末裔からの呼びかけ――無視。
黒歌鳥は言った。
「――『悪であった王は死に、英雄王の剣を前に古き王朝は滅びた』。そのシナリオを絶対的なものとして歴史に定着させる為には、『平和で富み栄えた善き王朝』が少なくとも数百年は持続しなければならない。少なくとも、続く時代が平和でなければ、滅びた王朝が争乱の元凶だったのだと明示することは出来ないでしょう?
だから。
『英雄王の興した新王朝』には、暫く平和に続いて貰わなくては困るのですよね」
何故なら、それこそが。
己よりも優位な立場の人間を弑して玉座を手に入れた王を、その王を育んだ腐った王国を。
生まれた自分から本来与えられるべき何もかもを、奪った全ての要因を。
絶対悪として歴史に刻み、後世の誰からも悪し様に語られる未来を創る。
……それが、幼い黒歌鳥の選んだ、報復だったのだから。
その壮大すぎる報復に巻き込まれた男共の悲哀は、全く考慮されていない。
だけどそれ以上に。
幼い時分が唯一と決めた目的を達する為に黒歌鳥は手段を選ばないが……
選ばれない手段の中に、『己の生存権』まで含まれていたことを、誰が知っていただろうか。
報復の為に、黒歌鳥が選んだモノ。
新たに始まる王朝を長く安定させる為、平和を(強制的に)もたらす為に、自分の命を礎にしようというのか。
今この時までは、最も被害を受けた男すらそれを知らずにいた――。
己の命をささげる。だから代わりに契約の変更を――。
躊躇いなく、黒歌鳥は代価を提示する。
自分の命と引き換えに新たな契約を望む。契約とやらがどれ程に重いのか……それは黒歌鳥が命を捧げないといけないようなモノなのだろうか。その価値があるというのだろうか。
思い掛けない事態に、閣下は自分が金縛りにかかったように感じた。
黒歌鳥はその必要が、それなりの意味がなければきっと一つしかない切り札を使いはしないだろうが……。
あっさりと自らの命を投げ打った18歳の吟遊詩人に、閣下の顔色は激変していた。
こんなに変わった顔色は、きっと彼の子供達でも見たことはない。
金縛りを振り切り、閣下が何かを言うよりも先に。
命を捧げられた側……精霊の男が口を開く。
果たして精霊は黒歌鳥の言葉に、どう反応を返すのか。
そうして願い出た側の黒歌鳥に、しかし始祖が告げたのは……
精霊は、ただ一言で告げた。
「却下」
簡潔な一言だった。
精霊は顔色一つ変わっていない。
ただ真直ぐに黒歌鳥を見る目は、無表情といって良いくらいだ。
逆に驚き、慌てる羽目になったのは黒歌鳥の方である。
黒歌鳥の目はまぁるく見開かれ、閣下が黒歌鳥のこんな風にぎょっとした顔を見たのは後にも先にもこの時だけだ。
それがどれだけ希少な光景か。
精霊に機先を制された上に、あまりにも珍しい光景を目にして閣下が面食らう。
ついでに吐き出そうとした怒声を呑み込んだことで、息がつまって咳き込んだ。
精霊の方は珍しい光景だなんて知らないからか、平然と、滔々と一方的に語る。
「幾らそなたでも、濃い血を引く王の血筋であろうとも、所詮は『人間』。『人間』一人の命だけでは代価に足りぬ。新たな契約は結べず、どれだけ値切り交渉を続けても、命が一つでは贖えるものではない」
「そこをなんとか、値切られてくださいませんかね……」
「びた一文まからん。どうしても新たな契約が欲しいのであれば、充分な代価を用意して出直してくるが良い」
「まさかの門前払いですか……」
がっくりと肩を落とし、疲れたような溜息が黒歌鳥の口から漏れた。
心底困ったという顔は、作った表情ではない。
珍しいことに、黒歌鳥は素の顔をさらしていた。
閣下がすぐ隣にいるというのに。
お影で閣下の方が、見てはならないものを見たような気がして……後が怖くて、顔が引きつった。
「これは計算を間違えましたね。この肉体は人間でも、この魂は精霊に近い。それも貴方の眷属だ。それなりに値はつくと思ったのですが」
