75.ごめんね
「コタ!」
階段を上っていると、丁度上から降りてくる三条さんと鉢合わせた。
「三条さん?」
「遅いから心配したじゃん。皆もうとっくに戻って来てるよ」
いつ入れ違ったんだろうか。
ずっと一階にいたので、追い抜かれていれば気付いたはずだが、あの空間自体が可笑しなことになっていた可能性もある。
考えても仕方が無いのかもしれない。
「……コタ、何かあった?」
後もう少しで上りきるといった辺りで、三条さんが心配そうに俺を見る。
じっくりと相手の顔を見ることなんて、心に余裕がなさ過ぎて、していなかったのかもしれない。
三条さんの瞳はきらきらと輝いていて、とても綺麗だった。
澄んだ青色がゆらゆら揺れて、動揺しているのが見て取れる。
「まあ、色々と?」
「何で疑問形?」
「ちょっと頭が追い付かなくて」
待たしているのであれば、急がなきゃいけないなあと考えて、階段を上ろうとした俺の肩を、三条さんが掴む。
俺よりも高い位置にある三条さんの瞳を覗き込めば、そこにあったはずの迷いが消えていた。
「何があったの?」
話さなければ離さない、とでも言いたげに、三条さんは俺の事を、真っ直ぐに見詰める。
日向は、三条さんに似ている。弱いところが。
日向は吾妻さんに似ている。怖がりで臆病なところが。
日向はヒナちゃんに似ている。居場所が無いのに、何でも無いように笑ってみせるところが。
全部が彼女に繋がっていて、大切な事に変わりは無くて、けれど日向が居ないことは、大丈夫だと思っていても、大丈夫ではなかったのかもしれない。
帰るなら、帰る前にと繰り返し、帰れる事を前提にして考えていたけれど、その確証は何処にもない。
胸に込み上げてくる何かに押されて、目頭が酷く熱い。
「俺、そんなに顔に出るのかな」
「出るよ。コタは、わかりやすい」
三条さんに言われたくはないかもしれない。
一生懸命に俺を見て、痛いくらいに肩を握る三条さんは、とても必死だ。
「好きだと思っていた人が、思い違いだったんです」
三条さんにこれを話すのは酷かもしれない。
少なからず、俺の事を好いてくれていることはわかっていて、でも俺はそれを受け入れるつもりがない。
生まれたばかりの雛が刷り込みで親を認識するみたいに、俺の事を好いてくれているだけだと分かっているから。
話すべきではないのに話してしまうのは、俺の弱さだ。
話してしまうことで、罪悪感が生まれる。
俺は責任を持って彼女を未来に導いてあげなくてはいけなくなる。
俺がこの世界から逃げない為の、理由になる。
そんな、ズルさばかりの俺の言葉を、三条さんは真剣な面持ちで聞いていた。
「大切な妹に、似ていたんだ。だけど、会ってみたら全然違った」
「……妹さんに、会いたいの?」
「会いたい。でも、俺はまだ此処に居なきゃいけない」
「大切な人なんでしょ……? 会いたいなら、会いに行けばいいじゃん」
「遠い場所なんだ。会いに行ったら最後、此処には戻ってこれないから」
その言葉を聞いて、三条さんは俺に伸ばしていた手を引っ込めた。
後押ししたい気持ちと、したくない気持ちが、彼女の中で押し問答しているのかもしれない。
そんな素直な所が三条さんのいい所だよなと、少し笑ってしまった。
「此処から離れる気はまだ無いよ。三条さんの事側で見てるって約束したし。吾妻さんの事も、ヒナちゃんの事も、今全部捨ててしまったら、後悔しそうだ」
本心だった。
精一杯笑ってみせたけれど、キチンと笑えているのかどうかは、わからない。
その言葉を聞いた三条さんは、再び俺に手を伸ばす。
気付いた時には、顔が温かいものに包まれていて、柔らかいものに押し当てられていて、いつか嗅いだベリー系の、あの香りに包まれていた。
――抱き締められてる。
「ごめんね」
上から降って来た言葉は、とてもとても小さくて、震えていた。




