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黒歌鳥の暗躍――聖受歴1,536年始耀月1日 本日も晴天也

 新しい年の幕開けは、私にとっても新鮮な気持ちで始まった。

 師匠が、私にはもう何も教えることがないという。

 もしくは、これ以上は自分に教えることはできないと。

 私としてはまだまだ多く師から教わることがあるように思うのだが。

「それはお前が、この不肖の師を買い被っとるだけだ」

「ですが……」

「お前の子供時代はもう終わりを告げようとしておる。これ以上この老いぼれに従ったとて、それはお前の甘えにしかならんじゃろう」

「……つまり、これ以後は自分で考え、自分の足で立つべきだと?」

「お前は聡い。自分で何でも判断出来てしまう。……そこがちと心配ではあるんじゃがな」

「そうは仰っても、もう私を導いて下さるつもりはないのでしょう」

「やはり、お前は賢い」

「褒められてこうも後ろ向きな心地になるなど、初めてです」

「情緒も中々育ってきておるようじゃの。表情も作ったものなどとはわからぬほど自然になってきた。……時には意図せず表情を浮かべておった、などということも僅かずつじゃが増えてきたのじゃろう?」

「すべて、師が育てて下さったもの。まだまだ未熟ではありますが……仕方ありませんか。師匠は、あとは私自身の力で生き抜けると判断なさったのでしょう。であれば、弟子である私には従う他にありますまい」

「…………口調の固さが、これでもう少し抜ければ良いんじゃがなあ」

「そこは……留意し、改善に努めましょう。なに、暫く若い街人でも観察していれば学習できるはずです。今までそちらに労力を割いていなかっただけですので」

「そういうところが、本当に何とかなればのう……」

 ご自身で私の独り立ちを決めておきながら、何故だろうか。

 何故か、師匠は困ったような顔で私を見ている。

 何に困っていらっしゃるのかは、首を傾げてしまうが。

 こういうところに、本当に私は経験が不足しているのだと実感する。

 やはり実体験は知識として『知っているだけ』の物事の違う姿を見せる。

 間近に接するまで、世界がこのように多彩だとは感じたことがなかった。

 人間の持つ感情、情動などもそのひとつ。

 どういう経緯で人は笑うのか、怒るのか、泣くのか、困るのか。

 理屈として知ってはいても、実際に目の前にしてどうしてそんな反応が返ってくるのかと理解できないことは何度もあった。

 それらの反応を最も返し、私に『人間』というモノを近い場所から教えて下さった方。

 ――師匠。

 私がこの世に生まれ落ちてより、最も深く関わった方。

 このように近しく、深く、接して下さった方はいなかった。

 経験が不足し、理解の及ばない点の多い私は、さぞや困らせてしまったと思う。

 多くの恩を受けてきたが、それを私は少しでも返すことができただろうか。

 私なりに弟子として尽くしてきたつもりではある。

 だが私が返した分が、師に受けた様々な御恩に見合っているのか。

 釣り合っていたのか、私には判断がつかなかった。

 何故なら物事というモノは、個々人によってモノの重みと受け取り方が違う故。

 違うと、知ることができた故。

 そんなことすら、師匠と出会う前の私は知らなかったのだけれど。

 人ひとりひとりで考え方も判断の比重も違う。

 それを理解した時の、あの目の前の開かれるような感覚。

 それから何度も、似たような感覚を味わった。

 何かを理解し、初めて本質を掴んだと思った度に。

 何度も、何度も私は目の前で世界が色を変える様を見た。

 それらを多く、私に見せて下さった方。

 私を今まで教え導いて下さった師匠。

 だけどその日々も終わり。

 私達は関係性を変え、今日で変わりない日々を終える。

 もう、これで最後なのだろう。

 私は虚しい音の響く胸中で、味わうように理解する。

 私は私が受け止めた程の感動を、彼に返せただろうか。

 ほんの少し、『後悔』の味を知る。

 それもまた、初めて知る感覚だったけれど。

 ああ、この老人は最後の最後まで私に未知の感覚を味あわせてくれるのだ。

 ……数年前のあの日、彼を『選んで』良かった。

 人間社会に溶け込み、学ぶ為の術として選んだだけだったのだが。

 いま、本当に深く思う。

 彼を師に選んで、良かった。

 師の元を巣立ってしまえば、もう戻ることはできない。

 彼に学びを得ることは、もう出来ないのだが。

 それは最初からわかっていたことでもある。

 

