ティファリーゼ・ベルフロウ――聖受歴1,537年 土耀月21日 晴れ
黒歌鳥さまはいつも、お優しくて誠実で。
とても素敵な方だから。
自分でも気づかない内に……私は、あの方に恋をしていました。
戦う力のない身で、それでもお父様達についていきたくて。
自分達に出来る仕事を見つけて、私たち女は強引に皆について行きました。
戦場では私達のような弱い女子供は邪魔だと、ちゃんとわかっていましたけれど。
それでも、どうしても。
私達は、皆に置いていかれたくなかったのです。
お父様達が遠いところで大変な思いをしているのに、遠くで祈りを捧げて待つなんて……出来ないと思ってしまったから。
だから何だってやるつもりで、私達はここにいるのです。
黒歌鳥さまはいつも、そんな私達をねぎらい、励まして下さるの。
私達の言葉に微笑んで、戦についていく私達の気持ちを汲み取って下さったの。
戦の緊張に満ちた一時を忘れる、美しい歌声は何よりの慰めでした。
「黒歌鳥さま、あの、これを……私が作りましたの。召しあがって下さいますか?」
「ティファリーゼさん。今日もありがとうございます」
毎日の習慣として、頑張って定着させたこと。
それは何かしらのお菓子を焼いて、黒歌鳥さまに受け取っていただくこと。
戦時のことですもの。お菓子の材料も無限じゃないってわかっていました。
わかっていましたけど……少しでも、黒歌鳥さまに喜んでいただきたくて。
少し困った風にしながらも、嬉しそうに目元を細めて下さるのを何度でも見たくって。
「毎日いただいてばかりで、少し申し訳なくなりますね」
「まあ、いただくばかりだなんて。私こそ、黒歌鳥さまにはいつも感謝しています。素敵なお歌のお礼だと思って、どうぞ受け取って下さい」
こんな……戦の気配とは切っても切り離せない時ですから。
戦う力のない黒歌鳥さまも、きっと私達と同じく心苦しい時を過ごしておいでのはず。
だからこそ私達のところに頻繁にいらして、こんな慰労めいたことをなさっているんじゃないかしら。
私達の気持ちをわかって、こうして気遣って下さっているのではと思うのです。
本当に戦いのお役には立てない私達と違い、黒歌鳥さまには黒歌鳥さまにしか出来ない何がしかのお仕事もあるみたいでしたけれど……
「まあ、そんな遠くにまで足を運ばれていましたの? 昨日はいらっしゃらないから、どうしたのかしらと思っていたのですけど……」
「ふふ。僕みたいな吟遊詩人はこんな戦時でも情報収集ならお役に立てますから。そうだ、新しい流行歌を街で聞き覚えてきたんですよ。一曲聞きますか?」
「よろしいんですか? 素敵!」
「喉に馴染ませるには回数をこなして歌わないと、ですからね。僕にとっても練習ついでのようなものです。そんな練習不足の拙い歌をお聞かせするのは、失礼かもしれませんが……」
大目に見て下さいね、なんて言って。
黒歌鳥さまは今日も私達に新しいお話や愉快な物事を語って楽しませて下さいました。
「本当は練習中の歌なんて、他人には聞かせられないんですけどね。僕の仕事上は」
でも、こうしてここで歌うのは商売じゃありませんから。
そう仰って、黒歌鳥さまは恥ずかしそうにまだ歌いこなせていないけれどと、私にはとても歌えそうにない難しい曲を口になさるの。
練習中って言っていましたけど、どこに問題があるのかわからないくらい、黒歌鳥さまのお歌は美しい。
この上さらに御上手になるつもりなのかしら。
だけど他の方には聞かせないものを歌って下さることが、まるで特別扱いの様で嬉しい。
……惜しいのは、この場で耳を傾けているのが私だけじゃないことで。
今日こそは、黒歌鳥さまをお誘いしようかしら。
前は畏れ多くてとんでもないと思っていた筈なのに、近頃は二人っきりで過ごせたら……なんて度々思ってしまうの。
兄様も、黒歌鳥さまのことを私から遠出にお誘いするように言うし。
黒歌鳥さまは……私がお誘いして、一緒に遠出して下さるかしら。
…………いいえ、駄目だわ。
今は大変な時ですもの。
確かに一緒にお出かけ出来たら素敵ですけど……黒歌鳥さまにも、きっと都合があるでしょうし。
なのに私のお願いばかり求めるなんて、厚かましいことだわ。
こんな何が起きるかわからない物騒な時代に、戦えない私がご一緒しては足手纏いになるわ。
相手の都合を考えずに、予定を押し付けるようなことはしたくない。
黒歌鳥さまはお優しいから、きっと私のお願いにも頷いて下さる。それがわかるから。
だから余計に、私からはお誘いできないと思ってしまうの。
今の私には、こうして差し入れのお菓子を渡すことで精いっぱい。
それ以上のことは、とてもとても……少なくともこの戦乱が終わるまでは、私からは出来そうにありません。
「……そういえば、黒歌鳥さまはこの戦が終わったらどうなさるの?」
先のことを考えたから、かしら。
今まで敢えて考えない様にして、胸の奥に仕舞っていた問いがするりと口から出てしまう。
戦が終結しても、私は黒歌鳥さまのお側にいられるでしょうか。
少しでも、私達の側にいたいと思って下さるでしょうか。
それを考えるとなんだか不安で、口にしない様にしていたのに……。
「僕ですか?」
