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53.そうして少し、震えていた




「なあご」


 膝の上で寝ていた猫丸が、耳をぴくぴくと動かして、顔を上げ、それから一鳴きする。

 顔を上げ、猫丸の視線を追うようにそちらを見れば、此方に向かって歩いて来る、吾妻さんと三条さんが見えた。



「どうしたら、そうなるんですか」



 三条さんは、制服の袖をこれでもかと言うくらい濡らしていた。

 涙を拭ったのだろう。

 片手をしっかりと吾妻さんと繋ぎ、片手で目元を押さえるその様子は、友人というよりも、親子だった。



「コタローさんのせいですよ」



 側まで来て歩みを止めた吾妻さんは、呆れたように、吐き捨てる。

 今までの吾妻さんとは異なり、えらくはっきりとした物言いだ。

 戻って来たということは、上手くいったのだろう。



「コタ……」



 ぱちぱちと瞬きをした三条さんは、繋いでいた手を離し、俺の方へとぼとぼと歩み寄る。

 猫丸がぴょいと膝から飛び降りて、向こうの方へ走って行く。

 何よりも、吾妻さんの視線が、酷く鋭く突き刺さる。

 手を解かれた事が、悔しかったのかもしれない。



「咲ちゃん、連れて帰ってこれたよ」



 にへらと、気の抜けた笑みを浮かべる三条さん。

 鼻の頭も目元も赤くて、随分と間抜けなそれ。


 吾妻さんは、その立ち位置からは三条さんの顔が見えないらしい。

 えらく複雑そうな面持ちで立ち尽くしているので、俺は吾妻さんに笑ってみせた。

 水無月仁美の専売特許である、歯を見せるこれでもかというくらいの笑顔だ。



「コタローさん」



 やっぱり吾妻さんも三条さんには敵わないよね、という気持ちを込めての笑顔だった訳だが、吾妻さんは、それが酷く癪に触ったらしい。

 俺の名前を呼び、腕を真横に大きく広げる。



「抱き締めてもいいですか?」



 吾妻さんは、至極爽やかに、何でも無い事の様に、そう言った。

 けれど、その表情は、にいと口角を上げ、俺が嫌がる事を理解した上で、嫌がらせをしていますと書いてあるようなものだ。


「咲ちゃん!?」


 慌てた三条さんが振り返り、吾妻さんに駆け寄る。

 身振り手振りをふんだんに使って、やめた方が良いと伝えたいらしいが、彼女の口からは「や、あの、その……」と言葉にならない声が溢れるばかりだ。


 何にしても逃げた方が良さそうだなと判断して腰を上げ、猫丸の逃げた方向へ身体を向けると、後ろからまた、吾妻さんの声がする。


「コタローさん、走るの苦手ですよね、多分私の方が早いと思います」


 運動音痴の吾妻さんが自信満々に断言する程、俺のパラメーターの低さは露見してしまっている。

 どう逃げるか、相手の出方を見る為に、くるりと振り返ると、吾妻さんは、それはそれは楽しそうに笑っていた。



「近付かれたくなければ、ひとつ私のお願いを聞いてください」

「――なんですか?」

「私と、友達になってください」

「……はい?」

「もう、逃げるのは禁止ですよ。ちゃんと、友達になってください。そうしたら、私、近付きません」



 拒否権は、無かった。

 拒否する気持ちも、最早あまりない。

 俺は二人が並んで友達でいる様子を眺めていたかった訳だし、二人が親しくなればなるほど、俺の存在は不要になっていくだろう。

 都合の良い言い訳を並べているなぁと、自分の思考回路に苦笑してから、俺は手を差し出した。



「友達になるも何も、吾妻さんは既に、友達だ」



 それを見た吾妻さんは、広げていた腕を、ようやく下ろす。

 呆れたような笑みを浮かべて、それから、間に挟まれる形になっていた三条さんの元へ歩く。


 三条さんは、きょろきょろと、俺と吾妻さんを交互に見ていた。

 あんまり状況を理解出来ていないのだろう。


 そんな三条さんの手に、吾妻さんは再び触れて、手を繋ぐ。

 俺には決して見せないだろう慈愛に溢れた笑みを三条さんに浮かべて見せてから、彼女は俺の側へ歩み寄った。



「よろしくお願いします。田中小太郎さん」

「こちらこそ、よろしくお願いします。吾妻咲さん」



 触れた彼女の手のひらは、いつかのように、とても小さい。

 温かくて、確かに人の手の温もりを持っていて、そうして少し、震えていた。







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