60.また後でね!
携帯電話のアラームの音で目が覚める。
この世界に来てから、眠れないという事は一度もなかった。
布団に入ると、すっと意識が遠退いてしまう。
最早何とも思わなくなっていた現象だったが、今回ばかりは有り難かった。
きっと、この世界の事について考え過ぎて、眠れなかっただろう。
学校へ向かう気力は湧かなかったが、五十嶋桂那に釘を刺された為、渋々布団の中から抜け出した。
学校には向かえという忠告は、随分前に学校へ向かわないと決めた男子生徒の身に起きた現象の件があるからだろう。
ヒナちゃんを誘えという意図は良く分からないが、取り敢えず、言われた通りに行動する他無い。
学校へ向かいながら、考えを整理する。
根底に、モブ子に会う事こそが、俺の天使に会う事こそが至高という考えが根差している事に変わりは無いのに。
それを達成する事と、この世界に対しての疑念は関係が無いはずなのに、どうにも無視できず、囚われているのは、この世界の人物に深く関与してしまったから、では片付かない心情がある事が、確かだ。
五十嶋桂那が俺を『ニイちゃん』と呼ぶ理由が、俺が過去に五十嶋桂那に会っているからなのであれば、俺はこの『モブ子の事が好きだ』と思える感情すら、疑ってかからなければいけないのだろうか。
そもそも、モブ子は、本当に実在するのか?
本腰を入れて探すにあたっても、協力者は多いに越した事は無い。
三条さんに手伝ってと言えるほど、俺は心が強くはないし、そうなれば吾妻さんに手伝ってもらう事も難しい。
鴎太と、ヒナちゃん程度しか思い付かないので、今日ヒナちゃんに会う事もメリットは大きい。
――徒歩通学なもので、あれこれ考えている内に学校へたどり着いてしまった。
部室に顔を出して三条さんに会うのは気が重いので、仕方なく用務員室へ向かう。
水無月仁美が居る可能性も無くはないが、幸いな事に誰も居なかった。
結局、水無月仁美との遭遇率は、この部屋が一番低い気がする。
携帯電話を取り出して、ショートメールでヒナちゃん宛に『今日ヒマかな?』と送ってみる。
当日に送ってしまっているので、断られる可能性も大いに考えられるけれど、数分もしない内に、携帯電話が着信を告げる。
「はい。もしもし」
『おはよー! ヒナだよ』
「あ、うん。メール見てくれたのかな?」
『うん! ヒナもタロくんに会いたいなって思ってたから全然ヒマだよ!』
「あはは、ありがとう。それじゃあ、……ヒナちゃん家どこなんだっけ?」
『タロくんの高校から近いよ。だから駅前待ち合わせとかで全然オッケー!』
「よかった。それじゃあ、駅前で――」
あ、時間聞いてない。
何時でも構わないのだろうか。指示は、学校へ来てヒナちゃんを誘って、ファストフード店へ行くなので、今すぐにでも問題は無さそうだ。
「ヒナちゃんどれくらいの時間からなら大丈夫?」
『今からでもいいよ! ヒナ今日学校行く気なかったし』
「そうなの?」
『うん。お姉ちゃんが昨日から機嫌悪くてパパもママもみんなお姉ちゃんのことずっと構ってるの。つまんないから、ストだよ。スト』
ヒナちゃんにも色々あるらしい。
利害が一致しているなら、それに越した事はないので「それじゃあ、今から駅前で」と返事をする。
『それじゃあ、タロくん。また後でね!』
ご機嫌なまま電話を切ったヒナちゃんは、可愛らしくて、若干心が落ち着いた気もする。
深呼吸をひとつしてから、俺は用務員室を後にした。




