聖受歴1,538年 雪耀月3日――血塗れの玉座
カオス君にスタンバってもらっているのに、なかなか彼の活躍場面まで進めません……。
男は、己の手に入れた栄光を全て奪われ、踏み躙られ。
頭を足蹴にされる屈辱に、魂は怨嗟に染まった。
胸中に、どす黒いものが蘇る。
己が手で始末することにより、捨て去った筈のものが。
ちっぽけな下らないものだと見下し、忘れ去った筈のものが。
封じ込めていたのは、生来男に付き纏っていた負の感情。
自尊心の高い男には、『アレ』は耐え難い存在だった。
生まれながらに『二番目』であることを強いられる怒りと屈辱。
男よりも上に位置づけられた存在を妬み、僻んだ。
生まれた順番という理不尽な理由で、『アレ』が手にできるモノが己には許されない。手に入れられない。
――『玉座』、が。
父親というだけで偉そうに威張り散らす愚物よりも。
兄というだけで何においても優遇される忌々しい屑よりも。
あのピカピカと華やかに光り輝く美しい椅子は、この自分にこそ相応しいというのに。
きっと誰もが、愚物や屑にへりくだりながらも内心ではそう思っているはずだ。
ああ、きっとそうに違いない。
その証拠に、ほら――自分には、玉座へと後押ししてくれる『味方』がこんなにもいるのだから。
だが『味方』の筈の者どもは、あまりにも役立たずで愚図だった。
この私を……『国王』である私を蔑ろにし、終いには私を置いて自分達だけ逃亡を図ったのだから。
あのような背信者共、もう要らぬ。
王を敬わぬような裏切り者は、要らぬ。
目に物を見せてやる。
見ているが良い――地獄の底から。
私自らが送ってやったのだ、光栄に思え。
王の手を煩わせおって。
裏切り者共の首を並べて、紅蓮の中で宴を開こう。
いいや、裏切り者共だけでは済まさぬ。
我が王国の、全てを。
王に刃向かった反逆者共、諸共に。
この王の城ごと、滅びるが良い。
「『兄上』……あなたには、絶対に。絶対に、玉座は渡さない」
私の顔を踏みつけにして、『兄』の顔が笑う。
私を見下し、嗤っている。
この屈辱を、どうして耐えねばならんのだ。
『アレ』に……『兄』に渡さぬ為には。
『兄』に渡すくらいであれば。
すべて消えてしまえば良い。
兄上には、絶対に返さない。渡さない。
私はかかる加重が緩んだ瞬間を逃さず、王の頭を踏みつけにする不敬な足を払い退けた。
最早、この足の持ち主が『兄』であろうがなかろうが、どちらでも良い。
今動かねば、全てを奪われてしまう。はぎ取られる。
その思いだけが、頭を占めた。
自分の物を、自分の物としておき続ける為に。
ひたすらに「動かねば」との意思に突き動かされて前へ、前へと這い進んだ。
四つん這いで進む背を踏みつけにすることなど簡単だっただろうに。
今の今まで自分の顔を踏んでいた男の追撃がないことを、不思議にも思わずに。
頭の中には、自分の富と栄光を守る手段しかない。
他の物事など、考える余裕はなかった。
私のものだ。
私の、この王の物だ。
この玉座も、この城も。
この国も、民草共の命ひとつひとつまで。
領土の上にある全ては、私のものなのだ。
だから、滅ぼすまで。
奪われるぐらいであれば、全て灰にしてくれる。
全ては私の物なのだから……私が私の物を壊すのだ。構わぬだろう?
誰にも文句を言わせはせぬ。
私は悪くない。
私は、悪くないのだ。
悪いのは全て、私の物を奪おうとする……兄上、あなたが悪いのだ。
私は、這いつくばった姿への屈辱も忘れて。
這い進みながら、指に嵌めた飾り爪を自分の胸元へと向ける。
装飾用の爪は鋭く、刃には劣るが人肌を傷つけるには充分に硬い。
自傷行為への躊躇いはなかった。
それよりも王に反する者達への怨嗟が勝る。
不届き者を地獄に送ることが出来るのであれば、己の権利を守ることが出来るのであれば。
他は、この身であろうと、どうなっても構わぬ。
私は尖った爪で、自分の首から胸元にかけて掻き毟る。
刺され、刺され、深くふかく。
抉り出した恨みの鼓動を捧げ、べっとりと濡れた手を振り上げて。
赤い血を、『真の玉座』に、かけた。
これで終わりだ。ぜんぶ。
自分の呼吸音が、耳障りだ。
だが構ってはいられない。
喉を迫り上がる血に、噎せながら。
私は死力を尽くして、文言を叫ぶ。
「――『破壊の天使』よ、蘇れ!」
翳む眼。失いゆく視力で、玉座から光り溢れる光景を見る。
言い伝えに誤りはなかった。
これで、この国はもう間もなく滅ぶだろう。
自身の勝利を確信して、勝手に苦しい喉から哄笑が漏れる。
だが。
静謐な声が、最後に私の耳へと届いた。
「お疲れ様です、国王陛下」
――これでもう、貴方の役割も終わりです。
黒歌鳥「死んでくれても構いませんよ」




