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第三十話  幸せの記憶

 私の人生は短くとも、私は懸命に生きて、そして懸命に幸せになる努力をしてきたのです。


その結果、夫に愛され、二人の可愛い若君様を授かり、真実私の願いは叶うたのでございました。


 

◇◇◇◇


 あの夜以来、青馬様の私の呼び方は再び“姉上”に戻ってしまわれましたけれど、それで良かったのやもしれませぬ。


お父様は直ぐに、『勇馬も居るのに何を今さら申しておる。』と渋い顔をなされていらしゃいましたが、流石に夫婦間の事にございますれば、それ以上深く追及はなさりませんでした。


実を申せば、私は青馬様に姉上と呼ばれるのが好きでございました。当初は、咄嗟の際にのみ姉上と呼ばれる青馬様に、所詮私は姉以上にはなれぬのだと侘しく思うたものでございましたが、そうでは無いと解りましたから。


私はきちんと青馬様の妻だったのでございます。姉上とお呼びになられるのは寧ろ-、


いえ、それは夫婦の秘め事、ここに載せるのは止めに致しましょう。



◇◇◇◇


 「母上~、又勝馬が泣いております。」


勇馬様がいつものように、ふた月程前にお産まれになられたばかりの、次男・勝馬様のご様子を報せに来てくださいました。


勇馬様は相変わらず手の掛からぬ利発な御子にございます。


然れど私は母親。ちゃんと解っておりまする、勇馬様がこうして私に報告に来てくだされるのは・・・、


「いつも勝馬様の面倒をみてくださってありがとうございます。」


私は書きかけておりました私と青馬様の物語を伏せて、私の元へお出でになられた勇馬様を、ギュウっと抱き締めて差し上げました。


勇馬様がちょくちょく私に勝馬様のご様子をお報せにみえるのは、こうして私に、褒めて抱き締めて欲しくていらっしゃるのです。


そうすると勇馬様は必ず、誰か様そっくりに、


「全く母上は・・・、幾つになっても甘えん坊ですね。」


そう申されて、私の頭をそのお小さい掌で撫でてくだされるのでございます。


そして、私達が親子仲睦まじくこうして抱き締め合うておりますと必ず・・・、


「勇馬!剣の稽古の時刻をとうに過ぎておるが、斯様なところで何をしておる?」


青筋を立てて、私に抱きついておられる勇馬様を引き剥がしにかかられる大人気(おとなげ)のない夫君。


「剣の稽古は既に朝一番で和哉と致しましたが。」


そんな父親をチロリと横目で見やると、したり顔で反撃なされる勇馬様は、正に小さくなられた青馬様そのものにございました。


「和哉となど稽古しておったら上達などせぬ!!」


青馬様が声を荒げられますと、これ又いつも通りに、


「これはこれは聞き捨てなりませぬな、私と稽古しておったら何だと仰せになられましたか?」


どこに控えていらしたのか、和哉様がシレッと登場なされる。


「若君、ご安心ください、青馬様は未だに私から、一本も取る事が出来ませぬ故。」


「なっ!姉上が誤解されるような事申すでない!お前だとて私から一本も取れておらぬではないか!!!」


そしてそろそろ、


「皆様!いい加減になさいませ!!!御方様は未だご体調が回復なされず、伏せっておいでなのですよ!」


桐依の怒号が今朝も炸裂致しました。


「「「!!!」」」


「母上!お許しください!」

「姉上!お許しください!」

「菫様!申し訳ございませぬ!」


私は勝馬様をお産み申し上げてから出血が暫く止まらず、ふた月経った今も床上げ出来ぬどころか衰弱の一途を辿っておりました。元々亡くなられたお母様に似て健康とは言い難かった私には、やはりお二人お産み申し上げるのが精一杯のようでございます。


己の身体の事は、己自身が一番良く解っております。私に残された時は、最早余りございませぬ。


勇馬様はしっかりしておられますが、それでも未だ三つ。勝馬様に至っては、お産まれになられたばかりで、然も私は勝馬様に一度も乳すら差し上げられておりませぬ!


心残りは、残して逝かねばならぬこの幼い我が子達。


悩んで悩んで悩み抜いた末に私が見付けた一条の光。それが、私が生きた記録を子供達に残して逝く事にございました。それは、起き上がれる体力が未だ僅かばかり残っております今しか出来ませぬ。私は誰にも内密に、青馬様と出逢うてからお二人の若君様を授かりました今日迄の私の生きた記録を、今、物語風にまとめておるところで、それもそろそろ完結する予定でございました。


若君様方は未だ幼く、私の顔すら、直ぐにそのご記憶から消えてしまわれる事でございましょう。


故に、せめて、せめてこの母が、如何に懸命に生き抜いて、その賜物であられる貴方様方を授かり、最期の最期迄幸せであったか、いつかご成長されたみぎり、この物語をお読みに戴いて感じて戴けたら、母は最早思い残す事はありませぬ。


最後に青馬様、私に勇馬様と勝馬様を授けてくださりまして、ありがとうございました。菫は貴方様の妻となり、二人の御子を授かり、僅かながらでも貴方様のお力になれました事、誇りに思うております。


ですから、どうかこの後は、誰にも気兼ねなされる事無く、ご自身の望みをお叶えくださいませ。それが菫の望みでもあるのでございますから。


【注】桐依にはその旨私からよくよく言い聞かせておきますからご懸念無用にございます。



―完―


この暗めのお話を最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました!

感謝の気持ちでいっぱいです。


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