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30.彼女はいつも、泣いている

 



「コタローくんは、捕まるなら誰に捕まりたい?」

「……誰にも捕まりたくないですよ」

「……そっか」


 納得していないと言わんばかりの笑顔。

 投降しようと考えていたのが、バレたのだろうか。


 けれど、突っ込んで問い詰める時間は無い。


 誤魔化す様に顔を背ける二ノ前満月には、どうにも引っかかるものがあるが、現状いつまでも此処にいる事こそが一番の悪手に他ならないので、今は外へ出るしかない。


「それじゃあ、行きましょうか。水無月さんは、此処に来た時と同じように、先頭をお願いします」

「よし、まかせて!」


 水無月仁美の何も考えていなさそうな笑顔は、とても安心が出来る。

 二ノ前満月が何を考えているのかは、良く分からないが、どのみち、この鬼ごっこの間だけの付き合いだ。


 罠が張られている可能性も考慮しながら、俺は用務員室を、後にした。




 ―――




 旧校舎、一階。

 水無月仁美曰く、そこは女子バスケットボール部の、旧部室らしい。

 籠もった空気が、その教室が今は使われていない事を物語っている。


 俺は、その空き教室に、二ノ前満月と二人で来ていた。


 水無月仁美には、猫丸を連れて、周囲の見回りに行ってもらっている。


 がらがらと、横へスライドするタイプの扉を開く。

 中へ足を踏み入れると、床の木板はぎいぎいと音を立て、床から舞い上がった埃が鼻をくすぐる。思わずくしゃみをすると、後ろでけらけらと笑った二ノ前満月も、後を追う様にくしゃみをしていた。


「やばいね、ココ」


 二ノ前満月が手をばたばたと振りながら、顔を顰める。

 部屋の奥には、棚が一つ置かれていた。

 小学校の理科室に置かれていて、標本なんかが詰められているような、重厚な木製の棚。

 ガラス戸の向こうにはきらきらと輝く、トロフィーや盾が飾られていて、そこだけ時間が止まっているみたいだ。


「もう少しマシな場所がよかったですね」

「んー、換気しよっか」

「窓あけるんですか?」

「窓開けて、窓のそばにわたしが居れば、中まで入って来ることはないんじゃないかな」


 確かに、二ノ前満月が俺といるとは、誰も思いやしないだろう。

 はったりとしては十分すぎる置物になるので、特別止めもせず、二ノ前満月には飾られていてもらう事にする。


 長らく使われていなかったらしい、ゴムが外れて脚の高さの合っていない椅子を引き寄せ、俺はそこに腰を下ろした。


 二ノ前満月は、窓際に並べられた机の上を手のひらで人撫でし、その上にちょこんと腰掛ける。

 窓を開けて、カーテンを少しだけ開き、僅かな陽の光を浴びる二ノ前満月は、絵画的な迫力がある。

 どうにも付き纏う、底知れない印象がそう思わせるのかもしれない。


「本当に、誰にも捕まりたくないの?」

「……さっきの話の続きですか?」

「うん、そう」


 二ノ前満月は、にっこりと、目を細めて笑ってみせる。

 その質問の真意が分からず黙っていると、二ノ前満月は、ゆっくりと口を開いた。


「本当は、捕まえて欲しい人がいる?」

「誰にも捕まりたくないですよ。面倒臭い」

「コタローくんは、嘘つきだなぁ」


 囁くように、二ノ前満月は俺の事を、嘘つきと言った。


「コタローくん、適当なタイミングを見計って、吾妻さんにみつけてもらうつもりでいるよね」

「どうして、そう思うんですか?」

「コタローくん、わたしのこと信用してなさそうなのに、みいちゃんと別行動を取ったでしょ。たぶん、みいちゃんは真剣に鬼ごっこしてるから、そろそろ邪魔になるんだよね?」


 さながら、探偵が自らの推理を語るように。

 得意げに右手の人差し指を立ててみせて、そう述べる二ノ前満月のその言葉は、確かに、否定出来るものではなかった。


「吾妻さん、きっと楽しんでると思う。コタローくんの筋書きでは、最後の最後良いところで致命的なボロでも出して、吾妻さんサイドに捕まるんだよね。そうしたら、吾妻さんと三条さんはデート出来るし、鬼ごっこも楽しいもので終わって、大団円だもん」


 彼女の推理は、当たっていた。


 確かに俺は、本気で逃げるつもりは無かった。

 まず、本気で逃げるつもりならば、非常ベルを鳴らす等、多少卑怯な手を使えばいくらでも門の見張りを取り払う方法はある。


 それをしなかったのは、鬼ごっこに付き合うと決めたからだ。


 予想外の乱入者――二ノ前満月が絡み始めて、面倒だと感じ始めたために、もうそろそろ潮時かと、水無月仁美を別行動させたのも、当たっている。


 俺が捕まる事自体については、どうでも良い。


 だから、吾妻さんが三条さんと仲良くなるためのステップとして利用されることも、むしろそうしてくれて構わないと思っていた。


 ――そう。思っては、いた。けれど、俺はこの考えを、()()()()()()()()()()()()()、心掛けていたはずだ。


「あたりかな?」

「――そうですね。どうせお節介焼くなら、最後まで貫くべきでしょう?」

「……きみは、そうやってすぐ逃げるよね」

 

 ――アンタ、ほんっと良く良く逃げんのね。

 同じような事を、三条さんにも言われた気がする。

 けれども俺は、二ノ前満月に対して逃げた覚えは無い。

 すぐ逃げると、何故言える?



「コタローくん。君に譲れないものがあるみたいに、みんな、それぞれ譲れないものがあるんだよ」



 ――二ノ前満月、こいつ、何者?

 人の心に聡い人間であれば、俺程度が考えている事を言い当てる事は、取るに足らないものなのだろうか。


 返す言葉も見当たらず、ただただ二ノ前満月を凝視していると、突然、教室内に風が吹いた。


 全てをさらう様に、逆巻く風は、この教室すべてのカーテンを持ち上げる。


 窓は、ほんの少し、二ノ前満月のすぐそばのものだけ、開けていたはずなのに。


 吹き荒ぶ風を受けているはずなのに、二ノ前満月の髪は、少しも揺れてはいなかった。


 すべてが異常な只中で、露わになった窓の向こう。



 そこには、三条遂叶の姿があった。



 三条遂叶を導くように、その目前には猫が走っている。


 明るい茶色の、不細工な顔をした猫だ。


 どいつと、どいつがグルなんだ。


 そのブサ猫は、此方をまっすぐ見詰めて、大きく口を開く。


 促されるように此方を見た、三条遂叶の瞳は、相変わらず、春の海のような色をしていた。


 その冷たさを孕んだ色は、不安と、焦りと、涙の混ざったものなのかもしれない。



 彼女はいつも、泣いている。






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