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42.未練なんてねえよ




「なあ、コタロー。オマエってさ、この世界に来る直前、何してた?」


 此方に向き直り、やけに神妙な面持ちで、鴎太が問い掛ける。

 そう言えば、鴎太は割と何でもずけずけと物を聞く癖に、俺に対しても、クラスメイトに対しても、その話題を振っている所は見た事が無い。


「――アイス食ってたな」

「アイス?」

「当たり棒だったんだけどな、二本も食えないから捨てたら、メッセージウィンドウが目の前にあった」


 誤魔化しもせず、ありのままを伝えれば、鴎太は拍子抜けしたように、まあるく口を開けている。


「それだけ?」

「ああ、それだけだな」

「トラックに轢かれたりとか」

「そんな記憶は無いな」

「通り魔に刺されたりとか」

「それも無いな」


 屋外に居たので、可能性が無くは無いが、少なくとも俺の記憶の中にそんな光景は見当たらない。

 特別な痛みも感じずに、この場所に居たはずだ。


「……そっか」

「なんなんだよ、急に」

「いや――」


 顎に手を添えて、これ見よがしに考える素振りを見せるので、気になって問い詰めても、鴎太の返事は生返事だ。


「じゃあさ、コタローは死んでココに来たわけじゃ、ないんだな?」

「――は、って。お前は死んだのか?」


 嫌に強調された台詞だ。

 背筋に冷たい汗が伝う。

 この会話の意図が分からない。

 求められている情報が何なのか分からない。

 鴎太は、それを語る気は無さそうで、まるで雲を掴めと言われている気分になる。

 それは、とても良い気分とは、言えない。


「オレは……、いや、死んでない。そうか、死んでないや」


 今気付いたとでも言わんばかりに呟いた鴎太は、うんうんと一人頷く。



「コタローは、元の世界に未練ってある?」



 未練。未練なんて、無い。

 無い――、はずだ。

 ――本当に?


 俺の目を真っ直ぐ覗き込む鴎太の瞳は真剣そのもので、半端にはぐらかす事は許されなさそうだ。


 この会話が何を望んで繰り広げられているのかは分からないが、鴎太のそれは、真剣そのものだった。

 何か、答えを探している様にも見える。


 鴎太はこの世界のイレギュラーで、俺や他のプレイヤーの知らない事を知っている。

 その俺たちの知らない何かに関わる事なのだろう。


 この世界は、何者かの手の上にある。


 それは、鴎太なのかもしれないし、二ノ前満月なのかもしれない。五十嶋桂那や、水無月仁美の可能性もある。

 俺がまだ出会っていない、突拍子も無い存在――例えば神やシステムである可能性も、無い訳ではない。


 その何者かは、何の為なのかは理解出来ないが、人の記憶を掠め取る。


 俺が、未練が無いと感じているのは、その記憶を消されているからという可能性も、否定は出来ないのだ。



「未練は、わからない」



『クイックロード』



 頭の中でぴこんと音が聞こえる。

 また、これだ。


 頭に痛みが走り、目が眩む。


 そうして、身体に衝撃が走った。


 途端に、視界がはっきりと澄み渡る。


 驚いたように目を見開く鴎太が見える。


 その視界の端に、金色の髪が揺れるのが見えた。


 耳もとで、声が聞こえる。



「田中小太郎は現実世界に、未練なんて、ひとつもない」



 その声だけが何度も耳の奥にこだまする中で、きゅるきゅると世界が縮小していく。

 排水溝に水が流れ込んでいくみたいに。

 吸い込まれた世界の外は、真っ白だ。


 その白がぱんと弾けた次の瞬間には、世界に色が戻り、何の変哲もない花壇の縁に腰掛けて、一人うんうんと頷く鴎太が居た。



「コタローは、元の世界に未練ってある?」



 ――なるほど、これは確かに、クイックロードだ。


 返すべき言葉は決まっていた。

 ノイズがかっていて、誰の声だったのかはまるで分からなかったが、世界の望む答えだけは、今もまだ俺の頭の中を駆け巡っている。



「未練なんてねえよ」



 多分俺は、この世界に来てから一番無邪気に笑っているんじゃないかと思う。

 演者でもない俺の、精一杯の作り笑いだ。



「俺にとって一番大切な事は、名無しのモブ子に会う事なんだから」



 その言葉を聞いた鴎太は、複雑そうに、小さく笑う。



「そっか、じゃあさ。元の世界に戻りたいと思ったら、その時は教えてくれよ」



 何者かは分からないが、そいつの狙いだけは、今明確になった。


 誰も、この世界からの脱出を試みない事。


 それが、記憶を掠め取り、世界を巻き戻してでも成し遂げたい、この世界の一番の望みだ。





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