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44.ヒナとデートしよ




「お兄ちゃん、ヒナのものになってよ」


 頬に柔らかいものが触れて、世界が揺れる。

 ふんわりと香る甘い匂いは柔軟剤の匂いだろうか。

 間抜けな亀みたいに、そのままの体制でぽてりとひっくり返った俺を見下ろす二ノ前妹の表情は、まるで悪戯が成功した悪ガキみたいだ。

 赤い舌をぺろりと出して唇をひと舐めしてから、口の端をにいと吊り上げる。

 何故こうなった? そもそも、二ノ前妹が学校に乗り込んでくるなんて、そんなのアリか?



「うわああああああああ!?」



 俺の思考を遮る様に、辺り一面に叫び声が響く。

 三条さんだ。


「ちょっと、アンタ……! コタに近付かないで……!!」


 ずりずりずりと、横から乱暴に引き摺られ、強引に座らせられた所で、ようやく理解が追いつく。

 走ってきた三条さんが、俺を回収したらしい。

 呆然と二ノ前妹を眺めていると、目の前ににょっきりと足が現れる。三条さんの足だ。

 どうやら、俺と二ノ前妹を遮るように、前に立ったらしい。


「近付かないでって言われても。ヒナ、わかんない」

「わかんないって何!?」

「だって、お兄ちゃんは別に誰と付き合ってるわけでもないんでしょ? だったら、ヒナが貰っても良くない?」

「こ……コタローさんは、ものではありませんよ」


 三条さんと二ノ前妹の会話に横から入った吾妻さんは、顔を真っ赤にさせて、小さく震えている。

 怒っているのではない、恥ずかしいのだろう。

 自己主張というものをあまりしない人なので、口を挟んでも良いものか、悩み抜いた末の発言に見えた。

 それに対し、二ノ前妹は「ふうん」と呟き、桃色の瞳を吾妻さんへ向ける。

 小さな指先で自身の唇を撫でるそれは、何かを考えている素振りなのだろう。

 ロクでもない発言が飛び出して来そうで、静止しようとしたが、それよりも早く二ノ前妹は口を開いた。



「吾妻咲ちゃんもコタローくんが好きなの?」



 ぴしりと、空気の固まる音がする。

 三条さんは狼狽た様子で、二ノ前妹と吾妻さんを交互に見るように首を振る。

 吾妻さんは、顔の色味も相まって、金魚のようにぱくぱくと口を開いていた。



「お姉ちゃんの口から、男の人の名前が出たのなんて、はじめてだった」



 混沌を極めた空間で、真っ先に口を開いたのは、二ノ前妹だ。

 その言葉には、怒気が含まれているように感じる。

 お姉ちゃん――つまり、二ノ前満月の事だ。



「コタローくん、ヒナとデートしよ!」



 言うが早いか、二ノ前妹は此方へ駆け寄り、俺の手を取る。

 そのままぐいぐいと引っ張り「早く!」と言うので、俺は考えるよりも先に立ち上がっていた。


 何より、二ノ前陽菜美の瞳に、涙が滲んでいたからだ。


 例えば、三条さんであれば、追い掛けて俺の手を引く事は容易だっただろう。

 けれど、三条さんは、それをしなかった。

 恐らく、そばに居た三条さんにも、二ノ前妹の涙が見えたからだ。


 前を見てばたばたと掛ける二ノ前陽菜美は此方を振り向かない。


 だから、今彼女が涙を流しているのかは定かでは無かったけれど、俺の足は、止まる術を忘れてしまったみたいに、促されるままに動いていた。




 ―――




 校外へ出て、駅の方向へ走る最中、俺は帰り道の心配をした。

 いざとなったらおまわりさんを頼るしかないかと諦めて、次第に、駆け足から早歩きへ、早歩きからとぼとぼと歩き始めた二ノ前妹の後ろを歩く。


「えっと、陽菜美ちゃん? 何処行くの?」

「ヒナって呼んで」


 ――ヒナ、何故か既視感を覚える名前に、心の奥を冷たい手で触れられたような気分になるが、要望を聞き入れなければ話が進まなそうなので、大人しくそれに従う。


「ヒナちゃん。何処行くの?」

「……ヒナ、ハンバーガー食べたい」


 丁度、駅前の、ファストフード店の前で立ち止まり、二ノ前妹――便宜上ヒナちゃんはそう言った。

 此方も向かず、制服の袖で目元をごしごしと擦った後に、彼女が「入ろ」と言うので、俺は抵抗も出来ないままに、彼女の後ろを歩いた。





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