たったひとつの躓きの石 ~ジョン・ラジア~
1930年代は大不況時代と言われていた。
職がなく、食べるものもなく、銀行が借金のカタにとった土地は誰も耕すものもなく、アメリカはカネを生み出さない負債の重みでどこまでも沈んでしまいそうだった。
そんな暗い時代、どこよりも明るくギャハギャハ騒いでいる町があった。
それがカンザスシティである。
悪徳市長トム・ペンダーガストのもとでカンザスシティは最盛期のシカゴみたいな悪の都になり、酒、女、ドラッグ、そして、最高のジャズを提供していた。
スウィングとビバップの橋渡しをした『カンザスシティ・ジャズ』が繫栄を極めたのもこの時期である。
なにせ、他の町の二倍のギャラがもらえるのだから、全米最高クラスのジャズマンたちが多く集まった。
ウォール街の大恐慌が起こる前の、どんちゃん騒ぎがここにあったのだ。
――†――†――†――
ジョン・ラジアは1896年にニューヨークで生まれた。
学歴は高校中退であり、マフィアとして、そして当時のアメリカ人としては、割と高学歴に属する。
いつごろかは分からないが、カンザスシティに移り、昼は会社員、夜は強盗をして過ごした。
ところが、ニ十歳のとき、歩いていた男に銃を突きつけて強盗をしたら、それが私服の警官だった。
ラジアは撃ち合い、そして現行犯逮捕された。
宣告された刑期は十二年である。
ところが、時は1917年、アメリカが第一次世界大戦への参戦を決めたころであり、もし兵役を志願するなら刑期はなかったことにしてやると言われた。
ラジアはそれを断った。
じゃあ、十二年間お勤めするのかというと、実はもっといいオファーがあったのだ。
それがマシーンだった。
意味合いとしては選挙のための機械のようなところで、具体的にはその候補者が必要な票を(非合法な形で)集める。
もっと具体的には酔っ払いを集めて、ひとりにつき十枚の投票用紙を持たせて、投票させるというもの。字が書けなかったら、候補者の名前を書けるようになるまで酒をお預けにする。
逆らったら殴る。
あと、反対候補の支持者がたくさん住む場所の投票箱を暴力で奪って焼いてしまうというのもある。
ジョン・ラジアは「お前は見どころがあるから、マシーンをやらないか?」と悪徳市長ペンダーガストに誘われ、ラジアはチンケな稼ぎでハイリスクな強盗家業に別れを告げ、民主党のために票を集めるだけの簡単なお仕事に鞍替えした。
ちょうどその時期に禁酒法が始まり、ラジアは市内の酒場にウィスキーを供給する一方でペンダーガストが必要なだけの票を作り出し、メキメキと頭角をあらわした。
そもそも、ペンダーガスト自身が民主党のお偉方から、確実に議席を取れないかと依頼されているので、ラジアは下請けということになる。
この票集めは直接現金にはならないが、ペンダーガストによる保護が得られ、警察はラジアに手が出せなくなる。
1928年、ラジアはノースサイド民主党クラブの代表となり、政治にのめり込んでいく。
もちろんラジアはカンザスシティのマフィアのボスであり、中西部でも最大クラスのマフィアのボスだったが、ニューヨークやシカゴみたいに殺し合いで無駄に時間を潰してリスクに己が身をさらしたりせず、スマートに繁栄した。
ラジアは罪深い町向けのリゾートチックな賭場をつくり、高利貸しもして、ソフトドリンクの販売会社を持ち、さらに保釈金貸出業も行った。
法的な絡みがかなり強いので保釈金貸出業をやるのは相当難しく、知っている限り、これができたのはラジアしかいない。
逆にそれだけの政治・司法への影響力があったということだ。
ペンダーガストとラジアのうまいところはたまには改革派議員たちも活躍させて、市民の政治に対する不満のガス抜きをしてやったところだ。改革派議員たちも結局はラジアの協力がなければ当選ができないのだから、本当に改革ができるわけはないのだ。
ラジアは大成功した。
彼の財産はざっと見ても、表に車まわしのある豪邸、ロタワナ湖に何隻かのプレジャーボート、それに複数頭の馬主であり、全米のあちこちのレースに出場していた。
