真に受けてさぞ面白いことに――。
「え」
パーカーの裾を握り、何をしているのかと思っているうちにたくし上げ、頭を通して砂浜に放り投げる優月。
かの有名な《和装水着ボリュームワン・巫女装束》、突然の登場だった。
やっぱりこの女はブッ込んできやがる。
白い布地に包まれた二つの果実。
腰周りを覆うだけの赤い布はあれど白いビキニボトムは丸見え。
総評としては……エロい。
「おかしく、ないか……?」
冒涜的デザインの水着を、本物の"悲劇の巫女"である優月が身に着けている。
そんな背徳感がそこにあって。
でもそれは俺の、俺だけのためで――。
「大変良いです、ありがとうございますっ!」
「……当然だ」
あれ、なんかいつもとちょっと違うな。
「禅、ぼさっとするな。海に、行くぞ」
俺は優月にパーカーの袖を引っ張られ、砂の湿ったあたりに配置された。
優月に合わせて水着に着替えた俺としたら、拍子抜けするほどの浅瀬だ。
ほどなく生温い波の先端が足元を撫でる。
「……今、はじめて来た。禅と一緒に。もう一生、それは変わらない」
「え、昨日――」
「……熱い」
無愛想に、そのままじゃぶじゃぶと進んでいく優月。
そういえば。
昨日は沙羅や陽子に「濡れたくない」と妙な注文をしていたとか。
笑ってしまうくらい些細なはじめてを大事に守っていて、それを今、がちがちに緊張しながら……俺にくれた。
それは俺にとって価値があるかといわれると、直接的には無いかもしれない。
小さい子が下手くそな折り紙の鶴を差し出してくれたものに近い。
優月にとって、相当の覚悟と気持ちの篭った儀式だったのだろう。
だから事実、嬉しくて、そんな優月がいじらしくて……。
「……熱い、な」
パーカーを濡らすことになったが、海初心者を放っておくわけにいかず俺は咄嗟に手をとった。
水位が膝の辺りになると手は握り返される。
「真っ暗……おい、禅」
「……はい」
「呼んだ、だけ」
潤んだ流し目と視線が合った。
……今日は一段と艶っぽい。
会話は続かないのだけれど。
波が胸のあたりまで来ると、指が組みなおされて力が篭った。
ふと横を見てみれば、優月の横顔がある。
こんな綺麗で弱っちそうで、現に騙されやすい生き物、よく今まで生きてきたなと感動さえした。
これからも、俺が守らないといけない女なのだ、とも。
なんせ、すごく無理するし、強がるし、欲望を我慢してしまう。
だから、現在進行形で顔面に書かれている「不安」の文字にも合点がいった。
よろよろと頭の位置が定まらず、であればずいぶん背伸びをしているはずだ。
「優月さん、もう戻る?」
あとになって気がつくのだが、俺が言い方を間違えたのだ。
俺が能動的に「怖い、戻りたい」と言えば優月はスタスタと浜に戻り、それはもうふんぞり返って海体験者顔を始めただろう。
だが、俺は緊張のあまり見えたまま――むしろちょっと意地悪なニュアンスも含んで言った。
もちろん優月は先述の通り、無理して強がった。
「足先はついてる、だいじょ――ぶひゅ」
「…………」
そして波に横っ面を舐められて、よろけた。
ダサい悲鳴付きで。
ぶひゅ、て。
甘美な緊張感を砕くあんまりな光景だった。
…………。
俺は努力した。
我慢もした。
だが、とうとう脳内でリフレインするその光景に……肩を揺らすことになった。
「そんな……そんな一生懸命背伸びしなくてもいいっつの……」
「お前、笑ってるだろ!」
「俺が支えるから……ふ、は」
「おい、笑ってるだろ!!」
「この――笑うわ! 目の前で歯ぁ食いしばって左右によたよたされた挙句に"ぶひゅ"ってされてみろ!」
「なら……! 背伸びもしないし、迷惑もかけない! 陸上の生き物なのに海とか……ばかじゃないのか、ばか! 帰る!」
「すーぐそうやってスネる! ちゃんとダメだって自覚して――! その……その、委ねろ……もう」
身体を引き寄せ、両腕で支える。
もちろん、下心アリアリで。
「……どうしてそんなに自惚れられるんだ、このばか。自信過剰。調子に乗るな……ばか……ばか」
言葉とは裏腹に、顎が肩に預けられ、華奢な腕は俺の首の後ろでしっかりと絡まっていた。
自信過剰じゃないっていう反論は……必要なさそう。
黒髪の甘い匂いも。
目の前の赤く色づいた小さい耳も。
胸に当たる暖かくて柔らかい素材も。
ただ静かに腕の中にあった。
しばらく波に揺られていると、優月が囁く。
「禅……」
潮騒に消え入りそうな声だった。
「陽子から小さい頃の話を聞いた、蝉爆弾の話。沙羅からも昔のこと、たくさん。私はずっと……ずっと、泣くのを我慢した。禅を奪られたり、禅に見捨てられるのが怖くて……」
さらに腕がきつく締め付ける。
震えている。
身体も声も。
「怪仏と戦っているときでさえ、痛がって苦しんでるのに……私のせいなのに、私のためだと自惚れてしまって……凄く嬉しくて……嫌な女だ」
それはまるで、優月が堪えていたものがボロボロと崩れて、こぼれていくようで――
「何も望んでいなかったのに……禅がいなくて、私だけ禅の思い出が無くて……それだけのことで目の前が真っ暗になってしまう。煩悩を覚えてしまったせいだ。禅を覚えてしまったせい」
――どうしよう。
俺のせいで?
