83.大切なものは、俺が守る
「んなあ」
「……居るのかよ」
花壇へ向かえばそこには日向に寝そべる猫丸の姿があった。
あれだけ毎日追いかけている水無月仁美は、何故見付ける事が出来ないのだろうか。
俺を見るなり、ふなふなと声を上げながら近付いて来た猫丸は、立ち上がるように俺の足へ前足を掛けると、そのまま伸びをする。
素直に水無月仁美へ引き渡しても何ら問題は無いのだろうが、猫丸には、それなりの知能があるんだろうなと俺は考えている。
人語を理解するし、人間に対して協力的だ。
鬼ごっこをした際に俺の逃走を手伝ってくれた件を考慮すると、ただの猫で無い事は確かだ。
花壇の縁へ腰を下ろせば、猫丸は躊躇う事なく俺の膝の上へ乗る。
こうも懐いてくれているコイツを、水無月仁美に引き渡しても良いのだろうか。
コイツの掛け替えのない大切なものを、奪う覚悟が俺には無い。
――あと、冗談でも転生者じゃないのかと考えてしまった事がある以上、そうであった場合のコイツが哀れ過ぎて居た堪れない。
「でもお前野良猫だもんな」
「ふご」
地域で飼われている野良猫が、そうした対応をされているのは何だかの動画で見た事がある。
増やさないように、は大切な事なのだろうし、コイツは雄だ。
そこいら中に種を撒く可能性だって無くはないのだろう。
「……うちの子になるか?」
うちの母は猫が好きだ。
現実世界の実家の部屋が一室猫部屋として使用され、豪華なキャットタワーがその部屋と居間にふたつ鎮座している程、猫に肩入れしている。
連れて帰れば喜びはするのだろうけれど、それは猫丸にとっては良い解決方法では無いだろう。
コイツは、校内で気ままに暮していたいだけなのだろうし。
相変わらず人間の言葉を理解しているようで、重要な話をしている事は分かるらしい。
膝の上に乗った猫丸は丸くなる事も無しに、ちょこんと座って俺を見上げている。
俺の行動でコイツの大切なものの処遇が決まると思うと、少し心が痛かった。
「あ! 猫丸いるじゃん!」
水無月仁美の声が聞こえる。
顔を上げれば、遠くから走ってくる水無月仁美が見えた。
虫取り網を振り回し、頭の尾っぽを振り乱し、此方に向かって駆けてくる。
猫丸は逃げない。
目を細め、穏やかなおっさん顔で此方を見上げている。まるで、俺に全てを委ねるとでも言いたげな、菩薩顔だ。
「ナイス……! 田中くん!」
近くまで走ってやって来た水無月仁美は、肩で息をして、顔を赤くしている。
よっぽど真剣に走って来たのだろう。
――けれど、俺にはやはり猫丸を引き渡すなんて、そんな無情な事は到底出来ない。
コイツの大切なものは、俺が守る。
「水無月さん。俺、コイツを飼おうと思います」
「へ……?!」
「連れて帰って、俺が病院に連れて行きます」
「ど……どうしたの急に」
「猫丸には恩もありますし。猫丸が望まない事はしたく無いと考えたんです。モノを取るのが嫌だとコイツが判断するのであれば、家の中からは出しません」
「でも、猫丸めっちゃウンコするよ?!」
「躾けます」
「雄だから去勢しないとマーキングとかさ」
「その時はその時です」
「でも……、猫丸居なくなったら寂しいじゃん……!」
「あ、やっぱり追いかけるの楽しんでたんですか」
道理で本気で捕まえる気概が見えないと思った訳だ。当の本人も追いかけっこを楽しんでいるのだ。
猫丸もそれに付き合って逃げてやっていたのだろう。だからこそ猫丸もすっかり隠れてしまう訳では無く、水無月仁美の前に時折姿を見せていた。
「でも、学校で飼うには取る取らないの問題は避けて通れないじゃないですか」
「そうなんだけど……」
「水無月さんの家で飼いますか?」
「いや、家ペット禁止なんだよね」
「なら俺が」
「いやいやいや」
水無月仁美はぶんぶんと首を左右に振る。
それから、握っていた虫取り網を手から離し、俺の足に縋るようにしゃがみ込んだ。
「猫丸も私と一緒に居たいよね?!」
目に涙を浮かべながら、俺の足にしがみつき、猫丸の身体に顔を埋める。
足に色々押し当てられていて迷惑極まりないのだが、逃げるにしても距離を取るにしても、足を取られている以上身動きが出来ない。
必死に水無月仁美の肩を押し、突き放そうと試みるが、いつもの如く、俺の力は弱かった。
「離れてくださいいいい」
「いやだああああねこまるうううううう」
これぞ正しく、不毛な争いだ。
べしょべしょと涙を溢し顔に猫の毛を擦り付ける哀れな大人は、まるで引かない。
野良だぞコイツ。汚いなとか、抵抗は無いのだろうか。
「とりあえずうう、病院だけいこ、健康診断しに……」
鼻を啜りながらそう言った水無月仁美は、何が何でも猫丸を病院に連れて行きたいらしい。
まあ、健康診断くらいなら良いのかもしれない。病気は心配だし。
「そうですね、病院くらいなら。ただ、俺も行きますよ」
「よし! そうと決まれば今から行こう!」
「え、今からですか?」
「今から!」
水無月仁美はがばりと顔を上げて、八重歯を見せて笑ってみせる。
涙でべちょべちょの顔は、これでもかというくらいに幸せそうだ。
引きそうも無いし、ついて行けば、最悪の事態は阻止する事が出来るだろう。
サボりに対して全面肯定な件については最早突っ込んでも仕方が無いだろうし、今から行けば昼までに戻っては来れるはずだ。
「わかりました。行きましょう」
「よしよし! 猫バッグ持ってくるからちょっと待ってて!」
水無月仁美は、それだけ言うと、立ち上がり旧校舎の玄関口に向かって走って行った。
俺と猫丸と、虫取り網だけが取り残されて、周囲から一気に音が無くなったみたいに静かになる。
「逃げたければ逃げていいぞ」
「んなあご」
声を掛けたけれど、猫丸は逃げなかった。
受け入れるという事だろう。
覚悟が決まらないのはどうやら俺だけのようで、一人寂しく、溜息を吐いた。




