22.その一名を除いては(三人称)
三条遂叶には一生懸命になれるものが何もなかった。何も固執できるものがない。それは、彼女にとって、とても恐ろしい事だった。周囲の皆が当たり前に出来る事、している事、夢見ている事が、欠落している。それはなんだか、人間らしくなくて、化物みたいだ。少なくとも、彼女自身はそう思う。
ーーー
例えば、そう。一人称。
アタシという一人称は少し馬鹿みたいだと、三条遂叶は思っていた。
けれど染み付いたそれは、中々身から抜けるものでは無い。
三条遂叶は考えてからものを話すということが苦手だった為、どれ程変えようと試みても、いざ話すとなると普段通りに話してしまう。
三条遂叶は、それを罰なのだと受け止めていた。
人の真似をして、自分を作った、自分への罰だ。
「今日も来たの? タナカコタロー、いないよ」
「……そうですか。仕方ありませんね」
三条遂叶は吾妻咲が毎日訪ねてくる事に苛立ちを覚えていた。居ないのに、毎日来る。そうして自分と少し世間話をしたら帰って行く。
「……お菓子食べる?」
「――……っ! いいんですか?」
具体的には、お菓子を食べて、帰って行く。
初日に、随分と落ち込んでいたので、飴をいくつかあげた。自分は甘いものを食べると、沈んだ気持ちが少しは元気になるからだ。
次に来た時、吾妻咲はお菓子を持参して来た。
この前のお礼だと。
自分で全部食べるには多いなと感じた三条遂叶は、吾妻咲に一緒に食べるかと提案した。
吾妻咲は、それに喜び、三条遂叶も喜ばれる事に悪い気はしなかったので、二人は一緒にお菓子を食べた。
それが、二人の交流の始まりだった。
毎日毎日、田中小太郎を訪ねて来る吾妻咲のどうしようも無さに、苛立ちを覚えながらも、三条遂叶は、この時間が嫌いでは無かった。
「実は、今日もお菓子を持って来たんです」
「タナカコタローいないの前提じゃん」
「バレましたか? 今日も居ないだろうなと思いながら来ました」
吾妻咲は少しだけ、悲しそうに笑ってみせる。
三条遂叶は、とても笑う事が出来なかった。
こんなにも毎日一生懸命訪ねて来ているのに、田中小太郎はいつも居ない。
三条遂叶は、田中小太郎が毎日教室に居ない事に苛立ちを覚えていた。訪ねて来てくれる人がいるのに、彼はいつも、教室に居ない。
三条遂叶は、二人ともに苛立ちを感じていた。
それと同時に、酷く羨ましかった。
三条遂叶には一生懸命になれるものがない。
だから、吾妻咲の事が羨ましかった。
そんなにも懸命に田中小太郎の事を思える事が、羨ましかった。
これ以上、吾妻咲の相手をしていると、嫉妬に染まる自分の事が、嫌になりそうだった。
だから、三条遂叶は田中小太郎を追いかける。
吾妻咲と会う様に、説得するためだ。
けれどもそれは、失敗に終わってしまった。
「コタロー、好きな人がいるんだよ。だから吾妻さんに会えないんだ。女の子といる事が噂になったら、困るから」
鳳凰鴎太は、三条遂叶にそう伝えた。
三条遂叶はそれを聞いて、矢張り、羨ましかった。
あれ程までに自分を訪ねて来てくれる人物を捨て置いて、自分の気持ちを優先したいと思える相手がいる事が、羨ましかった。
羨ましい、羨ましい、羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい。
羨ましいのだ。そうして、とても、妬ましい。
けれど、これに関して言えば、田中小太郎を責められる類の話では無い。
吾妻咲が自分の気持ちで田中小太郎に会いに来ているように、田中小太郎も自分の気持ちで吾妻咲を拒絶している。
彼の責められる点はといえば、その無責任さだ。
三条遂叶は次に会った際に、何故そんな無責任な事をするのか問い詰めようと考えた。
その出会いは、すぐに、唐突に、訪れた。
三条遂叶は田中小太郎の話を聞き、納得してしまった。
彼は、あまり物事に関心が無くて、だからその場限りの優しさを振りまいてしまう。その場に馴染むように、順応してしまうのだ。
弱っている所に、優しさを吊るされてしまえば、人は皆食いついてしまう。とてもずるい事だと、三条遂叶は思ったが、これもまた責められる類のものでは無いと、思えてしまった。
優しさが悪な訳が無い。
もっとと強請る、自分の方が、悪なのだ。
手詰まりだった。
最早、自分にできることは何もなかった。
「今日も、来てしまいました」
「……タナカコタロー、今日もいないよ」
「そうだろうなと、思ってました」
吾妻咲は、変わらず少し悲しそうな顔をする。
けれど、必ず笑ってみせる。
そうして手提げ鞄からお菓子を取り出して、一緒に食べようと微笑むのだ。
「ねえ、吾妻さん。もうやめたら?」
だってもう、手詰まりだった。
これ以上、田中小太郎に吾妻咲と会うことは強要出来ない。
自分は何もしてあげられない。
あと、出来ること。それは、吾妻咲が諦める事の手助けくらいのものだった。
「タナカコタローは、吾妻さんと会う気ないよ」
泣かせてしまうだろうか。
ざわざわと、教室内が騒がしくなる。
皆が自分の話をしている。
じりじりと爪先から黒いものがのぼってくるみたいで、とてもとても、気持ちが悪い。
三条遂叶は泣き虫だ。
心がとても、弱かった。
それでも、自分が泣いてしまったら目の前の女の子が泣けないだろうと、自分を律する。
目を見開いて、真っ直ぐ目の前の女の子を見据えた。
自分は、酷いやつになる。
簡単だ、自分はいつも、酷いやつなんだから。
「タナカコタロー、好きな人いるんだって」
上手く笑えているだろうか。
酷くぎこちないものになっているかもしれない。
そう思いはしたが、此処まで来ればヤケクソだ。
とびっきりの酷いやつになれるように、口角を上げて笑ってみせる。
目をまんまるにした吾妻咲の瞳が揺れて、それから、――吾妻咲は、満面の笑みを浮かべてみせた。
凄く凄く、幸せなことがあったみたいに。
「ごめんなさい、三条さん。私、田中さんに許可を貰っているんです。鳳凰さんにお願いして、伝えてもらいました」
吾妻咲は、どうして笑っている?
