黒歌鳥の暗躍――聖受歴1,537年木耀月15日 本日は晴天也
その頃、とある酒場では……酒が入って良い気分に理性が吹っ飛んだとある吟遊詩人が、調子に乗ってエレキギターかよって勢いでリュートを掻き鳴らしつつ歌っていた。ちなみにこの世界にエレキギターは存在しない。そもそもエレキの存在が認知されていないので当然である。
まだまだ独立したばかりでアドリブ能力に不安があるという、新人吟遊詩人が「勉強」の名目で補助に入っている。そちらにも酒が入っている様子で、タンバリンとカスタネットを同時に鳴らしながら入る「ヘイッ」という合いの手には妙な熱が入っていた。時折バックコーラスやアドリブで相聞歌化した際にも見事に応えきり、本当にアドリブ能力に不安があるのか疑わしい限りである。現時点で不足しているというのであれば、彼が求める最低レベルはどのあたりの高みに設定されているというのか。
仏法僧「それじゃあ次! ……最近話題のあの男と、ヒュドラとの死闘を歌った一曲デス!」
斑鳩「仏法僧さんかっこいー! みんな、盛り上げていこうぜ!」
……二人とも、大分酔っているようでした。
酔い過ぎて、明らかに羽目を外していた。
即興がかなり混じり込み、歌の内容も大変なこと(捏造)になっていき……
それでも音程や旋律が狂わない辺りが、吟遊詩人の吟遊詩人たる所以なのでしょう。
城砦都市と呼ばれる、辺境の要衝。
『反乱軍』制圧の為、国軍がこの地に派遣されることは前々からわかっていた。
先見をする迄もない。
少し考えればわかることだ。
北方において最も堅牢にして、重要な拠点と成り得る都市は、そもそも要塞として置かれた物が都市として発展しただけのこと。
軍の作戦行動において拠点に相応しい場所は他にない。
防備の固められたこの地であれば、万が一籠城をすることとなっても充分に耐えられる。
だからこそ。
それがわかっているからこそ、事前に入念な準備を済ませることが出来た。
既に仕込みは終わっている。
後は予め仕掛けておいた一つ一つを順序良く目覚めさせていくだけ。
それだけで、どこまで追い込むことが出来るか……
勝手に瓦解してくれるのであれば、こんなに楽なこともない。
だが、『将軍』の活躍の場が少し欲しい。
これだけで片付いてくれるまいな、と。
僅かに『国軍』の底力を期待しないでもないのだが……無理だろうな。
今の国は、本当に腐っているのだから。
それほどの気骨がある士であれば、余程の事情でもない限り、既に『将軍』の旗下に下っている。言い換えれば、下らせた後だ。
特殊な事情があって群を離反できずにいる者は、ほんのごく一部。
その一部を除けば残っている兵など気概も足りなければ情勢を読む目も弱い、大勢に乗せてしまえば流され易く立場を変える、有象無象のみ。
ほんの少し揺さぶりをかけてやる必要はあるが、一歩を踏み出させてやることさえ叶えば……どのような者であれ、結局は扱い方次第ということだ。
実際に人間の情動とより関わるようになって以来、私も人の機微というものの揺さぶり方が何となくわかるようになってきた。
今回も運び方次第で望んだ結果は得られるだろう。
酒場の片隅、吟遊詩人らしく酔客達のリクエストに答えて様々に歌う。
合間にさりげなく『英雄』の歌を混ぜながら、定番の古典から流行の恋歌まで、実に様々な曲を人々は求めた。
やはり軍の人間が街に入り、いざ合戦間近となった不安に都市の人間達も苛まれているのだろう。
暗く沈む心情を忘れ去る、または上向きにするような曲を望む声が多い。
いつもの如く人好きのする微笑みを顔に貼り付け、私は望まれるままに鳥の如く囀る。
私の雅号は、魔物の名だが。
「――『詩人』さん、ちょっと良いですか」
私に話しかけてきたのは凡庸な印象を受ける男だった。
人々の中に埋没し、目を離せば顔も思い出せなくなる。
目立たぬ印象故に人の意識に留らない。
意識されないからこそ、どこにでも滑りこんでいきそうな。
そんな男が、私の隣に腰を据えた。
