79.擽りますか?
「タロくん、なんでそんなに青い顔してるの?」
職員室に鍵を返却して、校内にある自動販売機の設置場所に向かえば、そこには三人が立っている。
一番に俺に気付いたヒナちゃんが、ぱたぱたと此方に駆け寄って来て、俺の顔を覗き込む。
左右二房の髪が揺れて、陽に照らされたそれはきらきらと輝いている。
「なんでもないよ」
笑ってみせて、ヒナちゃんと一緒に吾妻さんと三条さんの元へ向かう。
心当たりがあるらしい二人は各々目を逸らしていて、そんな二人を不思議そうに、ヒナちゃんは見ている。
「ジュース何にするか決まった?」
「ヒナはね、オレンジジュースがいいな。サキちゃんはリンゴね!」
「アタシもリンゴね」
吾妻さんの事をサキちゃんと呼ぶようになっている事に少し驚きながら、財布を取り出し、自動販売機に小銭を飲み込ませる。
ついでに俺の分も買って、計4つの紙パックのジュースが並ぶ。
「中庭行こうよ」
三条さんの提案に、他二人が頷いたので、俺もそれに倣った。
本校舎と南館を繋ぐ渡り廊下の間にある中庭は、昼をそこで食べる生徒のために、飲食スペースが設けられている。
道すがら、三条さんと吾妻さんが次のテストについて雑談する後ろ姿を眺めていると、会話に混ざらず横を歩いていたヒナちゃんが、小さな声で話し掛けて来た。
「何かあったの?」
前の二人を窺うような素振りを見せながら聞いてくるので、この二人と何かあったのだと察しはついているのだろう。
曖昧に笑って「なんでもないよ」と伝えたけれど、納得していない様子でヒナちゃんは頬を膨らませた。
「ヒナはタロくんのことお兄ちゃんだと思ってるのになぁ」
横目で俺を見ながら、反応を窺うように笑ってみせるヒナちゃんは、暗に味方だよと伝えてくれているのだろう。
「相談ならいつでも乗るからね」
それだけ言葉を残して、ヒナちゃんは前の二人の間に割って入るように突撃して行った。
「勉強ならヒナが教えてあげるよ!」
「なんでヒナに教えて貰わなきゃいけないの」
「ヒナ頭いいよ! 高一のテストくらいなら余裕だよ!」
「な……っ、咲ちゃんに教えて貰うからいいし」
「皆で勉強会しましょうか」
「さんせー! タロくんも参加ね!」
勝手な方向に話が進んでいて、咄嗟に断らなくてはと考えた。
けれど、俺にはもう、パラメーターを上げてはいけない理由が無い。
パラメーター値が吾妻さんや三条さんの好感度増減に関与しない事は、随分前に分かっているし、モブ子を追い掛ける為の縛りも最早意味が無い。
「コタも勉強、する?」
子供が親のご機嫌を窺うみたいな目をしている。
三条さんは、俺が勉強や運動を避けている事を一番傍で見ていたから、俺にとって嫌な提案だろうと考えているのかもしれない。
その上で、参加してほしいと顔に書いているもんだから、少し笑えてしまった。
「いいよ。俺も勉強する」
その一言で、三条さんは凄く良いことが起きたんだと言わんばかりに、表情を明るくさせた。
周りに花が散っている幻覚が見えるくらいに顔を綻ばせる。
にこにこと笑みを浮かべているくせに、言葉だけは取り繕って「コタも流石にテスト前には勉強しなきゃいけないもんね」と、もっともだとでも言いたげに頷いてみせる。
「スイちゃんってそういう所可愛いよね」
「は……?!」
こうなると戯れ合いが始まってしまう。
ヒナちゃんは言ったが早いか向こうの方へ走って行ってしまったが、三条さんから逃げる訳がない。
ひっ捕まえられて、脇腹の辺りを擽り倒されている様子をぼんやり眺めていると、同じくそれを眺めていた吾妻さんが「羨ましいですね」なんて、呟いていた。
――あれが、羨ましいか?
「え、擽られたいの?」
「擽りますか?」
くるりと此方を振り返り、ばんざいをしてみせた吾妻さんは、此方の出方を窺うような目で俺を見ている。
無抵抗で、身を委ねますと投げ出された身体を擽れと?