何を言っている?
三条遂叶の頭の中を、疑問符が占拠する。
「田中さんは優しい人だから、その場の流れで友達になってくれたんだろうなって、わかってました」
目を伏せて、ぎゅうと手提げ鞄の持ち手を握る吾妻咲。とても、とても言いにくい事なのだろう。
言葉を選びながら、ゆっくり語られる言葉の意味が、三条遂叶は分からなかった。
「一番最初に会いに来て、会えなかった時点で、本当は諦めてたんです。でも、代わりに、友達になりたい人が出来てしまって――」
諦めていた? でも、だって――、
――いや、吾妻咲は、初日以外、田中小太郎に会いに来たとは言っていない。
お礼にお菓子を渡しに来たと言ったのに、田中小太郎に会いに来たと判断したのは、三条遂叶だ。
以降、勝手に田中小太郎に会いに来ていると解釈し、田中小太郎は居ないと伝えていた。
吾妻咲は、そんな事一言だって、言ってないのに。
いつも、自分とお菓子を食べに来ていたのに。
身体中の血液が顔に集まって、ぐらぐらと煮立っているようだ。
勝手な勘違いで、吾妻咲の気持ちを蔑ろにし、田中小太郎に感情を当て付けた。
自分が一番にして唯一の、愚か者だ。
『きっと、貴方の言う大切なものは近い内に見付かりますよ』
無責任な発言なんかじゃない、彼は全てを知った上で、見通した上で、発言していた。
きっと、あの日だ。自分が田中小太郎に会いに行った、あの日、鳳凰鴎太が田中小太郎を探しに来た。
鳳凰鴎太は、来るなと言われれば田中小太郎を追いかけたりは、しないのに。
いつも、そんな遣り取りをする様子を、見ていたのに。
「田中さんに会いにA組に行ったら、三条さんという方に会って、とても優しい人なんです。お友だちになりたくて、毎日その話をしに行こうと思っているんですが、勘違いを正せないままで、田中さんに迷惑をかけてしまうかもしれません。それでも、私は、A組に行ってもいいでしょうかって、伝えて貰ったんです」
「――タナカコタローは、なんて?」
「俺は吾妻さんの幸せを願ってるよ。友達出来たら、嬉しいです。三条さんはとても良い人だし――って、鳳凰さんを通して、お返事をくれました」
自分だけが、知らなかった。
いや、勘違いしたまま、相手の言葉を聞かなかったのは、自分だ。
三条遂叶は、いてもたってもいられなかった。
「アタシ、ちょっと、行ってくる」
「え……っ?」
「アイツ、ぶん殴らなきゃ、気が済まない」
目の前が霞んで良く見えない。
三条遂叶は、弱虫で、心の弱い女の子だからだ。
それでも、三条遂叶は、駆け出した。
みんな勝手だ。
振り回されて、バカみたいだ。
あんなに、田中小太郎に対して怒ったのに、全部自分の勘違いで、早とちりで、バカみたいだ。
田中小太郎の言葉が頭を過る。
『俺は、吾妻さんと三条さん、いい友達になれると思うよ』
なんて勝手なやつだろう。
なんてバカなやつだろ。
なんて、優しいやつだろう。
鬱陶しくて、苛々する。
他人のために、嫌われ役のまま弁明もしない。本当の事を押し付けたりも、しない。自分で気付く、チャンスをくれて、頼る術も与えてくれて、バカで、バカで、優しいやつだ。
走って向かった用務員室。
そこは、もぬけの殻だった。
こんな所まで、嘘ばかりだ。
「――……頭来た。マジで、一発ぶん殴る」
三条遂叶は、駆け出した。
持ち前の運動能力を、ありったけに使って、一年A組の教室まで駆け戻る。
そうして、声高々に、宣言してみせた。
「注目!!!! 今から! 一番最初に! タナカコタローを見つけたやつ!!!! 今日の放課後アタシとデートだ!」
教壇で叫んだその言葉は、オーディエンスを沸かせた。
三条遂叶は、手足は震えて声も震えていたけれど、それでも、目的の為には手段は選べない。
貰った携帯電話の番号を使うことも出来ただろう。
けれど、三条遂叶は、それをしない。
自分自身の持ち得る力で、田中小太郎を見つけ出してこそ、意味があると思ったからだ。
皮肉にも、三条遂叶は一生懸命だった。
捨身になれるほどの、懸命さだった。
話は、瞬く間に校内全域を駆け巡り、一年男子は全員漏れなく参加を表明してみせた。
田中小太郎。当事者である、その一名を除いては。
お読み頂きありがとうございます!
もし気に入って下さった方がいらっしゃいましたら、広告下の星マークから評価、ブックマークお願いします。大変励みになります!
次話、鬼ごっこ開始します。




