91.世界を変えるために
「こんにちは」
「咲ちゃん!」
ドーナツを食べ終えた三条さんに猫丸を預かってもらって、昼食を食べていると扉が開く。
吾妻さんだ。
甘いものを選ぶ気になれなくて、ソーセージが挟まったパイを食っている俺とばっちり目が合った彼女は「美味しそうなもの食べてますね」と微笑んでみせた。
「最後の一個だし口つけちゃったよ」
「欲しいわけじゃありませんよ」
「コタの食べかけなんて絶対ダメだよ!」
いや、そんな汚いみたいな扱いされると傷付くけど?
きっとそんな意味合いは含まれてはいないんだろうけど、複雑な心境になりながらもぐもぐとパイを食う。
「猫ちゃんも居るんですね。こんにちは」
「こんにちわあ」
猫丸を抱えた三条さんが、ふさふさの手を取ってふりふりしながら裏声で声をあてる。
そのおっさん顔の猫は絶対にそんな声では無いなんて、無粋な突っ込みを入れる事の出来ない雰囲気だ。
俺の邪魔者感が半端ないのでどうしたものかと悩んでいると、開けっぱなしの扉の向こうから、ヒナちゃんがひょっこり顔を出す。
「あれ? 遅刻かな?」
「そんな事ありませんよ。私も今来た所です」
「ほんと? よかった!」
全員集合だ。
残りのパイを口に放り込んで、重ねられた椅子の束を解体しにかかる。
部活のメンバーが五人で、当初は五十嶋さんも誘う予定だったので、椅子は六つある。
適当に置いた椅子を各々が回収し、二つ合わせた机の周りに四つ、椅子が並んだ。
机、どっかから持ってくるべきかなぁとも思ったが、正直吾妻さんとヒナちゃんは教える方に回るだろうから、必要無いかもしれない。
必要になれば運んでこれば良いか。
「お菓子買ってきたから適当に食べてね!」
「やったー!! ヒナお昼食べてない!」
「ちゃんと食べなきゃダメですよ」
「えへへ」
食べなかったというよりは、用意されなかったという事なのかもしれない。
ドーナツ、ヒナちゃんの分も買ってくるべきだっただろうか。
後で休憩でも挟んでコンビニに行くべきか、なんて考えていると、扉ががらがらと開かれる。
「皆の衆! 聞いて驚け! 五十嶋さんの登場だ!!」
言うまでもなく、水無月仁美だ。
胸を張り、得意げな顔で順々に視線を投げ掛けた水無月仁美の後ろには、五十嶋桂那が立っていた。
本当に、連れて来れたのか。
半ば無理だろうなと思っていただけに、衝撃が大きい。
三条さんや吾妻さんは、ろくに会話をした事が無いはずだ。
金色のツインテールがゆらりと揺れて、五十嶋桂那がお辞儀をしたのだと気付く。
整った顔が伏せられて、例の、耳がくすぐったくなる声が部室に響いた。
「五十嶋桂那です。よろしくお願いします」
「五十嶋さん……! よろしく!」
「よろしくお願いします」
「ヒナだよ! よろしくね!」
特別何も気にしていないヒナちゃんを除き、俺を含めた三人の表情が強張る。
この部室は、三条さんと吾妻さんにとって安息の地だ。
そこに、特別親しくも無い人物が居ることは、彼女たちにとって警戒するべき事なのだろう。
顔を上げた五十嶋桂那は、至極無表情だ。
そんな五十嶋桂那に、吾妻さんが椅子を勧める。
その様子を見ていた水無月仁美は、受け入れられていると判断したのだろう。
「そんじゃ、お姉さんはまだお仕事あるから、後でまた来るね! 猫丸預かってて!」
「え?」
嵐の様に去って行った水無月仁美は、また扉をしめないので、五十嶋桂那が閉めてから、勧められた椅子に腰を下ろす。
――無言。
重苦しい空気が重石のようにのし掛かっている。
「ねえねえ、ヒナお菓子食べていい?」
「めっちゃお腹空いてるじゃん。ごはん食べて来たらよかったのに」
「パン。いりますか?」
五十嶋桂那だ。
その発言に、彼女以外の全員が目を丸める。
「ヒナにくれるの?」
「昼食に買って、余っているので。腐らすのも、もったいない」
「くれるなら欲しい! ヒナもらうよ!」
五十嶋桂那が自分の鞄から、パンを取り出す。
菓子パンだ。苺ジャムの入った菓子パンと、ついでにとばかりに野菜ジュースが出てくる。
「あはは、五十嶋さん。なんか怖そうだなーって思ってたけど、面倒見いいんだね」
「ほんとにヒナ貰ってもいいの!?」
「はい。食べてください」
「ありがとうーーー!!」
「足りなければメロンパンもありますよ」
「どんだけ食べるつもりだったの!?」
「どっちもヒナ大好きだよ! ありがとう!!」
「ふふふ、優しい人なんですね」
「ツインテールに悪い人はいないよね!」
どんな理論だ。
女子同士で楽しそうにしているもんで、口を挟まずにいたけれど、思わず突っ込んでしまいそうになった。
『ケイちゃん、やっぱ髪型が良くないと思うな』
『髪……?』
『ヒナとお揃いにしようよ!』
『私には似合わない』
『そんなことないよー! ヒナがやったげる』
『えええ……』
――なんだこれ。
以前、聞いた事があるような気がする会話だ。
けれど、俺はヒナちゃんと五十嶋桂那が話している場面なんて、今初めて見る。
『ケイちゃん。お腹すいた』
『パンあるよ』
『ジャムパン?』
『うん』
『さっすがー! だいすき!』
ヒナちゃんが抱き付くもんで、二房に分けられた髪が揺れる。
頬にほんのり朱をさして、普段表情の変わらない五十嶋桂那が、ヒナちゃんの前でだけは、笑うんだ。
――ああ、そうか。
これはいつかの、今ではないこの世界の記憶だ。
五十嶋桂那はずっと、ずっと一人で覚えている。
だから、今でも、ヒナちゃんの好きなパンを用意して、ヒナちゃんがしてくれた髪型を守って、彼女はひとりで戦っている。
ヒナちゃんが虐げられる、救いのない、世界を変えるために。




