エピローグ 思ひ月、言の葉尽き、
「それでは、補習授業をはじめます。今回は頑張ってくださいね」
夏休みに入ったものの、ソッコーで現代文の補習授業という有様。
とはいえ俺の学力どうこう以前に、明珠はバカ高だから結構な人数が補習クラスにいるわけで。
俺はウトウトと……いや、がっつりと机に伏せて睡眠学習に入った。
国語の先生、いい声なんだよな……。
昼寝のBGMに最適だ。
だから俺はあと一点足りずに補習を受けるハメになってしまったのだけど。
祭りの後、アケミとウンケミはしっかり意識を取り戻したらしいが「おメイクできないから誰にも会わない!」と面会拒絶。
ママの話によれば、白澤先生とあいまって病室はシャンバラよりやかましいらしい。
絶対に見舞いになんか行かない、と俺は心に決めた。巻き込まれてたまるか。
そして、赤羽根も、アーリヤとベアトリーチェを見つけることが出来ずじまいだった。
風祭タクシーとしては、華武吹町の外に出たものには関与しない、らしい。
ただ一つ、風祭さんの話としては……。
「まあ、彼よりは扱いやすそうだよ」
「彼って……?」
「アキラくん」
いつもなら釘を刺しそうな風祭さんから、その名前が出てくるのは久々だった。
違和感に左右の眉をねじった俺。
怪仏より、アキラが厄介……か。
風祭さんは一つ唸って「邪険にされても私のところに来るなんてねえ。さすがは鳴滝豪の息子だよ」と。
「とくに女の子のことになるとコレだ。親子揃って女難というか自分から首突っ込んじゃうというか……まいっちゃうねえ……」
大人しく出来る俺じゃないとわかってくれたようだけど、結局のところ、風祭さんは別の忠告をしてきたわけだ。
今の俺には痛すぎるほどの。
なんにせよ、怪仏観音が華武吹曼荼羅に描かれている六観音であれば残る観音は二体だ。
そのうち一体の聖観音アーリヤはどうも戦うつもりが無いらしい。
ならば探す相手は如意輪観音チンターマニチャクラのみ。
もしかしてアキラは……。
いや、あの黒いワンピースの女の子?
それとも……。
…………。
……考えたくない。
相手は追い詰められている。
嫌でも向こうからやってくるだろう。
それに、今は聖観音アーリヤという明確な糸口がある。そっちに重点を置くべきだ。
ちなみに沙羅は、天道さんの《奇病》に夢中で正義のヒーローに関しては興味を失ったらしい。
天道さんもUFO研究の資金として金を握らされてしまったものだから、あの魔乳の言いなりになってしまった。
進展。
停滞。
後戻り。
そんなこんなはありつつも、何より俺が最優先でやらなきゃいけないこと。
それは《二股状態を卒業する》だ。
二股ビームじゃ主戦力にならないし、何より俺の心情的に重たすぎる。
近々、胃に穴が開く。
でも……でもなあ。
陽子を傷つけないようにフる方法なんてどうしたら……。
上手くいったとして、じっちゃやばっちゃになんて言ったら……。
優月があんなツンケンした態度じゃなくて、せめてもうちょっとサインを出してくれたら、俺だってもう少しくらい頑張れるのだけどな。
「まずは、テスト範囲をおさらいしましょう」
上手いこと人間関係を豊かに、穏便に、ハッピーにする。
そういうのを教えてくれよ、現代文。
つらつらと国語教師の単調な歌が続いていた。
意識たゆたう俺の鼓膜を揺らす。
「夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳した、なんて逸話は非常に有名です。ここはテストにも出ました」
俺はそんな洒落た言葉のせいでテストを落としてここにいるわけで。
そりゃあ厄介なことしてくれたぜ、作家大先生。
にしても、本当に月が綺麗だったら紛らわしいったらないだろう。
実際、祭りの日は華武吹町に珍しく綺麗な満月でついつい見上げてしまったくらいだ。
ネオン街の華武吹町で満月を見たら「月が綺麗」くらい誰だって言う。
俺だって言う。
「またそれに対するOKの返事として、今度は二葉亭四迷が『死んでもいいわ』と訳し――」
そっちもわかりにくすぎるだろう……。
いまどきそんな古風で控え目過ぎる言い回しにときめいちゃう人間なんて……。
…………。
…………ん?
あのとき、俺はなんて……。
優月はなんて……。
――月が綺麗じゃん。
――死んでも、いいわ。
あれ?
あれ……!?
