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33.そうして彼女はこう言った




 目が回る。

 刺すような痛みが頭に走る。


 ――俺は何故、三条さんを抱き締めた?


 行動原理がわからない。


 以前にも、こういった類の、理解が及ばない感覚を覚えた気がする。

 大切なものをすっかりかすめ取られてしまったみたいに、自分の中にあったはずのものが無くなってしまった。

 欠け落ちてしまったような、感覚だ。


「な……なにすんの……!」


 慌てふためく三条さんは、俺の事を容易く押し返してみせた。

 腕の中から抜け出して、ぴょいと後ろへ跳ねた三条さん。俺の上から立ち退いてくれた事に関しては、有難いのだけれど、どうにも違和感だけがしこりとなって居座っている。


「なんで、急に……」

「……ごめん、なさい」


 取り敢えず、謝罪の他に思い浮かぶ選択肢が無かったので、そんな言葉を口にする。

 そっぽを向いた彼女の顔の赤さは、涙のせいだけでは片付けられない程に、赤かった。



「コタロー! 此処だろ!」



 突如として、後ろから声が聞こえたかと思うと、物を壊したんじゃなかろうかという程、大きな音が聞こえた。

 振り向けば、そこには鴎太が立っている。


「え、三条さん先に自分で見付けちゃってるじゃん!」

「え、本当……、ですか……!?」


 少し遠くから聞こえる声は、吾妻さんのものだ。

 走りながら話しているのだろう。ぱたぱたと床を鳴らす音もセットで聞こえてきている。


「これじゃあ、ご褒美もらえないね」


 唇を尖らせて残念そうにボヤきながら、ぎいぎいと教室内へ入ってきた鴎太は、俺に向かって手を差し出す。


 ――そうだ、前回この違和感を覚えたのは、鴎太に俺の推しの話をした時だ。


 あの時の感覚と、今のこの感覚は、酷似している。


「コタロー? どうかしたか?」

「……いや、何でもない」


 差し出された手を握れば、鴎太は力一杯その手を引いて、俺を立ち上がらせる。

 制服についた埃を払っていると、扉の向こうから、吾妻さんが顔をだす。

 肩を上下させ、髪が乱れているので、彼女もまた動き通しだったのだろう。


 正直、二人が来てくれて安堵している自分が居た。

 これ以上、三条さんと居れば、俺は取り返しのつかない選択を、していたかもしれない。


「本当、ですね。見つかっちゃいました。――田中さん」


 吾妻さんは、俺を真っ直ぐ見据えると、此方へ向かって歩き出す。

 えらく興奮した表情で俺を見る吾妻さんは、その目をキラキラと輝かせて、俺の手を取った。


「私、鬼ごっこ、はじめてしました。こんなに見つからないものなんですね」


 最早隠れんぼだったから、本来の鬼ごっことは別物だっただろうに。吾妻さんは、それが大変楽しかったらしい。


 こっそり後ろを見てみれば、三条さんは、ばつが悪そうに頬を掻いている。


 巻き込んでしまった事に対してなのか、自身は必死だった事柄をちゃっかりエンジョイされてしまった事に対してなのか、それは分からないけれど、その事に対して腹を立てたりはしていないようだった。


「三条さんとデート、したかったです。でも、A組の皆さんが仲間だと言ってくれたので、私はとても幸せです」


 負けたけれど良かっただなんて、そんな風に笑う吾妻さんは、この場の空気とは少し外れていたけれど、それが逆に良かったのかもしれない。


 後ろから、三条さんの笑う声が聞こえる。


「吾妻さんが努力賞で良いよ」

「努力賞……、ですか?」

「うん。だから、帰り遊んで帰ろう」


 その言葉を聞いた吾妻さんは、目をまん丸にしていた。

 予想外の言葉だったらしい。

 両手で口元を押さえて、信じられないといった様子で「いいんですか?」と、感動さえ覚えているようだった。


「やったじゃん、吾妻さん!」

「はい! やりました、鳳凰さん!」


 此方は此方で何やら仲良くなっている。

 吾妻さんの肩をぽんぽんと軽く叩いた鴎太は、人差し指と中指を立てて、手をちょきちょきと動かして見せる。


 小動物が戯れているような光景を目の当たりにした俺は、ただただ呆気にとられていた。

 先程までの空気は完全に霧散してしまっていて、三条さんも、笑っているようだ。


「それじゃ、行こ。残りちょっとの授業なんて受けても仕方ないし」

「そうですね。行きましょう!」


 優等生キャラがサボりに好意的という謎の現象も起きていて、いよいよ収集がつかなくなってきた。

 嵐の只中のようだった。


「タナカコタローも行くでしょ?」

「田中さんも来るんですか!?」

「え、じゃあ皆で行こ。打ち上げ打ち上げ!」


 俺としては、謎ばかりが残っているのに。


「じゃあオレ、カバン持って来んね」

「あ、私も取りに行ってきます」


 拒否権は無いらしく、俺の返事も待たないままに、吾妻さんと鴎太は教室から出て行った。

 嵐にすべて攫われて、二人残された教室は、随分と、一層静かに感じた。


「タナカコタロー」

「……はい、なんでしょうか」

「コタロー……」

「はい?」

「よろしくね」


 口の端をにいと上げて、三条さんは笑う。

 繕われたものじゃない。悪い事をする時に自然と顔がにやけてしまうみたいな、そんな表情だ。


「アタシたちも行こ。コタ?」



 ――犬感、増してないか?

 今にもワンと鳴き出してしまいそうな省略のされ方だ。

 訂正してやろうと思ったが、彼女があんまりにも楽しそうに笑うもんだから、俺はそれに口を挟む気が引けてしまった。


 教室を出た三条さんは、どうやら俺を待っているらしく、早くしろと目に力を込めて此方を見てくる。


 ――泣いているより、よっぽど良いか。


 それは、鴎太と吾妻さんが来たことによる空元気にも見えたけど、空元気でも無いよりはよっぽど良い、気もする。


 先を進む彼女を追って教室を出れば、向こうの方、階段がある辺りから、人影が此方に向かって来るのが見えた。


 量の多そうな、金色の波立つ髪を二房に分けて、所謂ツインテールにしているその人物は、口元で、ピンクのフーセンガムをぷうぷうと膨らませて遊んでいる。



五十嶋桂那(いそじまけいな)じゃん」



 五十嶋桂那。

 五人目の、攻略対象キャラクター。

 そんな人物が存在する事は、確かに記憶の片隅にある。

 ただ、その五十嶋桂那。ゲームの中の彼女は髪を束ねてなんていなかったはずだ。


 彼女は、真っ直ぐ此方へ歩いて来ている。


 三条さんは、そんな五十嶋桂那を見て、怯んだようだ。

 俺を盾にするように、そっと背に隠れている。

 存在感と、その雰囲気で言えば二ノ前級だった。


 歩く速度を、早めるでも遅めるでもなく、真っ直ぐ歩いて来た五十嶋桂那は、すれ違う寸前の所で、小さく口を開く。

 そうして、彼女はこう言った。



「――クイックロード」





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