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31.暗転




「――みつけた」



 その声は、やけに大きく聞こえた。



「みいつけた、タナカコタロー!!」


 三条さんが、一歩、地面を蹴る。


「わたしはもう行くね、コタローくん」


 二ノ前満月が机からぴょいと飛び降り、扉の方へ向かって歩く。



 俺は、思わず後ずさっていた。



 逃げなければ。


 俺はもっと、もっと平和的な結末を描いていたはずだ。

 適当なタイミングで吾妻さんに見つかって、そうすれば吾妻さんは喜んだだろう。喜ぶ吾妻さんを前にして、三条さんはきっと感情を露わにはしない。

 主役を俺から吾妻さんへすげ替えて、俺は逃げ(おお)せるつもりで、いた。


 計算が狂ったのは、何処からだ?


 地面を蹴った三条さんは、一足飛びに窓の側まで迫っている。

 逃げなければ。

 頭はそれで一杯なのに。

 それでも、初動が遅れてしまったのは、三条さんがその瞳いっぱいに涙をためていたからだ。


 彼女は、いつも泣いているんだ。


 窓を開け、その腕力と脚力をもって最高速度で窓枠へ足を掛けた三条さんは、力一杯、ジャンプした。



 ――暗転。



 凄まじい衝撃が背に走り、身体が悲鳴を上げている。

 逆さまになった世界で、扉を開ける二ノ前満月が目に映る。

 そいつは、舌を出して、笑ってみせた。

 ラスボスだ。あいつはきっと、この世界の女王なのだ。


「タナカ……、コタロー!」


 ぐいと胸倉を引っ張られ、意識をそちらに戻される。

 がくがくと揺さぶられるままに世界が揺れて、気持ち悪い。


「みつけられないと、思ってた。そしたら、諦めようと、思ってたのに……」


 ぴたりと揺れが収まって、ようやく自分の置かれている状況が見えてくる。


 俺の腹の上に座った三条さんは、俺の胸倉を掴んでいる。

 瞳には相変わらず、涙をためて、溢れてしまったそいつが、頬をつるつると撫でている。


「コタロー……」


 弱々しい声で俺を呼ぶ女の子は、時々しゃくり上げ、それでも、言葉を喉の奥から押し出そうと、必死だった。

 顔を真っ赤にさせて、髪もぐしゃぐしゃで、何処で落としてきたのか知らないけれど、前髪を纏め上げていた髪留めも無い。


 長い前髪が顔にかかり、涙でそいつが張り付いている。


 ぼろぼろの、そんな様相で、けれども彼女は俺の上から少しだって動こうとはしないんだ。

 離してなるものかと、俺の制服をきつくきつく握りしめ、唇を噛みしめる。

 涙を殺しているつもりなのかもしれない。

 けれども、無情にも、堤を切った涙は留まる方法を忘れてしまったみたいに、次から次へと溢れてきていた。


「アンタのこと、みつけたら。殴ってやるって……、思ってたのに……っ」


 引き寄せた制服に顔を寄せて、最早表情だって見えやしないけれど、震える手や、肩が、俺の記憶の底のほうに引っかかっている、誰かと被る。

 誰、とは、思い出せないのに、三条さんを見ていると、思い出す女の子。

 こんな状況で、三条さんの事を誰かと被せて見るなんて、失礼な話なのかもしれないけれど、それこそが、三条さんを振り払って逃げられない理由になっていた。


 恐る恐る、三条さんの頭へ手を伸ばす。


 慰めなんてものは、要らないのかもしれないけれど。



 そっと触れた髪は、とても柔かかった。



 男の俺の頭に乗ってるものとは別物なのかもしれない。


 俺とはまったく別の生き物みたいなその子は、小さな小さな声で、言葉を紡ぐ。


「優しくなんて、しないでよ。……責任なんて、とらないくせに」


「――……ごめんなさい」


「――否定すら、してくんない」


 くぐもった声は、尚も震えている。


 埃っぽい教室に溶けて消えたその言葉を、頭の中で反芻した。


 俺は、優しくする事は出来るけど、責任を持つことなんて、やっぱりできない。


 何よりも、俺の天使に会うことが大切なことは、今でも変わりは無くて。


 けれど、目の前の、三条さんの、助けになれれば良いのにとも、思ってしまう。


 二ノ前満月の言葉を借りるなら、こんな感情は、とても、人間らしいのかもしれない。



「ねえ。――なんで、アンタに好きな人が居ることに、アタシが傷つかなきゃいけないの……」



 俺は、この世界に来てからはじめて、今、間違い無く自分はこの世界に生きていて、取り返しのつかない影響を及ぼしてしまっているんだと、実感していた。


 そうして、その言葉を聞いて、どうして天使の記憶を持ったまま、この世界に来てしまったんだろうかと、少し、悔やんでしまった。


 名前だって無い友人A。

 名無しのモブ子。


 それが俺にとって、この世界のすべてだった、はずなのに。





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