84.思い出した?
「まさかだったね……」
「まさかでしたね……」
駅近くにある動物病院。
ガラス戸を開いて、水無月仁美を促せば「どうもどうも」と軽いお礼と共に、彼女は外へ出る。
猫丸を連れて動物病院へ赴いた俺と水無月仁美は、神妙な面持ちで椅子に座り、相変わらずの菩薩顔で鞄の中に収まる猫丸の大切なものについて思いを巡らせていた訳だが、俺の悩みの種は、獣医の一言によって打ち砕かれた。
『うん。猫丸くん既に去勢されてますね。元々は飼い猫だったんじゃないかなぁ。凄くお利口さんですし』
股間をまじまじと見た事なんてなかったし。
既に無いだなんて、思わないじゃないか。
「はーー、よかった! これで学校で飼えるね!」
「学校で飼えるんですか?」
「許可取ればいけるんじゃないかな」
「許可ですか」
「取れたら君たちに猫小屋を作ってもらおう」
猫丸入りの鞄を抱えながら、ご機嫌の水無月仁美はそんな事を言う。
何で俺がそんな事をしなければいけないんだと文句を垂れてやろうと思ったが、それを察したらしい水無月仁美が「部活」と得意げに言ってみせた。
確かに、活動内容が美化活動と保全活動ではあるけれど、猫の住処を作るのは活動範囲外じゃないか?
「ほらほら、誰のおかげで部室が手に入ったのかなあ」
「……わかりましたよ」
渋々ながら了承を伝えると、水無月仁美は嬉しそうに人差し指と中指を立ててピースサインを見せつけてくる。
不本意ではあるけれど、三条さん辺りに投げれば楽しみながらやってくれるだろう。
今頃は保健室で休んでいるし、午後から活動出来そうならお願いするか。
戻る頃には昼前だろうし、そろそろ五十嶋桂那に連絡を取らなくてはと考えていると、ポケットから着信音が鳴り響く。
俺のものだ。
取り出せば、小さなディスプレイには五十嶋桂那と表示されている。
知らない番号から掛かってきても普段は電話に出ないので、登録しておいたのだが、まるで心を読んだかのようなタイミングだ。
「水無月さん。用事思い出したんで、一人で学校に戻って貰えますか?」
「ん? 良いけど補導とかされないようにね」
「はい。気を付けます」
今まで二度、学校をサボってこの辺りをうろついたが、誰にも声を掛けられなかったし補導なんてシステムも恐らく無いだろう。
適当に返事をしてから、俺は二度行った事のあるファストフード店へ足を向けた。
そこくらいしか、腰を据えて話せる場所が思い付かなかったからだ。
ホットコーヒーを買って、席へ着いてから携帯電話を開く。
幸い、昼時から外れている所為か、周囲に客はいなかった。
着信履歴から五十嶋桂那に電話を掛ければ、三回もコールしない内に、電話が繋がる。
『進捗報告。聞くために』
相変わらず、単語単語で話す彼女は、要件だけを口にした。
話が早い事に関しては、とても有難い。
「モブ子には会った」
『思い出した?』
「うん」
日向の事を、五十嶋桂那は知っていたのだろう。
俺は過去に、日向の事を五十嶋桂那に話している。だからこそ、彼女は俺をニイちゃんと呼ぶのだ。
田中太郎はハンドルネームのようなもので、本当の俺を指す呼び方が兄ちゃんしか無いからだ。
『――約束は?』
「日向との?」
俺は日向と早く帰るという約束をしていた。
五十嶋桂那の言う約束が何を指すのか分からないので、取り敢えず心当たりのあるものを伝えてみる。
けれど、返ってきた言葉は、えらく悲しそうな声音で『違う』という、否定の言葉だった。
『ニイちゃんは、私と、もう一人。この世界の二人と約束した』
「――どんな、約束?」
『それは、言えない。禁止ワード。それに、過剰な手助けをすると、もうひとつの約束が反故になる可能性がある』
二つの約束。
勿論、心当たりなんてものは全く無い。
五十嶋桂那と他に関わりのありそうな人物は、ヒナちゃんくらいだ。
けれど、ヒナちゃんに五十嶋桂那や二ノ前満月ほどの特異性は見られない。
五十嶋桂那の言い方から考えると、反故になると困るような約束を、俺は誰かとしたんだろう。
困るという事は、俺が約束をしてもらった立場という事だ。
報酬があったり、何か俺のメリットに関わる事なのだろう。
『思い出しては無いけど、進んではいるみたい。良かったよ』
電話口の声は、変わらず悲しそうな声ではあるけれど、どこか安堵しているような、そんな様子も窺える声だった。
『また、チャンスがあれば電話する。予想外の進展があった場合は、そちらからお願い』
「今日は、なんで電話出来たんだ?」
『鳳凰鴎太が会いに来たから』




