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51.ポケットへねじ込んだ






「知った風な口、利かないでください」



 もっともだ。

 俺は別に吾妻さんの事を深く知っている訳では無い。

 憶測の域も、出てはいなかった。

 けれど、彼女の涙が、それが事実なのだと物語っていた。

 止めどなく流れる涙は、ただただ、彼女の頬と制服を濡らしている。



「あなたに、私の苦悩がわかりますか?」

「わかりませんよ」



 知ったかぶりをしたい訳では無いので、間髪入れずに否定する。

 吾妻さんは面をくらっていたけれど、事実俺は、吾妻さんの事を何もしらない。

 吾妻さんは、三条さんのように開けっ広げに接してはくれないのだから。知る由も無い。



「でも、わかりたいとは思ってます」

「……私を避けていたくせにですか?」

「今でも避けたいとは思っていますよ」

「矛盾してませんか?」

「矛盾してません。俺は、極力物事と関わり合いたくない。けれど、目の前にあるものは見過ごせない性分なんですよ、きっと」



 それは、例えば目の前で肉壁が築かれたら、解体しようと試みる事と同じくらい、単純なものだろう。

 虐めを見過ごす人間が加害者となるように、此処で吾妻さんを見捨ててしまうことは、彼女を追い詰める何かに加担する事と同義のように思えてしまう。

 それは、何とも寝覚めの悪いことだ。



「うん。色々思うところもあるんですけど。集約すると、俺は多分、三条さんに弱いんです」



 もう、笑うしかないので、笑ってみせた。

 そんな俺を見て、吾妻さんは尚更呆気にとられた顔をする。



「吾妻さんと友達になれなかったら、多分三条さん、また泣いてしまうと思うんですよ。落ち込んで、悲観する。俺はそれ、嫌だなぁって思うんです」

「それは……」

「吾妻さんも、きっと嫌ですよね」



 同意を求める言葉に、吾妻さんは返事をしなかった。

 それでも、思い悩む様に眉を寄せているので、吾妻さんの中での三条さんの立ち位置は、相当高い位置にあるのだろう。



「悲しませたくないですよね? だって、吾妻さんと三条さんは友達だから」



 我ながら狡い言い方だなぁとは思った。

 現に目の前の吾妻さんは、拳を握り、言葉を返せずに居る。

 友達ではないと、否定する事が出来ないのだ。

 吾妻さんもまた、三条さんに弱いのだろう。



「俺は、吾妻さんと三条さん。いい友達になれると思うよ」



 いつか言った台詞の繰り返しにはなってしまうけれど。

 その台詞を諳んじてみせれば、吾妻さんは勢いよく立ち上がった。

 聞くに堪えないという事だろう。

 何にしても俺の言葉は届かないだろうなとは思っていたので、ただ威圧しない様に、笑みだけは浮かべておく。



「なれるわけ……! ないじゃないですか! 私は狡くて、打算的で、上手く喋ることも出来なくて、何にもない。空っぽなのに……!」

「きっとそれでも、三条さんは良いって言うよ」



 俺の事をキツく睨んだ吾妻さんは、くるりと後ろを向く。

 話すに値しないという事なのかもしれない。



「今後一切、私には関わらないで下さい」



 捨て台詞を残して、吾妻さんは校舎の方へ向かって歩いて行く。

 終ぞ、吾妻さんは俺の事をウンコを見るような目では見なかった。

 此処まで突っ込んだ会話をした俺は、吾妻さんにとって邪魔でしかないだろうに。

 それでも切り捨てる事が出来ずに居るのは、吾妻さんが、もう十分に、損得だけでは動けなくなっているせいだ。


 俺に対しても、三条さん程では無いにしろ、好意的に思ってくれているんだろう。


 それならまだ、望みはある。


 ポケットから携帯電話を取り出して、少ない連絡先から三条さんの名前を選ぶ。

 コール音が三度もしない内に、電話口から三条さんの声が聞こえてくる。


『もしもし? コタロー? 何? 電話?』


 疑問ばかりだった。

 えらく焦った様子で単語単語で喋るもんだから場違いにも笑ってしまいそうになったけど、努めて冷静に、言葉を吐き出す。


「吾妻さんが泣いてたよ」

『はあ? 何したの!?』

「俺は何にもしてないよ。二ノ前さんと喧嘩したみたい」

『吾妻さんが!?』


 まあ、喧嘩なんてしそうに無いな。

 また笑ってしまいそうになるのを堪えながら、俺は続きを口にする。


「自分が凄く嫌な子なんじゃないかって。俺じゃ慰めてあげられないから――」

『吾妻さん何処!!』

「本校舎の方に向かった」


 返事もないままに電話がぶつりと切れる音がする。

 ――敬語、忘れてたな。

 

 どうでもいいかと、携帯電話を折り畳み、溜息をひとつ吐く。

 上手く行って、もう俺の所になんて来なくなれば良いのに。

 そうすれば、俺のモブ子への道は随分と楽になるじゃないか。


 ぱかりぱかりと携帯電話を開いたり、閉じたりしながら、ぼんやりと空を見上げると、足に小突かれたような衝撃が走る。


 見ればそこには、猫丸がいた。

 水無月仁美が追いかける、例のブサ猫だ。


「お前、花壇が住処なのか?」


 ブサ猫は返事をしない。

 のそのそと足をよじ登り、そうして朝と同じように、その身を丸めて眠るつもりのようだ。



『人間って矛盾ばっかでままなんないよね』

『何、急に。漫画か何かの影響受けた?』

『いやあ、兄ちゃん離れしようと思ってるのに、結局こうして兄ちゃん家に来ちゃうよねって話』

『ままならないっていうか、意思が弱いな』



 誰だったかと、そんな会話をした記憶がある。

 確かに、人間ままならない。

 モブ子の事だけを考えていれば良いはずが、色々な物を抱え込んでしまっている。

 矛盾ばかりで、どうしようもない。



「猫は良いよな」



 溢した言葉を拾った猫丸は、むくりと起き上がり、俺の頬へ毛むくじゃらの前足を寄せた。

 ぐいぐいと頬を押してくるその様子は、まるで、猫も大変だと言っている様に見える。

 そうか、こいつも去勢の為に水無月仁美に追われる身だったか。


「悪い悪い」


 謝罪の言葉を受けて、猫丸はようやく前足を引き、再び眠る体制に入る。

 言葉を理解しているというのは、本当に間違い無さそうで、背筋が少し寒くなる。



「後は上手く行くように祈ってるしかないよな」



 返事は勿論、返って来ない。

 それでも少し気が楽になった気がして、俺は手に持ったままの携帯電話を、ポケットへねじ込んだ。





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