私は吟遊詩人らしく人好きのする柔和さで微笑みかけた。
「はぁい、何かリクエストですか?」
「いえ、実は……『この戦いが終わったら、故郷の恋人に求婚』しようと思っていまして……」
求婚という言葉が周囲にも聞こえたのだろう。
男の言葉に反応して、方々から冷やかしの声が上がる。
男は恥じらうように頬を赤めて俯き、その様が初々しいと酔客達は更なる歓声を上げる。
「それは『おめでとうございます』! ですが、それで僕に何の御用でしょう? 『婚礼の余興の相談ですか?』」
「いえ、実は……詩人さん、『吟遊詩人なら言葉についても詳しい』んじゃないですか? ちょっと『求婚の台詞について相談に乗って』ほしくって……」
「良いですよ」
「本当ですか!」
「はい。ですが個人的なことみたいですし……此処では何なので、『少し隅に移動しましょう』」
私と男は、連れだって酒場の奥……宿になっている一室に向かった。
盗み聞きする者が寄らぬよう、店主の妻がさりげなく廊下に立って花瓶を磨き始める様子が見えた。
この店の店主一家は、既に懐柔済みだ。
見張りは要らぬ気遣いだったが……後で、金をはずんでおこう。
「それでは、報告を聞きましょう」
「は……っ」
部屋の中、二人きりとなった男に言葉をかける。
私はこの男を知っていた。
自らが選んで潜入させた『工作員』なのだから、知っていて当然だ。
「首尾は上々……指示にあった通り、情報の拡散と同時進行で餌は巻き終えてあります。食い付きについても三班の者と協同して確認済みです」
「そうですか。では、第二・第三の段階は完了ですね。第四段階はどうなっています」
「そちらは達成八割、といったところでしょうか。今日の正午を以て潜入班全てで同時に活動を開始していますが……何分仕込みの指定が細かく、複雑な上に広範囲に及んでいますので。今も各班から選出された十名が、不審に思われない範囲内で手分けして設置に回っている筈です」
「出来れば今日中に仕掛けていただきたいのですが……決行の時までに間に合いそうですか?」
「それは勿論です! 未達成の二割も、多くは砦の外縁部を残すのみ。夜警の交代に乗じて、指定地点の近くに見張り当番を割り振られた者が作業を行う予定です」
「慎重を要するものですし、作戦前に誰かに見つかっては元も子もありません。焦らず、丁寧に行ってください」
「了解です。作戦の第四段階は、本日中に間違いなく完了させてみせます」
「そうですか……では、本格的に第五段階を開始して下さい」
私が、『第五段階』と口にした時。
言葉に反応して、男の肩が強張った。
一瞬、表情に緊張が走ったのは見間違いではないだろう。
どうやら『第五段階』に苦手意識のようなものがあるようだ。
もしくは、気負っているのか。
「改めて、第五段階の概要について説明は要りますか?」
「……最終確認も兼ねて、要点の説明をお願いしても良いでしょうか」
「構いませんよ。何度も確認する慎重さは、失敗を許されない仕事には大事な要素ですから。特に、こういう繊細な仕事には重要なことです」
さて、要点のみ……か。
潜入させる前に、既に詳細な説明は終えている。
それでも要点だけでも確認したいと言うのであれば、してやるべきだろう。
少しでも気を軽くさせておかねば、失敗されては目も当てられない。
「第五段階は心情的にぐらついているだろう兵達への直接的な働きかけ……『ベルフロウ』への鞍替えを促すことを指します」
「裏切りという言葉は使っちゃいけない、でしたよね。相手の無意識に心象の悪い言葉は歯止めをかけてしまう、でしたか」
「ええ。あくまで自分の取るべき道は国軍に仕えるよりも『革命』にある……裏切ったのではなく、必然だったと思わせて下さい。声をかける相手も、どういった者を選ぶかは……心得ていますね」
「有能で人格を備えた……人望のある者、ですよね。此方側に迎え入れることで、取り巻きや配下も丸ごと移動してくるような」
