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52.敵わないなぁ(三人称)





 吾妻咲は強かな女の子だった。


 大人の望む通りに生きてきた。

 望まれるままに勉学に励み、家から近い学校へ行くようにと勧められ、やはり勧められるままにその高校へ入学した。


 彼女には、あまり自我というものが無かった。

 上手く生きる事が彼女の全てで、空っぽのまま生きてきた。


 そんな彼女を狂わせたのは、たったひとつ、芽生えた感情。


 それは、恐怖だった。


 吾妻咲は、入学式の日、教師に断り花壇の花に水をやりに行く。

 優等生としての、得点稼ぎの一環だった。


 そこで彼女は、多くの男子生徒に囲まれる。

 今までに体験した事の無い光景。

 自分の力では抗いようのない肉壁は、吾妻咲にひとつの感情を植え付けた。何よりも強く、純然たる、恐怖である。


 彼女にとって、初めて心の動いた瞬間だ。


 そうして、その感情の波から彼女の事を救ったのは、一人の男子生徒だった。

 田中太郎。なんの変哲も無いその男子生徒は、彼女にとっての光となった。

 動き始めた歯車は止まらない。

 この学校に蠢く恐怖を払拭するには、彼の力を頼る他無い。


「友達、出来ないだろうなって、不安だったんです」


 嘘だった。吾妻咲にとって、友達が出来ない事は、そう、問題では無かった。

 そう言っておけば、この人は自分と友達になってくれるだろうと思った為に、彼女はその言葉を口にした。


 彼女の思惑通りに、田中太郎は吾妻咲と友達になる。

 物事は恙無(つつがな)く進む予定だった。

 けれど、彼女の予定は難航する事になる。

 友達になると言ったはずの田中太郎が、教室に居なかったのだ。


 そこで、吾妻咲は早々に田中太郎に見切りをつける。


 対象を三条遂叶へと移し、彼女と会う為に、足繁く彼女の居る教室へと通った。

 自ら友達になりたいとは言わなかったが、ゆくゆくは気付いてくれるだろう。


 吾妻咲は、楽観視し過ぎて居た。

 