「いや、しないよ?」
「残念です」
心から、残念そうな顔をする。
吾妻さんの考えていることが本当に分からず頭を悩ませていると、遠くから「あーーーー!!」と声が響く。
三条さんだ。
「ここここここた! 咲ちゃんに何してんの!!」
「何もしてないよ」
もの凄い勢いで此方へ戻って来た三条さんは、俺と吾妻さんの間に入り、両腕を広げる。
とうせんぼをする形で胸を張るこの子もまた、距離が近いので悩みは増す一方だ。
「俺の事は放っておいて、三人で戯れててよ」
「言われなくてもそうする!」
吾妻さんの手を引き「行こう、咲ちゃん」と声を掛ける様子を見て、胸を撫で下ろした。
三人で仲良くしている様子を見ていると、微笑ましい気持ちになる。
俺がその関係を割いてしまうような事があるのであれば、側に居るのはやめた方が良いのかもしれないな、なんて考えてみる。
けれど、出来るなら彼女たちの事を側で見守っていたいな、とも思ってしまう。
少しずつ進歩する、成長する彼女たちを見ていると、背中を押されている気持ちになるからだ。
「コタも勉強会参加だからね!」
「はいはい」
一足先に中庭へ辿り着いた彼女たちが、設置されている椅子に座る。
木製の机と椅子が用意された四人掛け用の場所。
大人数用の大きなものや、後から増設されたらしい簡易の机や椅子もあったが、彼女たちが選んだ場所は、人数ぴったりが座れる、その場所だった。
二人掛けの椅子が二つ、机を挟んで並べられている。
終業時刻も過ぎているので、何組か用意されている他の席も半分くらいは埋まっていた。
時期柄、夏程暑くもないが春先ほど涼しい訳でも無いので、勉強をしている生徒なんかも数名居る。
その空間に溶け込んだ彼女たちは、至極自然だ。
普通の、女子高生だ。
楽しそうにしているもんだから、三人のままにしてあげるくらいの気は利かせるべきではないかとも、考えた。
けれど、それを遠巻きに見ている男子生徒が数人近付こうとしているのも見えてしまったので、空いていた吾妻さんの隣の椅子に大袈裟に腰掛ける。
一睨みしてやると散って行ったのは、俺が恐れられているからでは無く、牛鬼の行動の及ぶ範囲内である事が大きな理由だろう。
校舎も近いので、叫べば多分、駆けつけて来る。
「どうかしたの? コタ」
「いや、なんでもないよ」
知らせて怖がらせる必要も無いので、適当に誤魔化してみせると、三条さんは「ふうん」と声を溢しながら、先程買った紙パックのジュースをちゅうちゅう啜る。
「それでさ、勉強会。明日から部室でやろうよ」
「ヒナも来ていい?」
「学校は?」
「仮病使うもん」
「それバレるでしょ」
「ヒナの仮病バレたことないよ!」
「誇れる事じゃないし」
何でも無い会話が繰り広げられる中で、俺の制服の裾を吾妻さんがぎゅうと握り締める。
机の下に隠れているので、二人は気付いていない。
吾妻さんは、遠巻きに見ていた男子生徒に気付いていたのかもしれない。
そっとその手を握ってみると、小さく震えていた。
これもまた、日向が一人で震えている時に、安心するまで手を握って傍に居てやっていた所為で身に付いた、癖なんだけど。
身に染み付いたそれは落ちないとは良く言ったもので、俺は手を握ってしまってから、あまり良い事では無いと気がついて、心の中で溜息を吐いた。
爪を噛む癖を治せない子供みたいだ。
握ってしまった手前、もう吾妻さんが落ち着くまでそうしているかと諦めて、二人の話に耳を傾ける。
幸い、俺たちの座る席は、直ぐ後ろが植えられた低木なんかになっていて、後ろを通る人も居ない。
二人掛けの席で元々の距離も近いので、正面から見てもそう不自然でも無いだろう。
何より、二人は半ば戯れ合いを始めているので、此方に気も向いていない。
ちらりと此方を盗み見た吾妻さんと目があったので、笑っておく。
すぐに目は逸らされてしまったけれど、手は繋いだままだ。
まだ微かに震える彼女の手を握りながら、こんな世界、全部丸ごと変えてしまって、彼女たちが普通の女の子になれれば良いのにと。
神が居るのであれば、そんな世界にしてくれれば良いのにと、願わずにはいられなかった。