「完全な精霊になってから出直してくるが良い」
「私が完全な精霊に進化するのに何千年要すると思っているんですか」
お前ら、何年生きる気なんだよ。
閣下の声にならない疑問に答える者はいない。
先程、うっかり呑み込んだ怒声が喉につかえて、まだ満足に声は出せそうになかった。
今だ閣下は咳き込み続けている。喉、大丈夫かオッサン。
自分はいつまででも『ここ』で待つことが出来る。
だからよくよく料金プランを練り直して出直して来いと。
そしてぽかんとする末裔を残し、始祖の姿は掻き消え……ようとした。
でも、出来なかった。
「本当は、穏便な方法で済ませるつもりだったが。
――でも、仕方ないことか」
私の提案は蹴られてしまった。
ならば、代替案を遂行に移すしかない。
どこか仄暗い色を帯びた、声が。
常の黒歌鳥の爽やかで明朗快活とした声。
それとは全く趣の異なる、淡々とした声が場に落ちる。
最初、その声が誰の発したものか……閣下にはわからなかった。
あまりにも普段の吟遊詩人と調子が違っていたので。
「く、黒歌鳥……っ?」
ようやっと閣下の口から零れ落ちた呟きは、喉の不調だけではない理由で擦れまくっていた。
いつも微笑みを湛えていた顔。
だけど今、青年の顔に表情らしい表情はない。
これまた初めて見る無表情に、閣下の顔は思わず引き攣った。怖かったので。
「今までの不当な拘束を思えばこそ、自由を差し上げようと思った。だが新たな契約を得られないとあれば……致し方ない。今までの契約を継続する」
初代王の父、王家の祖。
始王祖と呼ばれる精霊。
この国を守ってきた結界。そしてその形成維持を約束する契約とは。
それは始王祖、あるいはその血を引く眷属を結界の中央に置くことで保たれている。
結界を張り続ける為には、結界の中央に当たる場所……即ち王都の真ん中、王城の位置する場所に要となる存在が常に居続けなくてはいけない。
だがそれは、別に王族でなくとも構わない。
結界の維持に必要とされているのは、祖から引き継いだ精霊の血。
だったらそもそも……王家にその血を与えた、始祖の精霊そのものを結界の中央に引き留め続けられれば良い話じゃないか。
人間の血で精霊の力の薄れた王族を配置するよりも、精霊そのものを置いた方が圧倒的に安定感は上がる。
恐らくそれもあり、五代目の王は精霊や王達の精霊玉を国宝として王城に縛り付けたのだろう。
王家に流れる精霊の血が薄くなってきていることを、我が身で実感し。
やがて精霊の血を完全に失い、子孫がただの人間となり。
そうして結界が消失することを恐れた……そんな側面もあったのだ。
消え失せようとした精霊の、あまりにも長い髪を掴んで引き留める。
「む?」
「残念ながら、逃がすことは出来ない。私の復讐と国家安寧の為、貴方には今後もここに留まり続けていただこう」
黒歌鳥の右手には……いつの間にか、抱っこできるくらいのサイズの。
不気味な木偶人形が握られていた。
この時。
閣下は心底、この現場に居合わせてしまったことを後悔した。
カタカタと小刻みに震え、目線を彷徨わせながら我が身の不幸を悲しんだ。
黒歌鳥と二人、王を追って消えていた間に何があったのか……閣下は終生、口を噤み続けた。
言えるはずがない。
黒歌鳥が人外さんを鷲掴み……肉体を奪い取って、その核を人形にぶち込んだ挙句、せっせと生き埋めにしている光景を目撃してしまいました……なんて。
全てを終えた後、一仕事終わったーとばかりに額の汗を拭った黒歌鳥の、爽やかな顔。
目に焼き付いたイイ笑顔は、恐怖と共に閣下の心臓に深く刻み込まれてしまったのだった。
そうして始王祖様は王城地下に埋められた。
……王城が再建された後、改めて黒歌鳥が掘り出し、地下の秘密の部屋に封じ直したという。
奪われた肉体の方も、黒歌鳥が封じてしまった。
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