さらに大不況襲来で廃止されそうだった市のスポーツイベントやチャリティーイベントのスポンサーになり、ラジアは裕福な名士としての名を確かなものにする。
新聞は彼をこう呼んだ――ブラザー・ジョンと。
儲けはデカいが、しょっちゅう殺し合いをしているニューヨークやシカゴのボスたちが法律でトラブルを抱えて、動きが取れなくなるのに比べ、ラジアは非常にうまくやっていた。
対立するファミリーはないし、市長のペンダーガストの帝国もゆるぎない。
確かに逮捕されることはあったが、酒の密売や脱税など、庶民たちの同情が得られるような罪状で、それも執行猶予付きの禁錮一年なのだから笑いが止まらない。
大大大大大成功をおさめたラジアだったが、その帝国がぐらりと揺れる大事件が起きてしまう。
――†――†――†――
地元のギャング団のリーダーにヴァーノン・〈ヴァーン〉・ミラーという男がいた。
元は銀行強盗だったが、殺し屋業に転身し、ラジアとも付き合いがあった。
まあ、クリーンに成功は納めていても、やはり殺し屋を使うことはあるのだ。
ミラーは仲間のフランク・ナッシュという強盗犯を逃がしてやりたかったらしく、ラジアに相談した。
ラジアにしてみれば、その情報をゲットするのはさほど手間ではなかったらしく、そのナッシュが鉄道で移動中FBI捜査官と一緒にカンザスシティで一度降りることを知り、その日にち、時間をミラーに教えた。
ミラーは仲間のプリティ・ボーイ・フロイドとアダム・リチェッティとともにナッシュ奪還作戦を実行に移した。
簡単に解説すると、駅を降りて、FBI捜査官と一緒にナッシュが車に乗ったところでマシンガンをぶっ放すというもの。
その結果、五人が死んだ。
四人がFBI。最後のひとりはナッシュだった。
たいてい犯罪者は後部座席に乗せるという思い込みで助手席にいるFBIを蜂の巣にしたのだが、その助手席に乗っていたのがナッシュだった。
1933年6月17日、カンザスシティの大虐殺。
シカゴの『セントバレンタインデーの大虐殺』やニューヨークの『ベビー虐殺』よりもひどい大虐殺だ。
考え得る限り最悪の結果だった。
FBIが四人死んで、仲間も死んで、ミラーたちは一生FBIに追いかけまわされる。
だが、一番迷惑を被ったのはラジアだった。
使われた銃はラジアの部下たちが州兵の駐屯施設にあった武器庫から得たものだったのだ。
ラジアに対する追及が始まることは間違いなかった。
悪徳市長のペンダーガストはラジアを見限ろうとして、ラジアの幹部マイケル・ラカプラに肩入れをし始めた。
すると、ラジアに忠誠を誓う殺し屋たちが大虐殺の二か月後、ラカプラを待ち伏せして殺しかけ、銃撃戦の末、逮捕された。
翌年、1934年7月、ラジアはパーク・セントラル・ホテルの前で撃たれて死んだ。
妻、それに側近のチャールズ・カローロとともにナイトクラブをまわり、当時、住居にしていたホテル前で車を降りた瞬間、生垣で待ち伏せしていたふたり組の機関銃とショットガンが火を吹いた。
ラジアは妻を車に押し込み、カローロに車を出せと怒鳴った。
ラジア自身は妻を守るためにおとりとして外に残り、さらに何発か撃たれて、歩道に倒れた。
ふたり組は逃げ、ラジアは病院に運ばれたが、全身をズタズタにされていて手の施しようがなく、まもなく死亡した。
死ぬ前、医者の誰に撃たれたのか?という声掛けに、ラジアは言った。
「分からない。誰が、なんのために? このジョン・ラジアを? みなの友人を?」
生き残った側近のカローロは裏切り者のマイケル・ラカプラを追いまわし、何度も殺しかけ、ついに1935年、成功した。
ただ、ペンダーガストが推したラカプラが殺され、カローロがボスになったことで、ペンダーガストの集票力が衰え、それは後日、自身の失脚につながった。
ところで、ラジアの死体から検出された銃弾を検査した結果、犯行に使われた銃はカンザスシティの大虐殺で使われたものと同じものだった。
だが、ラジアが死んだころにはヴァーノン・ミラーもフロイドも殺されている。
???
誰がラジアを殺したのか?
こういうときは一番得した人物を疑ってみるべきだろう。