 三条遂叶は一向に自分の思惑には気付かず、田中太郎に対しての苛立ちを募らせるばかりだった。


 なんて馬鹿な人だろう。


 吾妻咲が田中太郎に会いに来ているという噂ばかりが広まって、好奇の目が突き刺さる。

 限界だった。

 鳳凰鴎太を使い、根回しだけはしたけれど、吾妻咲には、田中太郎と親しくなるビジョンも、三条遂叶と親しくなるビジョンも、見えなかった。


 挙句には、鳳凰鴎太が田中太郎には好きな人が居るのだと触れ回る始末だ。

 新しく目当てを付ける必要があるのかもしれない。

 吾妻咲はそう考えながらも、三条遂叶に会いに行く事を、止めることは出来なかった。


 その日も、吾妻咲はお菓子を持って、三条遂叶を訪ねていた。

 望み薄ではあったけれど。

 そうして、ようやく、兆しを見る事となる。


 例の、鬼ごっこだ。


 参加したのは、三条遂叶と仲良くなる為に他ならなかった。


 三条遂叶は田中太郎を探している。


 見つけ出せば、自分の立場を確立出来るかもしれない。


 吾妻咲はその鬼ごっこに、参加した。


 それは、とても楽しいものだった。


 此処まで人を追い詰める為に策を巡らせた事は、一度も無い。

 此処まで、人に、必要とされた事も、一度も無い。


 不覚にも、吾妻咲はその鬼ごっこを目一杯に楽しんでしまっていた。


 そうして、その結果、予想外の助力者を得る事となってしまった。


 一年A組の男子生徒たちだ。



 彼らは、自分が他の男子生徒に絡まれていると、助けに入ってくれるようになった。

 漏れなく喧嘩には発展していたが、必ず自分を逃してくれる。


 最早、田中太郎も、三条遂叶も必要無かった。


 自分の身の安全は、確立されてしまっていた。


 けれど、吾妻咲は、三条遂叶に会いに行く事を、やめられずにいた。


 必要なんて、無いはずなのに。


 三条遂叶が、自分を見ると、小さな子供みたいに笑うから。


 自分と友達になりたいと思ってくれている事が、その表情から、態度から、すべてから、わかってしまうから。


 吾妻咲は、恐怖した。


 これは、自分の知らない感情だ。


 三条遂叶を、失望させたくない。


 嫌われたくない。


 空っぽな自分を、知られたくない。


 損も得も、そこには存在しない。


 吾妻咲は、三条遂叶の友達に、なりたかった。


 あの素直さを一身に浴びているその瞬間だけは、自分がただの女の子になれている気がした。


 望んでしまっていたのだ。


 三条遂叶の隣に並んで、何の考えも持たず、ただの普通の友達として、笑う自分を。


 自分の価値観と照らし合わせれば、要らないはずの存在が、自分の中でこんなにも大きくなっている。


 これにもまた、吾妻咲は恐怖する。


 怖い。怖い怖い恐ろしい。

 自分が、自分の知り得ない、コントロール出来ない感情を抱いていることが、途方もなく、恐ろしかった。


 三条遂叶と距離を置こう。


「三条さんは、田中さんととても仲が良いんですね」

「仲が良いっていうか。……まあ、恩人ではあるし」


 ファミレスでドリンクバーから汲んで来たジュースの入ったグラスを、ストローでぐるぐるとかき混ぜながら、三条遂叶はそう言った。


 三条遂叶は、田中太郎の事が好きなのだ。


 これは、利用出来るかもしれない。


 三条遂叶が田中太郎の事を好きなのであれば、自分がその田中太郎に好意を見せれば、三条遂叶は自分と距離を置くんじゃないか。


 吾妻咲は、そう考えて、田中太郎に気がある振りをしてみせた。


 けれども、結果はちっとも振るわない。


 確かに伝わってはいるはずなのに、三条遂叶は、それでも自分と友達になろうと、歩み寄ってくる。


 どうしようもなく、恐ろしかった。


 二ノ前満月の提案を飲もうと思ったのは、すべて壊してしまおうと思ったからだ。


 部室に入る為に扉へ手を掛けたのに、その扉はびくともしなかった。


 中から聞こえる楽しそうな声が、まるで、お前は要らないと言っているように聞こえたからだ。


 じわじわと、足元から闇が侵食して来るみたいだ。


 これ以上、自分の知らない感情はいらない。

 身に持て余すものなんて、何一つとして必要無い。


 そうして、二ノ前満月に助力を頼んで、三条遂叶と距離を置こうと試みたのに。


 田中太郎に、すべてが露見した。


 これで良かったのかもしれない。


 田中太郎は三条遂叶の事を大切にしている様だから、こんな自分と、その子を近付けたりなんてしないだろう。


 それなら、尚更、嫌われるように振る舞おう。



「そうなんです。私、とってもずるいんです」



 自分はもう、三条遂叶の隣に並んで笑う事は叶わない。


 嫌な子だって、バレたのだから。


 田中太郎は色々自分の事を良く捉えていたみたいだが、関わるなと釘は刺した。


 仲の良い男子生徒が居れば、自分の身の安全は守られるはずだ。


 目的は達成しているはずなのに、どうしてこうも、やるせないのだろう。



「吾妻さん……!」



 聞こえるはずの無い声が聞こえる。

 吾妻咲は立ち止まる。けれど、振り返る勇気はなかった。



「咲……ちゃん!!」



 それは、自分の名前だ。

 けれど、三条遂叶がその呼び方をするはずが無い。

 思わず振り返ると、身体に衝撃が走る。



「アタシ、咲ちゃんが、どんなに嫌な子だって、友達でいたいよ……!」



 三条遂叶は、震えていた。

 吾妻咲に、しがみつき、顔を埋めて、声だって震えている。



「三条さん……?」

「アタシは、吾妻さんのお陰で、行動出来た。変わろうって思えたんだ……」



 鼻をすすりながら、何とか言葉を紡ぎ出す彼女は、とてもあたたかかった。

 背中に手を回せば、やっぱり彼女は震えている。

 とても、弱い女の子だから。自分を守る事なんて到底出来ない、ただの、女の子だからだ。



「アタシは、咲ちゃんと友達でいたい。咲ちゃんがどんなに嫌な子でもそれは、変わらない。アタシだって、ヤな奴だもん」



 してやられたのだと、吾妻咲は思った。

 田中太郎だ。あの人が、三条遂叶を差し向けたのだ。



「……良いんですか? 私、本当に計算ばっかりで、本当に嫌な子なんですよ?」


 拒絶しなければ。

 そう思うのに、口から溢れた言葉は、頭で考えているものと、真逆のものだった。


「いいよ……! なんでもいいよ……! アタシ、吾妻さんの事、好きだもん!」

「…………三条さんは、本当に、恐ろしい人ですね」



 怖かった。自分の頭では推し量ることの出来ない三条遂叶の側に居る事は、とてつもなく恐ろしい事だった。


 けれども、矢張り、動き出した歯車は、止まらない。



「ねえ、三条さん。私、三条さんと、ちゃんとお友達になりたいです」



 その言葉は、思っていたよりも、すんなりと口からこぼれ落ちた。

 それが、吾妻咲の本心に、他ならなかったからだ。



「本当に……? 無理してない?」



 この後に及んで嘘なんて吐きはしないのに。

 顔を上げて、恐る恐るといった様子で尋ねてくるもので、吾妻咲は笑ってしまった。



「はい。無理なんて、していませんよ」



 そうして、何よりも幸せな事があったみたいに笑う、三条遂叶の事が、吾妻咲は、何よりも誰よりも一等に、愛おしいと思えてしまった。



 吾妻咲は何よりもまず第一に恐怖する。



 壊れ物を抱えて行く未来に対して、恐怖する。



 けれど、それよりも、ずっと、確かに、吾妻咲は幸せだと感じていた。


 田中太郎の残した捨て台詞が、叶ったのだ。



『あなたの高校生活が、幸せの多いものであるように、心から願ってる』



 吾妻咲はそれが何よりも忌まわしいなと思ったけれど、最早悪態を吐く気力も無い。


 幸せなんて、必要なかった。

 平穏無事な学生生活が送れれば、それでよかった。


 けれど、自分は今確かに幸せで、満ち足りている。


 腕の中で嗚咽を漏らす女の子がいれば、自分はちっとも、怖いものなんて、ひとつも無い気さえ、していた。

 当の彼女の事が、恐ろしいというのにだ。



「敵わないなぁ」



 ぽつりと溢れた独り言は、真っ白な旗の形をしている。

 溶けて消えたその言葉を聞いたのは、三条遂叶ただ一人だったけれど。


 吾妻咲の心には、しっかりとその旗が、はためいていた。






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