どうしたら泣き止ませることができるだろう、悲しい思いをさせなくて済むだろう。
「こんなに触れて独り占めしているのに、苦しい……満ち足りそうにない」
髪を撫でて、力いっぱい支えても、泣き止まない。
失敗したくない。
どうしよう……。
「悪い女でごめん、ね……」
謝らせてしまった。
俺がぐずぐずしているから。
気の利いた言葉の一ついえないから。
そんな後悔に胸がぐしゃぐしゃと軋んでいたと同時。
首の後ろに絡んだ腕が解けて――髪の茂みに指が入り込んだと思うと、結構な力で引き寄せる。
とろんとした目が見上げていると思うと、乱暴に額同士がぶつかった。
頬も耳も真っ赤で、目の縁がきらきら輝いていて……。
そんな優月の顔がすっと近づいて、鼻先がこすれて、上唇の感触が……。
…………。
…………え。
……ちょっと待った。
酒くさッ!
なんだよ!
ようするに全部――!
「禅……ダメ、か?」
「……は」
焦らしている、だと!?
酔っ払いのクセに……?
優月のクセに……!?
こっちは性に飢えた童貞だぞ!
ナメるなよ!
酔っ払ってようが何だろうが、こんなあと五ミリ程度、がばっと出来るに決まって……!
決まって……。
…………。
…………。
「ダメじゃ……ないです」
臆した。
いやダメだろ、俺。
俺がダメだろ。
視界いっぱいに広がっている優月の目は、呆れているようだった。
だってさ!
だって!
「本当に……しょうがないヤツ」
「ん……」
間髪もなく、実にあっさりと。
五ミリどころか二センチくらい押し込まれた。
しっとりとしていて、柔らかくて暖かくて、自分のそれより小さくて。
嬉しいとかそんな名前のつくような感情ではなくて、満足と安心から俺は甘えて委ねてしまい、何も考えてなかった。
これ以上とないほどの無防備の、その上、心臓と第二の心臓どころか全身が熱くたぎるまま、無意識に水の中へ押し倒れていた。
光も音も遮断され、重力さえも曖昧な場所。
縋るように締め付けられる手足の熱を探る。
このまま溶けてしまいそうな暗闇。
優月と一緒なら、それも悪くない。
沈んでいく深みは上澄みと違って冷たく、次第にのぼせきった頭はクリアになっていく。
俺はこの後に起こりえる初体験などが巡って、思考に焦りが絡まり、それから――。
「っ!」
突然、ビリッと唇に痛みが走った。
噛まれた!
この人、噛みました!
わりと容赦なく!
さらに押しのけられたり、蹴られたり、なんやかんやで海面に頭を出すと水が叩きつけられて――
「苦しい! 殺す気か!」
――怒られた。
「……痛い」
「ばか」
「だって……しょうがないじゃん! 俺、しょうがないヤツだもん! そんな俺に、優月さんが迫ったんだもん!」
我ながら、清々しいほどトンチンカンで身もフタも無い言い訳だった。
「せ、迫ってなどいない。私は……酔っ払って、ちょっと……おかしくなっていただけで……無効、無効だ!」
「酒の力を借りてドエロい本性現しただけだろ! 無効になるか! なったら泣くぞ!」
だが、優月は反論せずふらふらと浜に早歩き。
パーカーを頭からすっぽりかぶると車道への階段を上らず、膝を折り……。
「優月さんヒドい! 童貞の純情をなんだと思っ――」
「うるさい! 私……気持ちが……」
「きもち?」
「きもち、わる……ぉう」
「え?」
「ぅお……ぉぇげぉえぇ……ッ」
「…………」
吐いた。
わりと深刻に。
「……最低」
鳴滝禅、十九歳。童貞。
コレが十代最後、夏のアバンチュールの光景となった。
そのあと何だかんだあって、全てを察して親指を立てた老執事に助けられ、俺は当初の予定通り一人でベッドに横になったわけで。
それでも、まあ……俺には十分で。
「もお~……自分だって最低な酒乱ゲロ女じゃねえか」
口ではそう言ったけれど、思い出したり、心配だったり、勘繰ったり……。
最低って言われていたあの夜、優月もこう思っていたのなら――いいな。
翌日、俺は伊豆の海を離れ、雑多なネオン街華武吹町に戻った。





