10. VS聖観音アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ
そして――宙に放り出されていた。
唐突だった。
黒い山稜。
薄紫の空に輝く月。
海に溶け出した夕陽。
眼下には、双樹の別荘の灯りが見えた。
「え」
平行移動のエネルギーが尽き、落下がはじまる。
その瞬間にようやく俺の身体は痛みを覚えて、頭は状況を理解した。
そうだ。
一気に距離を詰めたアーリヤが錫杖をバットのようにブン回し、俺は打ち上げられていたのだ。
カキーン、ホームラン! とか、そんな滑稽かつシンプルなノリで。
俺は正面からくることを察知して踏ん張ったはずだし、衝撃の後に足は地面に食い込んだはずだ。
受け止めたはずだ。
はず、なのだ。
それを確信する前に――そんな認識さえも間に合わぬ速度で、俺は。
そう、宙に放り出されていた。
ウッソだろ。
これが、怪仏化が完了した、こいつら本来の力だってのか。
思いたくなかったが、口から言葉が漏れていた。
「つ、よ……ッ」
しゃらりと涼やかな鐶の音が思いのほか近くで鳴っている。
「いえ、大したことはありません」
社交ダンスでも踊るように、アーリヤの身体が接していた。
「――ッ!」
俺は咄嗟にチャージしていた煩悩エロビームを放つ。
ゼロ距離だ。
こいつとはもう対話の余地がない、知ったことか!
だが、光は二股どころか――放射状に拡散。
まるで、ホースの先端を指で押さえられたかのように、アーリヤの表面を滑った。
「効いてないッ……!?」
銀髪がさらさらとなびいて、黄金が振りかざされる。
「あなたの如意で私を貫くことは出来ません」
真下は海。
こいつの力で叩きつけられたら最後、海上に戻れる気がしない。
あー。
死んだわ、これ。
構えることも叶わぬうちに俺の身体は――足は、赤い腕に掴まれて、方向転換。漣が往復する浅瀬に叩きつけられていた。
むしろ海水がクッションになり、俺はさほどのダメージも無く砂浜で立て直す。
「――!」
見上げた中空。
ジャスティス・ウイングとアーリヤの一閃が衝突、インパクトの瞬間に空気が波打った。
しかし、力の競り合いは刹那で、赤いヒーロースーツは今しがた俺が恐れていた軌道を描き、海面に叩きつけられる。
黒い海面上、三鈷剣が赤く翻り、水切りのように何度かはねて――赤い影が夕陽煌く波間に消えた。
「ジャスッ!」
視界が翳る。
しゃらりと鐶が歌う。
「この状況でヒトの心配が出来るとは、さすがですね」
黄金錫杖がひるがえり、俺は反射的に飛びのいた。
そして、何故かゾッとして、さらに砂浜を蹴る。
ボッ……と、つま先の直前で、砂の幕が打ちあがり、重い雨が降り注いでいた。
「避けましたか。お見事です」
「……ッ!」
隕石でも落下してきたような有様に、呆然としていた海水浴客がとうとう悲鳴をあげて走り去った。
華武吹町なら、やんやと盛り上がりそうなところ、マシな反応。殊勝なこった。
……いいや、こんなヤバい相手なら華武吹町でも阿鼻叫喚だろう。
「絶望する必要はありませんよ。私と一つになりましょう。それこそが究極の悟り、心の安寧ではありませんか」
もはやクレーターのように落ち窪んだ底で、アーリヤは手印を結ぶ。
相も変わらず、淡々と事務処理でもはじめそうな普通さで。
「……ふ、はッ! てめぇとTogetherは死んでもお断りだっつってんだよ!」
強がりを吐いていないと足がすくみそうだ。
状況はドン底。
怪仏アーリヤの白兵能力は、明らかにボンノウガーを上回っている。
それに輪をかけてヤバいのは、エロビーム――如意が、どういうわけか効かないことだ。
右手に浜、左手にサンセットの海。
ジャスティス・ウイングはどうなっているかわからない。
チャージを吐いた。
如意が効かない。
正面には完全体、完全にヤバい怪仏アーリヤ。
「ならばやはり、強制共生救済にて、生死の境目を超越し、共に至りましょう――極楽浄土の喜びに」
「合意も無しに一つになって、自分だけ気持ちよくなれればいいのか! だから、てめぇは気色悪いんだよ!」
「痛いのは最初だけです」
「しかも痛いんじゃん!」
またしてもボッと重い音を立てて目の前の砂が巻き上がる。
先ほどより分厚くて――煙幕代わりか!
