28.俺は、天使と会いたいだけなのに
「はーい」
裏返った声で返事をした水無月仁美は、ゆっくりと鍵を開け、ドアを開ける。
その音が、やけに大きく響くもんで、心臓の音が耳の横で鳴り響いているみたいに大きく感じる。
「あ、ヒトミちゃん。ちょっと今、人探してるんだけど。中見ても良い?」
「ややややややややだ……っ! だれも! イナイヨ!」
――最悪だ。
水無月仁美のそれは、大根役者どころの話ではない。
不審に思ったのだろう。男子生徒は、怪訝そうな声で「中入らせて」と水無月仁美に声を掛ける。当たり前だ。
「何してるの?」
俺が頭を抱えて蹲った、その時だ。
突然、第三者の声がする。
その声に、俺は聞き覚えがあった。
聞く人が聞けば、それは天使の声だと言うに違いない。
俺の、天使ではない。この世界の、天使だ。
「に……っ、にのまえさん!?」
「ミツキちゃーーーーーーーん!!」
この世界の、一番のヒロインの、声だった。
名前は、二ノ前満月。男子生徒と、水無月仁美が叫んだものを合わせる形で、思い出した。確か、そんな名前だったはずだ。
主人公の幼馴染み。彼女こそがこのゲームの中の女の子たちの中で、一番の優遇を受け、一番の容姿を与えられている。メインヒロインだ。
その、彼女が、今ドアの辺りに居るらしい。
「わたしに内緒で、楽しいコト?」
「いや、いま、鬼ごっこしてて」
「ふーん?」
胃もたれしそうな甘い声。
そんな声が聞こえたかと思うと、ツカツカと、足音が此方へ向かってくる。
次第に近付いてくるその足音は、ソファーの後ろ、俺の真横でぴたりと止まった。
ふわふわの、柔らかそうなピンク色の髪。
肩より長いその髪を揺らしながら、二ノ前満月は俺の隣で、にっこりと笑みを浮かべる。
美少女とは、彼女のためにある言葉だ。
そう錯覚させる笑顔を携えて、二ノ前満月は形の良い小さな唇を開いた。
想像の範疇を遥かに超える、最悪の出会いを連れて、最悪の鬼ごっこが終わろうとしている。
二ノ前満月は身を屈め、俺の横にしゃがみ込む。
間近で見れば、その顔は作り物みたいに、可愛らしい。
そんな可愛らしい顔をした、その人物は、ゆっくりと、俺の方へ手を伸ばした。
淡い桃色の瞳が、真っ直ぐ俺を見詰める。
「なんだ。猫ちゃんが居るよ」
そう言った二ノ前満月の手のひらは、俺の頬に、ひたりと触れる。
暖かそうな、お日様みたいな存在なのに、その手のひらは、血なんて通っていないみたいに、恐ろしく冷たかった。
俺を見ているくせに、猫がいるだなんて宣った、二ノ前満月は、それから悪戯を思い付いた子供みたいに笑って、手を引っ込める。
その手は、傍で寝ている猫丸へと吸い込まれて行った。
「そうなんだよー!! 猫がね、学校に入り込んでて、子沢山にされたらたまったもんじゃないから、病院に連れて行こうと思ってたんだよネー!!」
やけに説明口調でそう言った水無月仁美はさて置き、猫丸を手にした二ノ前満月は「ほら」と入り口に向かって猫丸を見せる。
それから、猫丸を抱え直し、用務員室の棚や、掃除用具入れを開けて見せる。
「人は誰もいないみたいだよ」
「そ……、そうですね!」
「私、みいちゃんに相談事があって来たんだ。外して貰ってもいいかな?」
「わ……っ! わかりました!」
ばたばたと走って立ち去る音が聞こえる。
おそらく、男子生徒だろう。
バタンとドアの閉まる音と、鍵を掛ける音が聞こえた後に、また走る足音。
水無月仁美が此方に駆け寄って来たらしい。
「ミツキちゃん、ナイスすぎるよ……。ありがとうねえ……」
「んーん。なんだか困ってたみたいだから」
俺は、二ノ前満月に助けられたらしい。
目的が分からないので、判断に困るが、猫丸を撫でる二ノ前満月の横顔に、何かを企てているような含みは見られなかった。
楽観的に考えると、水無月仁美と仲が良さそうなので、助けに入っただけなのかもしれない。
「こんにちは、タナカコタロウくん」
「……こんにちは、二ノ前満月さん」
此方を向いて、にっこり笑う二ノ前満月。
その笑顔は、完璧だった。作り物みたいに、完璧で、恐ろしさすら感じてしまう。
「二ノ前さんは、どうして助けてくれたんですか?」
「ニノマエさんって、嫌だな。わたし妹が居るんだけど一つ下でね。名字呼ばれ慣れてないから、名前で呼んで?」
「二ノ前さん」
「ミツキちゃん」
「……二ノ前さん」
「全然折れてくれないね……!」
どうしても、二ノ前さんと呼ばれたく無いらしい。
このゲームの攻略対象キャラクターの名字は、確か全員数字にまつわる名字のはずなので、ニノマエさんは、その名字ひとつで、一と二を併せ持つ形になる。
つまり、妹も攻略対象キャラクターであり、一年後、後輩として現れる。
区別化を図るために下の名前で呼ばれたいらしいが、親しくも無い女の子を名前で呼ぶのは抵抗があるので、俺としては断じてお断りしたかった。
「貴方の妹に会う予定は無いので、俺にとって二ノ前さんはひとりだけですよ」
「んー、そうなんだけどね。うん」
「それより、どうして俺の渾名を知ってるんですか?」
その質問に、二ノ前さんはきょとんと目を丸める。
「隣のクラスでしょ? コタローくん有名だよ。毎日吾妻さんが探しに来てる男の子だって」
隣のクラス? 一年B組?
――ああ、そうか。B組名物の巨大肉団子を作り、入学式の日にドミノ倒しを起こした張本人。
確かに、二ノ前満月なら、起こり得る。
「んー、というか、入学式の日、ミツキちゃん保健室に居たもんね? ベッドで寝てたけどさー」
「うん。ばーっちり聞いてたよ」
手を前に出してVサインを作る二ノ前さん。
――俺は、知らないうちにメインヒロインとエンカウントしていた?
「わたし、けっこーコタローくんの事好きなんだ。女の子に優しいもん。だから、良くわかんないけど助太刀しちゃう」
――これは、非常にまずい事になってきた気がする。
俺の頭痛を他所に横で「ミツキちゃん居れば百人力じゃん!」と喜ぶ水無月仁美は放っておいて、俺は現実逃避の為にも、今後の作戦を立てる事にする。
俺は、天使と会いたいだけなのに――