「え、ええ……そのっ私、寂しくて! 黒歌鳥さまは私達にこんなに良くして下さったんですもの。それに、黒歌鳥さまのお歌を平和になってもずっと聞いていt……な、なんでもありません!」
「ふふ。僕の声を気に入ってくれているんですね。光栄です。でもティファリーゼさんは戦が終わればきっと高貴な身分に……姫君になられる方なのに、僕なんかの拙い歌ばかりをお聞かせするのは畏れ多いですね。平和になれば僕よりもっと実力のある吟遊詩人に歌を捧げられる機会もあるでしょう。その時になって僕の歌が下手だったと気付いても、どうか笑わないでくださいね」
「え……」
どうなる、どうすると明言しては下さらなかった。
でもその物言いは……まるで、私のことを遠ざけるみたいで。
黒歌鳥さまとの間に、今までに感じた事のない壁があるような気がしました。
やっぱり私のことは御迷惑だったのでしょうか。
今まで誰も気にしたことのない未来の身分の話。
私が姫君になると黒歌鳥さまは仰るけれど……そんな実現してもいない不確かな未来を引き合いに出されるなんて。
私のこの気持ちは、黒歌鳥さまにはご迷惑なのでしょうか。
「く、黒歌鳥さま……? 私は女ですもの、自分で、戦で身を立てることは出来ません。父が戦の末に身分を得るのでしたら、それに付随して私の身分が上がることもあるでしょう。でも、私はこの戦では何もしていないのですもの……高貴な身に、と言われても、私自身は何程のものではないと思うのです」
「ティファリーゼさん、何か不安に思う事があるんですね……心を乱すようなことを言ってしまって済みません。こんな非常時が続く時世だから、不安になるのも仕方ありませんが……閣下は必ずことを成す方だと、僕は思います。いいえ、僕達が一丸となって閣下を支え、必ず大義を成させてみせます。ティファリーゼさんはその閣下が大事に思う娘さんなんですから、何も不安に思うことはないんですよ。きっと閣下が良いように取り計らってくれますから」
「お父様のことを不安に思っている訳じゃ……。でも、そうね、私は父の娘ですもの……。もしかしたら戦働きの功績に、恩賞代りに何方かに嫁げといわれることも……」
そんなの、嫌です。
黒歌鳥さまの見ている前で、他の……戦で功績を立てた方に、物のように与えられるなんて。
だけどきっと、お父様は出世なさるもの。
そのお父様と縁を繋ぎたい方が、私や姉様を妻にと望むこともあるかもしれません……。
相手が大きな功績を持っていたら、きっとお父様でも望みを一蹴することは出来ない。
ああ、どうしよう。
私はもしかして、恋に浮かれたり不安になったりしている場合じゃなかったのかも……。
「ああ、そのことを不安に思っていたんですね……閣下は女性の気持ちを踏みにじるような方じゃありませんよ。ティファリーゼさんも知っているでしょう? 閣下を信じて、安心して下さい」
「黒歌鳥さま……ですけど、私、私っ」
「……もしかして何方か、想う方がいるんですか? それならそれとなく閣下にお伝えして……」
「私は、黒歌鳥さまをお慕いしているんです!」
「 え? 」
あ、言っちゃった。
こんな時に、こんな場所で言うつもりは少しもなかったのに。
動揺に押されて、なんてことを口走ってしまったの……
私の顔は、きっといま青い。
黒歌鳥さまのお顔を見ることも出来ず、だからといって言ってしまったことを撤回なんて出来る筈もなくて。
私はこれ以上言うつもりのないことを口走らないよう、両手で口を押さえて……踵を返し、黒歌鳥さまの前から駆け去ることしか出来ませんでした。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……!
私は一体どうすれば良いの。誰か教えて。
取り乱して周囲の見えなくなっていた私は、すっかり忘れていました。
あの場にいたのが私達ばかりではなかったことを。
……あそこは内向きの仕事を担っている女性複数名が同席した、休憩用の場所で。
私と同じように黒歌鳥さまのお歌を楽しみにしていらした方が、何人もいて。
そんな方々の前で想いを打ち明けてしまったばかりか、そんな場所に黒歌鳥さまをお一人で取り残してしまったのだと。
後になって姉様からそのことを指摘され、より一層私の顔は青褪めました。
ごめんなさい、黒歌鳥さま……
この日から私の気持ちは、砦の女性陣の知るところとなったのです。
控えめで慎ましやかなティファリーゼさん。どうやら中々に青春しちゃっている模様。
ちなみに彼女の恋心は一緒に休憩時間を過ごしている他の女性陣には筒抜けでした。
筒抜けながら誰も何も敢えて言わず、微笑ましいと生暖かい眼差しで眺めて楽しんでいたようです。
さて、彼女のやらかしちゃった事故に対して黒歌鳥は何を思ったのか?
これ以上書くと何か違う物語が始まりそうだったのでやめました。
恋愛ものは不得手なので、小林が書くと何かが台無しになりそうです。
黒歌鳥が黒歌鳥じゃなくなっちゃう……! 路線変更は予定にないので封印しましょう。
次回からは親父の視点に戻ります。
娘の純情に関しては中途半端ですけど、今後の展開は黒歌鳥とティファリーゼさん2人の秘密ってことにしておいてください。




