60話 束の間の鎮火
崩れた城の頂上で炎の悪魔が吠える。広げた翼は空を焼き、振るう腕が熱風を巻き起こす。上半身のみの人のような獣のようなそれは王の魔力で急成長し、再臨しようとするアラストールその物なのだろう。
「こんな、事が...。」
絶望したように呟くアロシアスを運ぶ結晶も真っ直ぐに飛んでいない。結晶を操るロディーナも内心穏やかでは無いのだろう。
「お嬢様...。」
「お父様...。」
隣で羽ばたいている「白銀大鷲」もよろけるように飛び、上に乗るカプラーネ、スティアーラも暗い雰囲気を纏っている。周囲に「隠蔽」をかける事にのめり込み、そこまで落ち込んで見えないルセーネも、時折結晶が揺らいで見えることから本調子では無いことが分かり、エピスは嫌になる。
失うことに慣れきったエピスにとって、それを嘆く気持ちを押さえることは、息をするように行う事もできる。特に、今回確実に犠牲になったと分かるのは王だけで、名前さえ知らず恩もないとまで考えている。アルとエレシアに関しては知らない中でもなく、心配はしているが。
「今から、あれが追って来るかも知れないのにそんな調子でいいの?こっちまで滅入るんだけど。」
「...貴方は平気なのですか?」
「嘆くなら安全な時にって話だよ。そりゃあ完全に押さえろとは言わないけどね、せめて逃げるくらい出来てくれないと困る。」
「貴方のように感情を押さえられる人は少ないですよ。」
「でも、上手く押さえないと今より失うよ。せめてそこの王女様みたいに何かに集中するくらいは出来ない?」
そう言ったエピスの示す先はルセーネだ。今も動き続ける二つの物体に「隠蔽」を維持しているルセーネは、少なくとも表面上は落ち着いている。魔術を行使する思考力も残っているのは現在クレヴォールの追撃が無いことで証明されている。
「悪いけど僕は会話は器用じゃないんだ。優しく慰めてあげる事は出来ないよ。」
「自覚はあったのですね。口調も直せるなら直した方が良いのでは?」
「余計なお世話だよ。気が紛れたんなら、そっちのお姫様のお世話でもしててよ。」
持ち前の目の良さを活かすべく、メテウスの隣にいき薄暗い夕闇の中で先に撤退した三人がいる場所を探すエピス。
彼の分かりにくい親切は、受けた人物によってはケンカを売られたと思われるだろうと、懐かしく思うカプラーネはスティアーラを落ち着かせる。スティアーラとルセーネは、現王とは話したことも無いためショックの大半は火への恐怖だろう。クレヴォールから離れていることで少しずつ落ち着く二人にカプラーネは寄り添い話すだけで良かった。
「見つけました。あの天幕ですね。」
「木に囲まれている天幕かね?」
「あのバカが寝てるので間違いないですね。」
自分の事を棚にあげて、天幕の入り口で座り込んで眠っているパンテルを非難するエピスからは、どことなく安堵の感情が見てとれる。従兄らしく、心配でもしていたのだろう。
大鷲が着地し、皆が降りて消える。隣にロディーナとアロシアスも降り立った。
「皆無事だったか。...いや、二人いないな。」
「死んだと決まったわけでは無い。我が娘と王子、いや殿下の切り札だ。」
「殿下?...そうか。ではあれはもしや本物の悪魔か?」
「分からん。」
二人の大人がお互いに現状を伝える傍ら、カプラーネは少しでも休めればと皆を天幕へ連れていく。パンテルに蹴りをいれているエピスが気づいたときには、天幕が開けられていた。
「ケア...ニス...様?」
「そんなっ...!」
「あー、遅かった。」
治療中のケアニスは、右足は剥き出しのまま全身の火傷に薬品の染みた包帯が巻かれている。魔術で治療を施している為、呼吸も安定し命に別状は無い。しかし、今しがた逃げてきた恐怖の対象に、ただ一人自分達を逃がすために残った少年の凄惨な姿は、今までケンカすらした事のない二人の少女を打ちのめすには十分だった。
「ありゃしばらくダメかな。君は大丈夫?」
「少し、気分が優れませんが...大丈夫です。」
「そんな青い顔で言われてもね。結晶姫さん、妹二人は任せてもいいですか?」
「えぇ、「具現結晶・吸魔」も回収しましたし、しばらく出来ることも無いですもの。可愛い妹ぐらいまかせてくださる?」
随分と回復した魔力でなにやら魔術をかけてそこいら中を癒して回ったロディーナが天幕に戻る。ケアニスの治療にも参加するようでその魔力量が際立つ。
「それでは私は、娘とアル殿の救出に向かう。トライトン卿、此所と殿下を頼む。」
「任された。残党兵や魔獣ごときならば遅れはとらん。メテウス殿こそ気を付けられよ。」
「うむ。」
夕日に飲み込まれるような城に再び大鷲が舞う。不気味な明かりを乗せた城は不吉の始まりでも暗示するかのようだった。