「そう、少ない人間から、より多くを切り崩す……どうせ下すのであれば、最大の効率を探るべきです」
これから取り掛かる『第五段階』は不特定多数の者に働きかける今までの作業よりも、複雑で難しいものになる。
特に『集団』ではなく『個人』を相手にするということが。
『集団』に働きかけるのであれば、流れと雰囲気さえ作ってしまえば後は勝手に転がってくれるが……相手が『個人』となると、その人物の思考や感情、性格といったものを加味し、特定の人物に沿って考慮した話術を展開させる能力が必要になって来る。
何を重んじ、何を求めるのかが個人によって変わる点が、『人間』という動物の扱い難いところだ。
それも、話の運び次第でどうとでもなるが。
だが、潜入させている『工作員』達にはまだ荷が重い作業かもしれない。
能力を見込んで選んだ者達だ。
最低限、求められる力はある。
それでも場数を踏んだ経験が足りない分、未熟さは否めない。
さて、未熟な部分があるとする。
あるとするのであれば……仕事を頼んだ私が補うのが当然の義務というものだろう。
やはり、初めての『仕事』への気負いのようなものが窺える。
難しく考え過ぎてはかえって失敗するというモノ。
念の為に用意しておいたものだが……心理的な圧迫を軽くしてやる為に、やはりこの『書類』は渡しておいた方が良さそうだ。
「使うかは、実行する貴方がたにお任せしますが……一応、私の方でも声をかける相手の目星を付けておきました。その名簿と、説得する際の要点を個別にメモした物があります。お渡ししておきますね」
「これは……!」
「少々であれば順序が前後しても構いはしませんが……名簿の一番から八番の流れは必ずその順番で声をかける様にして下さい。例えば一番のサリバン小隊長は昔から二番のケラー大隊長にライバル心を燃やしていた、とのことです。自分よりも先にケラー大隊長が声を掛けられたと知れば、きっとへそを曲げてしまいます。逆に自分の方が先に声を掛けられたと知れば、自分の方が重要視されているのだと気分を良くして心も滑りやすくなることでしょう。……と、そのように考えた上での順番になっています。しかし声をかける好機が番号通りに巡って来るとは限らないでしょう。八番以降の順番は多少狂っても問題ありませんが、八番までの順番で上手く声を掛けられない方がいたら、その人のことは諦めることをお勧めします」
下手に勝機の低い相手に声をかけて、密告されては今までに潜入班が築いてきた努力が無に帰してしまう。
余計な欲を張って、成功率の低い賭けに出ない。
生き残るだけでなく、勝ち抜く為には大事なこと。
後はメモの要点を押さえれば、どれだけの話下手でも説得は成功するだろう。
私としても、思いつく限りの支援は尽くした。
「後は、貴方がたの手腕にかかっています。予定の決行まで、間はありません。よろしく頼みましたよ?」
「は、はい……! この名簿と攻略法さえあれば、成功は約束されたようなもの。必ずや潜入班一丸となって達成してみせます!」
作戦決行までに、どれだけの数の『離反者』を抱き込めるか。
それが今回の作戦の胆となる。
私は作戦の決行まで、場所を変えながら今回の『国軍の指揮官』に関する悪評(ほぼ事実)や汚点を上手く城砦都市内に流して蔓延させていくとしよう。
都市内部の人間に協力が取り付けられるのであれば、大きな意味が生まれる。
人間の国を割るのに、味方は多いに越したことはない。
城砦都市内にいる他の吟遊詩人……協力を申し出てくれた彼らにも、計画の段階が移行したことを伝えなくては。『武勇伝』よりも、『国軍の指揮官に関する噂』を流布してくれるようにと。
残された時間は僅かだが、無駄にすることはない。
精々、国軍上層部と国への反感を煽っておこう。
黒歌鳥の仕込みが周到過ぎる件。
黒歌鳥ががっつり暗躍中です……。
ついでに、いつの間にか配下を作っとる……。
恐らく、この潜入部隊に組み込まれた人達が後の『黒歌衆』の前身となる、んじゃないかな。