 何を惜しむことがあろうか。

 私は胸中で自分に言い聞かせる。

 終わりが来ただけ。

 自分の覚悟を試し、復讐を遂げる為に動きだす時がきた。

 ただそれだけのことが、いつか来ることを知っていた。

 それが今だというだけだ。

 名残を惜しむ気持は捨てよう。

 甘さをいつまでも大事に取っていては、本懐を遂げることなど出来まい。

 私は最後のけじめとして、師の前に跪く。

 感謝の重みで、自然と(こうべ)は垂れた。

「師匠、不肖の弟子でありましたが……お世話になりました」

「最初はとんだ押しかけ弟子が出来たものじゃと、扱いに困っておったのじゃがなあ……いや、最近も困ってはおったが」

「それでも、お役に立つことの方が多かったでしょう」

「まあ、否定はせぬ。お前の先を見通す目には何度も助けられた」

「これまでの日々に、深く感謝しております」

「そうじゃのう。感謝してもらわねば、あの苦労の日々が報われぬわ」

「苦労ばかりではなかったでしょうに」

「お前は口が達者なので、吟遊詩人は向いておるよ。どれ、師匠として最後の仕事じゃ。わしもかつて師の元を巣立つ時に、同じ恩恵を受けた」

 そう言って師匠が私に渡して来たのは、今まで使用していた借り物とは違う……職人の技が一目でわかる、凝った作りの楽器。

 今まで師に借りていたものとは違い、私の手に合わせて作られていることが見ただけでわかった。

 楽器に宿った記憶が、職人に事細かく注文を付ける師の姿を浮かび上がらせる。

 職人を困らせる師の様子に、私の顔はここ数か月でやっと馴染んできた微笑みを自然と浮かべていた。

「師匠、いつの間にこんなものを用意していたんですか」

 楽器を注文していることは知っていた。

 ただ、私のモノだとは思っていなかったが。

 それでも弟子の礼儀として、さもいま初めて知ったかのように振舞う。

 どうせ元々は無表情が基本の顔だ。

 少し抑えつければ、顔に感情は全く宿らない。

 無表情が役に立つのはこんな時だと、師の反応で学んでいた。

「弟子が巣立つ時には、親鳥たる師が用意を整えてやるものじゃ。それ、吟遊詩人の証とされるモノは一通り揃えてある。後は詩人の組合に登録に行くだけじゃ」

「こんなにたくさんのモノを受け取って来たのに、師はまだこれ以上の恩を受けろと仰るのか。いつ返せば良いかもわからないのに」

「お前さんが立派になり、人々の口の端に上る吟遊詩人となることがわしへの恩返しじゃろう。先行投資じゃ、先行投資」

「師匠、耳が赤いですよ」

「……お前、可愛げは本当に最後まで身につかんかったのう」

「ふふっ」

「ふぉ!!」

「どうしました、師匠」

「ど、どうしたってお前……」

 ??? どうしたのだろうか。

 師が驚愕に目を見張っている様に見えるのだが。

 しかしやがてはゆるゆると表情を緩めると、本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。

 これは心の底から嬉しい時の表情だったか。

「お前さんが声を上げて笑ったのは、初めてじゃ」

「そうでしたか。覚えておきます」

「色々と心配な弟子ではあるが……なんじゃ、何とかなるような気がしてきたわ」

「それは重畳。私も師の心配が杞憂に終わるよう努めましょう」

「そうじゃの。それで、お前……この後はどうするのか、もう決めておるのか」

「そうですね、計画程度は」

「ほほう、お前はしっかりしておるからの。どうするつもりなんじゃ」

「ちょっと国家転覆を図るべく武装集団を育てようかと」

「………………お、お前は……」

「師匠、どうされました」

 聞かれた言葉に正直に答えれば、何故か師匠が頭を抱えてしまった。

 どうしたのだろうか、持病の偏頭痛だろうか。

「……やはり、大丈夫ではないかも知れぬ。先行きが不安じゃ」

 そうだ、頭痛を抑制する薬の調合法を書き残しておかなくては。

 これから私は師の傍にいることはできないのだから、私の方からも師を支える為の用意を整えておこう。

 もっとも、半分以上は既に前々から整えていたので、最後にやることは少ないのだが。

 やっぱり心配になってきたと、師匠が小さく呟く。

 私も心配を少しでも減らすべく、残りの時間で師に働きかけておこう。


 新年の祝いを師弟で慎ましく終えた後、師は私を連れて吟遊詩人の組合へと足を運んだ。

 必要書類に記入を終えて提出すれば、これで私も一端の吟遊詩人である。

 独立を認められる際には、吟遊詩人としての名となる呼称を師に授けてもらうのが詩人の慣例。

 これ以後は俗世を半ば離れたモノとして、俗世間での名前は完全に捨てることになる。

 まあ、私には元より名前はないのだが。

 最初に師に名乗った名前も完全に偽名なので、未練は全くないが。

 師匠も偽名であると知って以来、呼ぶことはなかった名だ。

 誰にも覚えられずに終わるのも、一時的にせよ私のモノだった名前らしく良いのかもしれない。

 誰にも知られない内に、歴史の闇に埋もれて終わる。

 そのように終わるのも良いだろう。

 忌まわしき腐れ愚者共の血など、我が身に流れる一滴でさえも滅べば良い。

 そうなったとしても、私には全く悔いなどない。


 

 吟遊詩人は美声や姿の優美さにあやかり、独立の際には鳥の名を与えられる。

 それが一般的な慣例であり、師よりの最後の贈り物である。


 組合に師が登録した私の新しい名は、『黒歌鳥』。


 何故か鳥ではなく、数百年前に滅びた魔物の名前だった。


 確か全身が真っ黒な姿をしている鳥型で、不吉の代名詞といわれる魔物だったように思う。

 一般的には徹底して避けるような生物だが、呼び名に選ぶとは珍しい。

 何か師匠なりの訓告が込められているのだろうと、私は謹んで拝領した。




とうとう黒幕(笑)が野放しに……

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