24.まず、目指すは、
「まあ、ゆっくりして行っておくれよ」
「ああ、……はい」
俺は、水無月仁美に連れられて、本校舎一階の一室に来ていた。
そこは、非常勤のスクールカウンセラーが使用する部屋らしく、どうやら、水無月仁美は此処を拠点に活動しているようだった。
電気ポットと来客者用のコーヒーカップが用意されているその部屋の備品を使って、水無月仁美はコーヒーを入れている。
用務員室に居ない訳だ。
「最初は用務員室に居たんだけどさ、どういう訳か生徒が殺到してきてね。誰それの電話番号教えてくれとか、誰それの好きなもの教えてくれ、とか」
「…………頼りやすいんでしょうね」
「それは有り難い事なんだけどなぁ」
水無月仁美は、ゲーム内でお助けキャラの様なポジションだ。攻略対象キャラクターの電話番号を教えてくれるのも、オススメのプレゼントやデートスポットを教えてくれるのも、彼女だった。
それを知っている一年男子は、水無月仁美の元へ集ったのだろう。
想像に易いその光景が頭に浮かんでしまったので、慰めにもならない言葉を適当に返しておいた。
「そんなの知らんよって言ったら、役立たずだの、ばばあだの、それはそれは酷いもんでね」
遠い場所を見ながら乾いた笑い声をあげる水無月仁美は、自分で入れたコーヒーを一口飲んで、溜息を吐く。余程心に来ているのだろう。
「ん、美味しく出来たから田中くんも飲みなせー」
「……ありがとうございます」
ソファーに座る俺の前、テーブルにコーヒーカップを置くと、水無月仁美はポケットから手鏡を取り出して、髪に残った葉っぱを取っていた。
そこに写る彼女の顔には、もう陰りなんて微塵も滲ませていなかったけれど、こうも攻略対象キャラクターの話を連続して聞いていると、彼女らはそれぞれ悩みを抱えているんだなぁと、何とも言えない気持ちになってしまう。
一年男子生徒全員がプレイヤーという弊害は、そこかしこに澱みを生んでいるようだ。
入れてくれたコーヒーを啜りながら、盗み見た水無月仁美はというと、髪を整え直し終え、懐にしまったままの猫丸の頭を撫でている。
猫丸は目を細め、意外と大きい手を水無月仁美に向かって突き出し、にぎにぎとその手を開いたり閉じたりしていた。
他意なんて全く無いのだろうが、おっさん顔の猫が胸元に向かって手をにぎにぎさせる様子というのは見ていられるもんじゃないので、盗み見はこの辺りでやめておく。
本人は気にしていないので、わざわざ伝える必要もないんだろうけど。
「田中太郎くんは上手くクラスに馴染めてるのかい?」
「カウンセラーの真似事ですか?」
「まあ、そういう部屋だからねえ」
ひっひっひっと歯を見せて笑う水無月仁美は、吾妻さんや三条さんに比べると随分大人という事なのかもしれない。笑う見た目はどうにも幼いけれど、彼女が投げ掛けて来た質問は、自分から気を逸らす為のものだろう。
俺の話題を振られてしまい、どう返したものかと悩んでいると、丁度、俺の携帯電話が音を鳴らした。
着信音だ。
ポケットから取り出した携帯電話の、小さなディスプレイ画面には、鳳凰鴎太と表示されている。
「出なよー」
水無月仁美が促すので、気乗りしないままに携帯電話をぱかりと開き、通話ボタンを押して、そいつを耳にあててみる。
「お、出たじゃん」
間抜けな声がスピーカー越しに聞こえる。
「今な、面白いことやってるんだぜ、コタロー!」
目の前に居る訳でも無いのに、その顔は容易に想像出来た。人懐こい顔で、楽しそうに笑っている事だろう。
「切るぞ」
「待って待って、まだ待って」
「なんだよ」
「フェアじゃないから教えるけど、三条さんが、今からコタローを見付けたやつと放課後デートするって宣言したんだ。だから、みんなコタローを探してる」
「――三条さんが? 俺を?」
――理解が追いつかない。
鴎太から詳細を聞き出そうと口を開いたと同時に、そいつはこの部屋の外から聞こえて来た。
「ほーーーーーーーーーーーーー!!!!」
野太い、野郎の声だ。
廊下に響くその声は、恐らくこの階の一番近い階段の方から聞こえてきた、気がする。
「あ、聞こえた。吾妻さん、ほだったよ」
「本校舎一階になりますね。彼らにメールを送ってください。本校舎を封鎖しましょう」
電話口から小さく聞こえてきた声は、吾妻さんのものだった。鴎太が声を掛けていたし、間違い無い。
会話の内容からして、今の男子生徒の声は、俺の位置を特定する為のもの……。
「吾妻さんも参加するんだって、三条さんは意外そうだったけど。面白そうだから、オレらは吾妻さんにつくね」
電話は、それだけ言うと切れてしまった。
携帯電話を閉じ、ポケットにしまいながら考える。
三条さんが、俺を探している?
良い未来が、全くもって想像出来ない。
逃げなければ。
「なんの電話だった? 顔色悪いね」
時間は、無い。
「おーい、どうした少年?」
――そうだ、使えるものは、何でも使おう。
心配そうに俺を覗き込む水無月仁美の手を握る。
「えっ? えっ? 何事?」
「一年男子企画で、鬼ごっこがはじまりました。俺が追いかけられる側。皆と仲良くなる為に、水無月さん俺側で参加しませんか?」
早口の説明を、水無月仁美は意味が分からないといった様子で聞いていたけれど、少し考えた素振りを見せた後、彼女は目を細めてにんまりと笑う。
八重歯さえ見せなければ、この人はこんなにも含みのある笑い方が出来るのか。
「面白そーじゃん。オッケー、私は田中太郎くん側につくよ」
悪い事を考えていますと、全面に押し出した表情をする、水無月仁美。
胸元からひょっこり顔を出しているブサ猫さえいなければ、これは立派にイベントスチルのひとつになっていたかもしれない。
「それじゃあ、窓から逃げましょうか」
「おー! いいねいいね、青春じゃん!」
はしゃぐ水無月仁美を連れて、俺も理解出来ないまま、意味不明な鬼ごっこが、幕を上げる。
兎にも角にも、捕まった先の未来が面倒な物に思えて仕方がないので、走る他、無いだろう。
――まず、目指すは、校門だ。




