86.何、隠してるの?
学校へ辿り着いた頃には、昼休憩が終わっていた。
三条さんから『部室の鍵って持ったまま?』とメールが来て、我に返った俺は学校に戻って来た。
「体調、大丈夫?」
「うん。寝不足だっただけだしね」
保健室に居た三条さんを迎えに行って、部室に向かう。
正直、思考が停止していた。
前を向いて歩いていたはずなのに、後ろを向いて歩いていたんだと指摘されてしまった気分で、最早自分が何処へ向かえば良いのか分からない。
「水無月さんが来たよ」
「……何か言ってた?」
「猫の小屋作ってって。部室で図面引くね」
本当に何でも出来るんだなと、関心してしまう。
何やら張り切っている三条さんは「咲ちゃんにも声掛けたから放課後来てくれるよ」と、嬉しそうに笑っている。
「コタも手伝ってね」
「気が向いたらで良い?」
「ダメ」
何かする事があった方が、気が楽な気もする。
溜息をひとつ溢してから「わかったよ」と同意の言葉を投げておいた。
「楽しいよね、コタと出会ってから」
静かな廊下に声が響く。
旧校舎四階。放課後部活が始まってからなら多少の人の出入りもあるが、授業中にこの校舎に訪れる人は少ない。
部室の鍵を開けながら、三条さんは今までを振り返るみたいに、小さく小さく呟いた。
「前までの自分じゃあさ、朝までメールして寝不足とか。あり得ないもんね」
ドアを開けて、入っていいよと促されたので、先に部室へ足を踏み入れる。
今朝適当に放り入れた俺の鞄が床に寝ていたので、拾い上げて隅の方へ寄せる。
「猫の小屋、作るでしょ。テストの勉強して、期末のテストもあるから暫くは勉強じゃん。終わったら、夏休み」
ドアを閉めながら、指折り数える三条さんの横顔は、夢を語る少女みたいだ。
「夏っていえばね。毎年、この辺で大きな花火大会するんだよ。アタシは毎年、家で音聞いてるだけだったけど」
椅子に腰を下ろした俺を見ながら、何にも知らない三条さんは、先の話をする。
普通の高校生の女の子が、当たり前の、日常の先に続く予定の話をするみたいに。
その言葉が酷く胸に刺さって痛んだ。
ループを繰り返す事は、彼女たちにとって悪い事なのだろうか。
毎周毎周、俺が助けに入れば、同じルートを辿る事が出来るんじゃないだろうか。
幸せな高校生活だけを、延々繰り返す世界は、そんなに不幸なものでも無い気もする。
「よいしょ」
椅子があるにも関わらず、三条さんは机の上に座った。
そうして、椅子に座る俺を見下ろす。
暫くは真っ直ぐ前を向いていたので、その横顔をぼんやり眺めていたけれど、不意に、彼女は顔だけ此方へ向けた。
青い瞳が綺麗に揺れて、真っ直ぐに俺の事を捉えていた。
「花火、二人で行く?」
恥ずかしさを誤魔化すみたいに、足をぱたぱたと揺らして。
返事もせずにいると、気まずさからか顔を逸らして、また前を向いて、自身の横髪を指先で撫でる。
「冗談だよ。皆で行けたら、嬉しいね」
無理に明るく振る舞うような、調子を上げた声でそんな風に言うもんだから、何故だか涙腺が刺激されて涙が出そうになった。
「三条さんはさ、」
「……何?」
「大人に、なりたい?」
会話になっていないし、唐突な質問過ぎて、困るかもしれない。
けれど、彼女本人が未来を望むのであれば、俺はそれを免罪符に行動する事が出来る気がした。
誰よりも一番、この世界で共に時間を過ごしたのは、三条さんだからだ。
「うーん。――うん、怖いけど、大人にはなりたいかな。今が永遠に続けば良いとは、思わないよ」
こんな訳の分からない質問にでも、彼女は素直に答えてくれる。
その言葉だけで、良い気がした。
その言葉だけで、十二分に、鴎太を見捨てる、理由になる気がした。
「ねえ、コタ」
顔を逸らしていた三条さんが、再び俺を見る。
俺は、よっぽど可笑しな顔をしているらしい。
俺の顔を見た三条さんは、小さく笑って、それから小さな子を宥めるような口調で、言葉を続けた。
「何、隠してるの?」




