59.誘うように、揺れていた
五十嶋桂那の勧誘決行日を後日に回すと伝えたら、三条さんは大層不思議そうにしていたけれど、特別、何も突っ込んで聞いてきたりはしなかった。
踏み込まない方が良いと、気を遣ってくれたのかもしれない。
トイレに行ってくると断って部室を出る。
足は、自然と旧図書室の方へ向いていた。
五十嶋桂那に会う為では無い。
もしも、巻き戻しをしている何者かが、人の形をしているのであれば、周辺に居るのでは無いかと、考えたからだ。
五十嶋桂那が巻き戻しているのかと、一度目は考えた。
けれど、二度目。
五十嶋桂那は『時間が無い』と言っていた。
あれは、巻き戻し――クイックロードが起きるまで、時間が無いという事だろう。
五十嶋桂那の意思とは関係無くクイックロードは起こり、その秘密を五十嶋桂那は知っていると解釈した方が、正解に近い気がする。
「田中くん」
考え事をしながら、四階から三階へ、階段を降り切った所で、名前を呼ばれる。
振り返ると、そこには水無月仁美が立っていた。
にいと、平生通り八重歯を見せて笑った水無月仁美は、片手にペットを入れる様な、ショルダーバッグを持っている。
「今日もサボりかー」
「……そう、ですね」
「ん? 体調悪い?」
「悪くないですよ」
喉がひりつく。
いつも通りの水無月仁美が、いつも通りでないように感じる。
水無月仁美は、旧図書室の、そばに居た。
「猫丸探してるんだけどさー、見た?」
声が、やけに冷たい気がして、ごくりと固唾を飲む。
猫丸は、旧図書室の前に居る。
「見てませんね」
「――ほんと?」
一歩分距離を縮めて、じいっと、俺の目を覗き込んだ水無月仁美は「何か隠してない?」と疑う様に問い掛ける。
「何も隠してませんよ」
「んー、……まあ、いいか」
少し考えるような素振りは見せたが、あっけらかんと笑みを浮かべると、水無月仁美はまたいつも通りの能天気な空気を振りまきはじめる。
勝手に違和感を覚えて、慄いているだけなのかもしれない。
けれども、疑うなという方が、無理があるだろう。
二度目に旧図書室に向かった際と、今は、タイミング的に違いは無いはずだ。
それなのに、今回、水無月仁美は現れた。
三条さんは同じ台詞を三度繰り返していたのに、水無月仁美は異なる行動を取っている。
「そういえばさ」
後ろ手でショルダーバッグを持ちながら、水無月仁美は至極言い難い事でも思い出したかのように、眉尻を下げて、口を開く。
「五十嶋さんの事だけど」
手のひらがべったりと汗ばんでいる。
動揺している事を悟られないように、視線を逸らしながら「五十嶋さんがどうかしましたか?」と言葉を促す。
不自然では無いだろうか。
少し声が上擦ってしまった気がして、余計に焦燥感に駆られてしまう。
「場所、教えたの失敗だったかなーって、あれから考えたんだよね。もしかしたら、今は誰とも関わりたくないかもしれないし」
顔は見ていない。
見る事が出来なかった。
試されている様な気がして、出方を窺われている様な気がして、その声音が恐ろしく感じて、視線を戻す事が出来ない。
「そう、かもしれませんね。俺も、軽率だったかなと思い直して、少し様子を見るつもりです」
クイックロードの理由が、望まない選択をした事なのであれば、俺がした行動の逆を示せば、起こらないはずだ。
そうして導き出した俺の答えに、水無月仁美は満足したらしい。
「田中くんが優しい子でよかったよ。私の方から聞いておくから、田中くんたちはそっとしといてあげてね」
声の調子から、またいつもの様に笑みを浮かべているのだろうなと察せてしまう。
これ以上、此処に居る事は、正直恐ろしかった。
自分で探しに来たくせに、自分が関わって来た人間が何か途方もない存在の可能性があると、疑い始めてしまうと、それでは、例えば、三条さんは本当に味方なのだろうかと、あの素直な子の事さえ疑わしく感じてしまう。
疑心暗鬼だ。
自分の認識が正しいものである自信なんて、とうに無いのだ。
「それじゃあ、俺、行きますね」
「うん! 猫丸見たら教えてねー!」
最後にちらりと盗み見た水無月仁美は、やっぱりいつも通り、八重歯を見せて笑っていた。
此処で現れたのが、二ノ前満月なら、どれほど良かった事だろう。
やはり信用の置けない人物だと、吐き捨てる事が出来たかもしれないのに。
水無月仁美の事を疑いながら、それでも、物事が悪い方向に進む程度にしか考えていなかったのは、俺が水無月仁美に対して、好意的に、愛着を持っていたからだ。
――考えを、改めなくてはいけないのかもしれない。
まずは、明日、五十嶋桂那を問い質す所からだ。
一階へ向かい、何とも無しに花壇へ向かうと、そこには猫丸が伏していた。
こいつもまた、この世界の、イレギュラーだ。
近寄ればぴゅうと走って逃げてしまったそいつの尻尾が、誘うように、揺れていた。