「授けましょう。煩悩、寂滅為楽」
声は、すでに耳元からだった。
銀髪がバイザーを撫でる。
全身が冷たく総毛立ち、肺から空気が逃げ出す。
「ゲェッ……はッ!」
みぞおちが痛ぇ……。
吹っ飛ばされるどころか、俺は……体をブチ抜かれたのか!?
懸命に目で追う。
黄金の錫杖は貫通……ではなく、俺の横っ腹に流れていただけだった。
先端は俺の身体に衝撃は与えたものの、つるりと横に流れたのだ。
ヤツにとっての焦燥だったのだろう、ひゅおっとアーリヤの不規則な吐息が聞こえた。
黄金は華麗に回転、今度は反対側が差し向けられる。
よろめきながら、俺はそれを見た。
アーリヤの突きが、再び俺に着弾するも、接着面はどうしてか滑り、脇腹に流れる。
俺のチャージビームがはじかれたのと似ていた。
それでも――
「いっづぁ……ッ!」
――身体に走る衝撃に俺は片膝をつく。
だがアーリヤはそんな隙だらけの俺をさておき、錫杖の先端を忌々しげに睨んでいた。
「まさか、すでに……」
様子がおかしい。
なんだなんだと引き戻された錫杖を見てみれば、その両先を黒いカバーが覆っていた。
ベルトやチンターマニと同じく、文字の這う良く知ったデザインだが、どう見てもソレは――俺の語彙力を最大限に湾曲させて言えば――表面の滑りをよくしたゴムのカバーが聖なる黄金棒の先端を包んでいた。
いや、でも。
どうしてまたそんな卑猥な状態に……。
アーリヤは周囲を警戒し、俺は呆然としている最中だった。
パーッ、パパパーッ!
クラクション、それからエンジンの唸り声と、自己主張の強い音が乱入。
茜さす浜辺を、砂を巻き上げながら突っ込んできたのは、カーキ色の四輪駆動車だった。
天井の無い、外国人傭兵が乗りこなしていそうなヤツ。
荒れ狂う車体の運転席で、沙羅は亜麻色の髪を振り乱しハンドルを握る。
後部座席では、陽子がゲッソリとした顔をしながら頭を左右に振っていた。
砂をかき分けワイルドにドリフト停車したかと思うと、開いた天井から黒い筒が顔をのぞかせ、優月はそれを肩に構える。
「怪仏め、このRPG-18の錆にしてくれるッ!」
俺はその手の兵器に詳しくないが、RPG-18とはロケットランチャーのようなものらしい。
トンデモ財閥、双樹のことである。
厳ついジープにロケランが気軽に積まれていても、全く不思議ではない。
むしろ、そういうのがセレブの嗜みなのだろう。知らんけど。
問題は、それを優月に任せたことである。
俺の予想は的中、その問題はすぐさま露呈した。
「ゆづきち、それ反対じゃね? ウケんだけど」
「え」
そのやり取りが終わる前に、優月の弾頭が射出されていた。
後方に。
優月は反動で頭からすっとび、フロントガラスを越えて顔面から砂浜に。
一方、誤射されたロケランの弾頭、その白煙は幸いにも無人の海岸線を駆け抜け――なぜかUターンしてきた。
「……はあ?」
情報量が多くていまいちピンときていなかったが、強いて言えば。
それはまるで、サーフボードのように乗りこなされていた。
夕映え煌く海、RPG弾頭で波の上を華麗に滑ってくるのは――桃色のゾウさん。
物理法則を無視した有様で、どんどん近づいて。
むしろ、狙い済ましたかのように俺とアーリヤの間に向かってきて。
こっちに、来ていて。
「来るんじゃねぇーッ!」
俺とアーリヤが飛びのいた、まさしくその地点に着弾。
爆音と共にまたしても砂浜に巨大な穴が穿たれ、焼けた臭い、白煙、降り注ぐ土砂の中で淫獣が立ち上がる。
そしておもむろに、着ぐるみに手をかけ――。
「せいしの境目は守られたかッ!」
バリバリと音を立てジッパーを破壊しながら、胴体部分を脱ぎ放った。
浅黒い肌に彫刻のような逞しい凹凸の浮かぶ筋肉質な体つき。
あと既視感……というか、見覚えのあるドピンクの下着に乳首制御装置。
……いや、そうじゃなくて。
「頭のほうを取れよ」
「身体が露出したがっているんだッ!」





