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第十九話  月下の悲哀

 あれは私の思い過ごしなどではございませんでした。恐らく思い過ごしだ、そうであって欲しいとの願いは、又も打ち砕かれてしまいました。


私が妻として、いいえ、一人の女人として苛酷な運命を背負うたのだと改めて思い知らされたのは、未だ新婚の夢醒め遣らぬ、周囲がまだ慶事に沸いておりました、新婚四日目の朝の事でございました。



◇◇◇◇


 昨夜感じた不安。


当然の事でございますが、私には男女の夜の営みなど、桐依に教えられた女子の作法と、渡された書物から学んだ通り一遍の知識しかございませぬ。


それでも、女子の間で流行っております恋物語などは、時間を持て余しておる私も勿論楽しんでおりましたので、そこに描かれております殿方の台詞や、男女が愛を確かめ合う場面などには、憧れない訳がございませぬ。


それ故、気付いてしまうたのでした。


斯様な事に頭を悩ましておる事自体、淑女としてあるまじきはしたなき思考なれど、一度気付いてしまえばその事ばかりに捉われてしまい、己の不埒な心持ちに恥じ入るばかりでございますが、それでも思考は止められませぬ。


婚礼の夜は、私も緊張と羞恥でいっぱいいっぱいでございました為、ただただ必死で、他の事を考える余裕などございませんでしたので、直後はそのような事、思いも致しませんでした。然れど、いつの間にか私がうとうとしてしまい、夜中に肌寒さで目を覚ませば、夜具に包まれておりましたのは切ない事に私一人だけでございましたので、私は慌てて飛び起きまして、青馬様をお捜しする為に、上着を羽織って部屋から飛び出したのでした。


然し部屋を出ますと直ぐに青馬様は見付かりました。目の前の庭の池のほとりで、岩の上に腰掛けて、ただじっと、夜空に浮かぶ月をご覧になられていらしたのでございます。


私はそのお寂しげな横顔を目にした途端、胸が締め付けられるような痛みと切なさを感じて、とてもお声を掛ける事など出来ませんでした。


私達の前では、いつ如何なる時も自信に満ち溢れ、迷い無き安芸家の若君様。普段のその青馬様からは想像もつかぬ消え入りそうなそのお姿から私は目が離せなかったのです。気を抜くと、そのまま月に引き寄せられて天に昇ってしまわれそうな程でございました。


私が、どうしようもない恐怖と焦燥感に駆られて青馬様を見つめておりますと、青馬様の手に、あの指輪が煌めいておるのが目に入りました。


すると青馬様は、愛おしげにあの指輪を月に向かうて掲げられて、そっと口づけされたのです。


その一連の儚くそれでいて扇情的な仕草は、悲哀に満ちて、そして大層美しゅうございました。


ズキン!


私の胸が、今度は、鋭い矢に射ぬかれたように激しく痛みました。


そしてそれと同時にある事に思い至ったのでした。


先程私は、口づけをお受けしただろうかと・・・。



◇◇◇◇


 婚礼の夜から三晩。毎夜褥を共に致しましても、やはり青馬様が私の唇に触れてくださる事はございませんでした。


あの夜、指輪に口づけなされた青馬様の切なげな横顔が頭から離れませぬ。


私にはもう何もかも解っておりました。


口づけは・・・、愛を誓う儀式。愛し合う二人が、愛を確かめ合う行為。


それはつまり珠姫様のもの。


私には生涯くださる事は無いのです。


「うっ、うっ、」


「菫様?!如何なされました?ご気分がお悪いのですか?菫様?」


桐依の問い掛けに、私は幼子のように、ただただ泣きながら首を振り続けて、何も分からぬ桐依は、私の名を呼びながら途方に暮れておりました。


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