*
――鳴滝禅の補習授業と同時刻。
「即身明王の存在が知れ渡り、勢力を伸ばしているとかで。どうなっているのかしら、風祭」
黒い円卓、頭上から降る無機質な光。
六つの席は五つほど埋まっていた。
目じりの皺を濃くした吉原遊女組合長の言葉を受け、三瀬川院長が脂汗を拭う。
「それはまずい。観音なぞ、また生娘一人差し出せば良いのだ。即身明王なぞいらぬ……情報操作を! 風祭!」
「観音の脅威がなくなれば、曼荼羅条約の権威も薄れる。つまりは謀反者の剣咲組をのさばらせてしまうのだ。治安維持のために何としても即身明王の正体を洗い出さなければならない。なに、私の末端たちも協力しようじゃないか。風祭」
最後に双樹コーポレーション会長、双樹正宗の圧を受け、風祭は「ええ」と苦く首肯した。
続いて、双樹正宗は、その男に目をやる。
「さて……久方ぶりにここに足を運んだからには、何か知らせがあるのか――」
曼荼羅条約の六番目として華武吹曼荼羅に名を刻み、しかしその栄誉を抹消し、吉兆と共に再び戻ってきた男。
「――諦淨」
芒のように眉の垂れ下がった老坊主は静かに頷く。
「なにやら華武吹曼荼羅の周囲を嗅ぎまわっている者がおるでの。鳴滝禅という男を洗い直してくれんか、風祭」
鳴滝禅。
その名を聞いてわずかに息を詰まらせた風祭だが、苦味に渋みを重ねて同じように「ええ」と頷いた。
*
補習授業なんて頭に入らず、俺は血相を変えて望粋荘に駆け込んだ。
とてつもないウルトラスルーをかましてしまったが、今からでも間に合うはずだ。
頭の中で言い訳を構築しながら玄関に転がり込むと、優月が目を丸くして立っていた。
俺はほっと一息つく。
が。
その横に並んで立っていたのは望粋荘三大悪魔たち――と、数ヶ月ぶりに見る大家のばあさんだ。状況がわからぬ俺を、大家は猛禽類のような目つきで射抜く。
息切れに早鐘を打っていた心臓が、次第に凶報のリズムで拍動しはじめた。
「禅、だいぶ長いこと優月に家賃立て替えさせてるんだってねぇ」
大中小の悪魔はそれぞれ天井を見上げてしらばっくれた。
この中のいずれか、はたまた全部か――と疑っていたら、小……つまりは天道さんがニヤリと悪い笑顔を見せた。
ジジイ、沙羅に売られた報復か……!
「そ、それは私が勝手にやっていたことで――!」
俺よりも早く顔色を青くした優月が言葉を差し込み、大家の視線はぎろりと彼女に向かう。
「何言ってんだい! 電話口の様子がおかしいから、住人と上手くやれてるかあたしゃ心配して来てやったんじゃないか!」
優月が電話口でおかしいというのは、百パーセント俺が情緒の無いバカだったせいだろう。
今すぐそこのところ誤解を解くので解散してもらいたいし、これ以上家賃の話に触れて欲しくない。
「確かに、禅とは上手くいっていないとは話したかもしれないが……!」
「上手くやれてないんじゃないか!」
「あ、ええぇ、そうじゃなくて……!」
「家賃も立て替えさせられてたんだろ!」
「それは私が……すっ、好きでッやったことだ……ッ!」
狼狽してばたばたと身振り手振りを大きくする優月。
俺から顔を背けながらも、耳、それどころか首周りまで赤みが増したのが覗いて見えた。
それはもう俺まで恥ずかしくなる有様で、しかし賢明に俺を庇おうとしてくれる勇ましさもあって、胸に矢が刺さるのを覚える。
家賃はさておき、解散してくれ!
二人きりにさせてくれ!
もはや、むにゃむにゃと何を言っているのかわからない優月だったが、大家は拳を構えて一歩踏み出す。
「バカ言うんじゃないよ!!」
大家の一喝が、優月の二の句、そして俺の――解散後に二人でいい感じの雰囲気となり今夜こそちんを入れるなどといった――妄想にも割って入った。
「あんたみたいな世間知らずの小娘に仕事をやってる恩を忘れてもらっちゃこまるね!」
ド正論をブチかました大家は今度、俺に顔を向け、入ってきたばかりの玄関口を指す。
そして俺が最も恐れていた言葉を吐き出した。
「金が無いなら出ていきなッ!」
「これは話せばわかると言いますか……」
「金の切れ目が縁の切れ目!」
その勧告には、俺の口八丁手八丁も太刀打ちできず。
俺はその日、そのまま、望粋荘を出た。
<第五鐘 お祭り煩悩・終> To be Continued!





