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58.ようこそ







「それとね、コタ。名前もさ。……名字じゃなくて、名前で呼んで欲しいなって」


 目の前に、三条さんが居る。

 少し照れたように、視線を逸らして、聞くはずの無かった言葉の続きを口にしている。



「コタ? どうしたの? 顔色、悪いよ」

「――三条さん、」



 俺は、旧図書室に居たはずだ。

 五十嶋桂那の勧誘に向かって、時間が巻き戻ったのだ。


 今回俺は、別段世界を否定していない。

 帰ろうと試みてもいない。

 記憶を掠め取られてもいない。

 単純に、時間だけが巻き戻った。


 ――何が違う?


 考えられる要因は、五十嶋桂那、ただ一人だ。

 会いに行かなければいけない。

 問い(ただ)さなければいけない。

 彼女は何かを知っているはずだ。

 俺は重要な何かを忘れてしまっていて、多分、五十嶋桂那はそれを知っている。



「予定、変更で。五十嶋さんには、一人で会いに行く」

「え……、なんで?」

「ちょっと、二人で話さなければいけないことを思い出したんだ」



 三条さんは驚いた顔をしている。

 それでも、なんとか笑顔を繕って「うん。分かった、咲ちゃんにも言っとくよ」と、答えてみせた。


「ごめん。なんか、多分。俺、五十嶋さんと昔会った事があるんだ」

「昔? ……小さい頃って事?」

「そう……、なのかな。いつかは、わからないけど」

「そっか。なら、邪魔しちゃダメだよね」


 三条さんは無理をして笑っていた。

 自分以外の、あずかり知らない誰かと仲が良いなんて、三条さんは不安になるのかもしれない。

 けれども、これは何をおいても知っておかなければいけない事な気がしてならなかった。


 気まずそうに目を逸らして「そういえばさ」と話題を変えて、中間テストの事なんて、特別興味もなさそうな話題を挙げる三条さんの、話を聞きながら、俺は、心の中で謝る事しか出来なかった。




 ―――




 旧校舎三階、旧図書室前に、俺は一人で来ていた。

 そこには、確かに猫丸が伏している。

 白昼夢なんかじゃない。これは確かに、経験した記憶だ。


 猫丸を抱え上げると、変わらず抵抗も無しにそのまま大人しく抱え上げられる所まで、ぴったりと一致している。


 手が震えて、猫丸が此方を見上げる。



「なあご」



 行けと言っているみたいに聞こえて、俺はノックもせずに、片手で猫丸を抱えながら、扉を開けた。


 五十嶋桂那は、机の上に座っている。


 扉の開く音を聞いてか、此方を向いていた五十嶋桂那はにいと、口角を上げて笑ってみせる。



「覚えてる」



 声が弾んで聞こえるので、おそらく喜んでいるのだろう。



「ようこそ」



 単語単語で喋る五十嶋桂那は、俺に向かって手を差し伸べた。



「早く。時間が無いから」



 急かされるままに、彼女の元へ早足で歩み寄る。

 猫丸が先程と同じように、ぴょいと腕から飛び降りて、五十嶋桂那の元へ走り寄る。


 彼女の手を取った頃には、猫丸は机の上に飛び乗って、彼女の傍に身を寄せていた。



「明日、駅前のファストフード店。ハンバーガーの、ね」



 顔を寄せ、耳元でそう呟くと、五十嶋桂那はぎゅうと、俺の手を強く握った。

 頭に刺すような、痛みが走る。



「学校には来て。それから、ヒナミに連絡して。連れて来て」



 耳鳴りが煩いのに、五十嶋桂那の声だけは、ぐわんぐわんと頭の中でこだまする。

 何度体験しても慣れない、世界が歪む感覚に抗いながら、俺は声を張り上げた。



「お前は一体何者――」

「ニイちゃんは、知ってるよ」

『クイックロード』



 ぱちんと、世界が弾けて白になる。



「それとね、コタ。名前もさ。……名字じゃなくて、名前で呼んで欲しいなって」


 目の前に、三条さんが居る。

 少し照れたように、視線を逸らして、聞くはずの無かった言葉の続きを口にしている。

 全く、同じだった。



「コタ? どうしたの? 顔色、悪いよ」

「――三条さん、今日は、やっぱり。五十嶋さんに会いに行くのはやめよう」



 明日、ファストフード店で。

 五十嶋桂那の言葉が確かに記憶にあることを確認してから、俺は、今日の予定を取り下げた。





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