第二十五話 尽きぬ悩み
曇りなき澄んだ心をお持ちの青馬様に、私の淀んだ浅ましき心を知られてしもうたその夜、私は一睡も出来ずに、ただただ後悔と慙愧の念に苦しみ、寝具に包まりながら泣き続けて過ごしたのでございました・・・。
◇◇◇◇
どれ位、息を潜めておりましたでしょうか。
漸くうるさかった鼓動は落ち着きを取り戻しつつございましたが、それは偏に、私が絶望して茫然自失だった事の表れでございました。
すると背中で僅かな気配を感じて、緊張に身を固くしておりますと、静かに青馬様が起き上がられて、そのまま部屋から出て行かれたのです。
これが最後かもしれませぬと思いますと、私の目からは、後から後から先程迄我慢しておりました涙が堰を切ったように溢れ出し、途端に敷布を濡らしてゆく。
私は婚礼の夜に致しましたように青馬様をお捜しするなど今宵は出来る筈も無く、結局一晩中寝具に包まりながら泣いて過ごすしか術がなかったのでございます。
そして恐れた通りに、青馬様はその夜、私の元に戻られる事はございませんでした。
◇◇◇◇
「菫様、おはようございます。」
「・・・」
「菫様?桐依にございます。若君様は安らかにお休み故、他の者を付けて参りました。菫様?」
「菫様!如何なされました?菫様?入らせて戴きますが宜しいですか?菫様?」
私は掛布に潜って一晩中泣き続けておりましたせいで、目は腫れ、声は枯れ、髪もぐちゃぐちゃでございました。恐らく今の私は山姥より恐ろしい形相をしておるに違いございませぬ。
桐依の呼ぶ声に少しだけ現世に戻れは致しましたが、相変わらず最悪な心持ちで、返事などする気には全くなりませんでした。
すると、
「菫様!失礼致します!」
遂に痺れを切らした桐依が、彼女らしからぬ乱暴な音を立てて部屋の扉を開けて入って来たかと思えば、更にそのまま、どかどかと大きな足音を立てて奥に在る寝所の扉を再び乱暴に開け、
「菫様!如何なされました?!お加減がお悪いのですか?」
と駆け寄って来て、物凄い勢いで私の潜っておる寝具の傍に座った。
私が掛布から一向に出ず、一向に返事もしないので、桐依はとうとう、
「失礼致します!」
と掛布を強引に捲りに掛かってきました。私は必死に押さえていたつもりではございましたが、鬼気迫る桐依の怪力に呆気なく剥ぎ取られてしまいました。
「な、何するのです!!」
私が悔し紛れに掛布を奪い返して怒鳴ると、
「おはようございます、菫様。お元気そうで安堵致しました。老婆心ながら、久方振りの夜のお務めにて起き上がれぬのかと推察致しまして、失礼ながら入らせて戴いた次第です。」
然れど、そうでも無いようでございますわねぇ、などと私の酷い有様を、上から下迄矯めつ眇めつすると、
「只今お手水をお持ち致しますので少々お待ちくださいませ。」
何も訊かずにそう申して部屋から出て行き、直ぐに桶を持参して戻って来ました。
私の前に置かれた桶を覗いてみますと、
「ひっ、」
そこには目蓋が大きく腫れあがった醜女が映っておりました。
桐依は桶を置くと直ぐ様再び出て行き、今度は直ぐには戻って来ませんでした。この手水は予め持参しておいたものだったのでしょう。少しして戻って来ました桐依の手には別の桶があり、懐から出した手巾を桶の水に浸すと、
「これで目を冷やされるとよいでしょう。今、簡単な朝餉をこちらにお持ち致しますので、それ迄横になられてお待ちくださいませ。」
桐依はそれだけ簡潔に申すと、再び部屋を出て行きました。
気が利き過ぎる感がある桐依は、本人には申し訳ないのですが、折に触れ、鬱陶しくなってしまう事がございます。全て見透かされてしまうから。
恐らく今も、私の様子を一目見るなり全て察して何も訊かぬのでございましょう。それは確かにありがたい事です。訊かれたところで、あのようなおぞましき行為を私がしてしまうたなどと、口が裂けても誰にも言える筈はございませぬ。
然し何も訊かずとも、その目が、全てを見透すその目が、愚かな私を嘲笑うておるようで居たたまれなくなるのです。桐依には私の全てが知られてしまうておる気が致しまして、共に居ると息が詰まるのでした。
青馬様にも和哉様が常にお付きになられておられますし、お母様もご実家にいらした頃からの侍女がお世話をしておりますが、皆様私と同じようにお感じになられた事がお有りなのでしょうか?それとも、私の後ろ向きなこの性格のせいなのでしょうか?
良いのか悪いのか、いつの間にやら昨夜の愚行から桐依についてに思考が移って、そのお陰でお腹が空いておる事にも気付けました。
もしもここ迄全て計算済みなのだと致しましたら、私は真に桐依が恐ろしくてなりませぬ。
再び横になって目蓋を冷やしながら、青馬様の事、桐依の事、いずれも私自身でこれから向き合うて行かねばならぬのだと思いました。すると益々気が重くなって、いっその事、このままずっと床に伏してしまいたいなどと半ば本気で思うてしまいました。
「お待たせ致しました。こちらに朝餉のお支度、調いましてございます。」
そこえ桐依の声が、隣の続き間から聞こえてきました。
そして再度私の元に来ますと、
「温かい生姜湯をご用意しました。痛めた喉に良いので、どうぞお飲みくださいませ。」
起きられますか?と私の背中に温かい手を回して支えてくれたのです。いつもは厳しい桐依が、何故か今朝に限っては妙に優しいなど、何とはなしに余計に気まずくて、私は益々警戒の色を強めて桐依の心中を探りましたが、元々感情を全く面に出さない桐依は、何年共に過ごしても、その考えを読む事は出来ませんでした。




