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第二十四話 口づけ

 青馬様・・・、私は貴方様のお側に置いて戴けるだけで幸せなのだと、ずっとそう思うておりました。その心に偽りなど、微塵も無いのです。ただ・・・、ただほんの少しだけ、貴方様に近付き過ぎてしまうたのやもしれませぬ。貴方様のお優しさに触れて、ほんの少しの自惚れと、ほんの少しの思い違いをしてしまうた愚かな私を、貴方様はお許しくださいますか?


もしもあの夜に、あのおぞましき夜に戻る事が出来るのでしたら、私自身がしてしまうた慙愧(ざんき)に堪えぬ振る舞いを、今直ぐに飛んで行って、全て消し去ってしまいたい・・・。


私が、私自身を生涯苦しめ続ける事になる愚行を犯してしまうたのは、その晩の事でした・・・。



◇◇◇◇


 そのような詰まらぬ思考に囚われながら、ぼんやり青馬様を見つめておりますと、


「さあ、もう遅いですし、休みましょう。」


そう申されて、青馬様が先に目を閉じられました。


不意に思うたのです。


斯様にのんびりと青馬様の寝顔を拝見させて戴いた事など、初めてではなかろうか、と。


いつも、いつの間にやら私は意識を失うてしまい、気付けば夜明けというお恥ずかしき有り様で、その頃には、早朝から剣の稽古に勤しんでおられる青馬様は、()うに部屋からお姿を消されておいででした。


青馬様の寝顔は、目を閉じておられても整うていらして綺麗でございましたので、思わず美惚れてしまう程の美しさでございました。そうして私が見つめておりますと、程なく、青馬様からは規則正しい寝息が聞こえ始めました。


私はいつの間にか青馬様のお側に寄り、吸い寄せられるように、そのお美しいお顔に自らの顔を近付けておりました。


すると急に青馬様が、寝苦しげな仕草で寝返りを打たれて、ゴロンと私に背を向けられたのです。


その瞬間私は、心の臓が潰れたかと思う程ドキリと致しまして、慌てて私も青馬様に背を向けて掛布に潜り込んだのでした。


然れど布団に(くる)まりながらも、羞恥と自身への嫌悪感で頭の中はただただ今直ぐこの場から消え去りたい、遠くに、知る人の誰も居らぬような遠くに今直ぐ逃げ去りたい、その一心だけでございました。


暫くして背中越しに青馬様の寝息が再び聞こえてきましても、私の早鐘の如き激しい鼓動は、収まるどころか更に激しく苦しい位に私の心の臓を打ち続けておりました。


夜の静寂にその音だけが鳴り響いて、隣に居られる青馬様にも筒抜けになっておる気が致しまして、早く寝なければと思えば思う程、目も耳も冴えてゆくのです。


(嗚呼!私は、事もあろうに、何というおぞましき事をしてしまうたのでしょう!)


(恥ずかしゅうて、今直ぐにでもこの場から消えて無くなりたいのに、この身体は消えてはくれませぬ!)


(最早ここには居られませぬ!)


青馬様は起きておられる!


あの一瞬でそれが判ってしまうたのです。今も寝たふりをしてくだされておられますが、これは確信でございました。


(嗚呼!どうしよう!どうしよう!最早青馬様と顔を合わす事など出来ませぬ!)


これで全てが終わってしまうた。青馬様の妻になる為に、今迄あれ程様々な苦しみにも耐え抜いてきたと申しますのに!


私は今日(こんにち)迄青馬様へのこの想いを、絶対にご本人にだけは気付かれぬようにと、なるべく少しの距離をとって、私がお側に居るのは、あくまでもお父様の命と安芸家の御為という姿勢を死守してきたのです。


青馬様は絶対に己を慕う者とは添いませぬ、私には何故かそれだけははっきりと分かっておりましたから。


ですから私は自身のこの想いを封印して、何も感じてなどおらぬ、何も気にしてなどおらぬと、感情を必死に捨てて、青馬様が望まれておられる安芸家の奥方様という務めを、ただ全うする女に成り切ろうと努力してきたのです。


それなのに!!!


それなのに私は、今夜その全てを無にするような、愚かで、はしたなきあのような行為を!!


恐らくこれで青馬様は、私の元から去って行かれてしまわれるでしょう。私が青馬様の心を欲しておる皆と同じただの女だと判ってしまうたのですから。


(泣いては駄目!これは全て身から出た錆びなのだから!)


それでも!!!


一度でよいから、貴方様の唇に触れてみたかった。


貴方様に私のこの想いを、お伝えしてみたかったのです・・・!


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