第十四話【光が産む影】(三)
勢いよく会議室のドアが開かれ、誠司が放り込まれるように中に入る。
それに和真たちも連れ立って中に入り、和真は部屋の隅に行き何かを探し始めた。
「おい何なんだよ一体!? まだ話は終わってねえだろ!」
苛立ちが収まらない誠司を諭すように美琴が誠司の肩に手を置く。
「誠司君落ち着いて。納得がいかないかもしれないけど、これは上の大人たちが決めた事なの。私たちにはどうする事も出来ないわ」
美琴がなんとも言い難い表情で顔を歪めながら宥めるが、誠司はそれを鬱陶しそうに美琴の手を払い除けると怒りに任せて叫んだ。
「知ってたのかよ神崎さん! 和真さんも、明日香が連れてかれた時何か知ってる素振りだったもんな! 何で俺たちに黙ってたんだよ!」
誠司が大声を上げて美琴がたじろいだ次の瞬間、誠司の身体が吹っ飛びパイプ椅子に叩きつけられた。金属がぶつかり合う激しい音に空美が悲鳴をあげ、誠司も突然の衝撃で何が起きたか理解出来ず目を白黒させたが、徐々に右の頬が熱を持ち始めてじんじんと痛みがこみ上げてくる。
よろよろと上半身を起こすと、美琴を庇うように奏が仁王立ちで立って誠司を見下ろしていた。奏が蔑むような目で誠司を睨みつけた後、つかつかと近付き誠司の胸ぐらを掴みあげる。
「さっきからぎゃーぎゃーうるせえんだよ。相棒がロストになった時に全く動けなかった腰抜けのくせに騒いでんじゃねえ!」
誠司に負けないくらいの声で怒鳴る奏の言葉に誠司が思わず黙る。美琴が慌てて誠司から奏を引き離そうとしたその時、室内全体を確認してた和真が手を止めてこちらに戻り、誠司の胸ぐらを掴んでいた奏の腕を掴んだ。
「落ち着けお前ら。美琴、悪いが残り半分見てもらえるか? こっち半分は確認出来たから」
「わ、わかった」
美琴がその場を離れると、和真は奏の腕を誠司から離し、誠司をその場に座らせ自分も目線を合わせるようにしゃがみ、誠司の顔を覗き込んだ。
「気持ちは分かるが少し頭を冷やせ。怒りに任せて怒鳴ると、時と場合によっては犯罪行為に繋がることもあるからな」
「…………っ」
「奏もいきなり暴力を奮うな。美琴が攻撃されて怒る気持ちも分かるが、空美が怖がってる」
和真の低い声に奏が腑に落ちない様子で顔を背ける。
その言葉で誠司がはっとして顔を上げれば、少し離れた所にいる空美が怯えた様子で誠司たちを見ていた。殴り合いにはならなかったが、自分より背の高い大の男が暴力を奮ったのだ。まだ小学生の空美が怖くないわけが無い。
「ごめん、俺のせいで」
「……ううん、うちは大丈夫やで」
誠司が謝罪をすると空美が苦笑いしながらも誠司に気にしないよう声をかける。和真が「あとで美琴にも謝るんだぞ」と誠司の髪をがしがしと掴みながら頭を撫でたちょうどその時、美琴が誠司たちの元に戻ってくる。
「どうだった?」
「見た感じ怪しいものは無かった。杏姉さんが言ってた通り、飛渡本部長が取り外してくれてたみたいね」
和真と美琴の会話の内容がよく分からず誠司は頬を押えながら頭に疑問符を浮かべていると、和真が空美に向かってこっちに来いと手招きした。
「美琴さん、飛渡本部長が取り外したって、なんのこと?」
空美が訝しんで美琴の顔色を伺うように訊ねると、和真が人差し指を口に当てて静かにするようにというジェスチャーをした。
「この部屋は今、監視カメラも盗聴器も無い。だから本当の事を話す。一度しか言わねえからよく聞けよ」
本当のこととは何だ?
話の意図読めず誠司は眉を顰めるが、和真の表情からして冗談を話してるわけでは無さそうだ。
明日香の事について他に何かあるのだろうか。誠司は和真の次の言葉を促すように佇まいを直した。
「まず一つ訂正すると、明日香を連れてったのは中央のお偉いさんたちじゃない。埼玉支部の現地対策班だ」
「っ!?」
「え、和真それって」
空美が思わず声を上げかけたが和真がすかさず空美の口を抑え、真剣な眼差しで首を左右に振る。大声を出すなという和真の忠告に空美が驚きつつも首を縦に振るとようやく手を離し、続きを話し出した。
「ちょうど五日前、俺と美琴は杏姉と一緒にここの執務室に呼び出された。そこで明日香の事を先に説明されたんだ」
「伝承の事は私たちも今日初めて聞いたんだけどね。多分飛渡本部長たちも怪しまれないように情報を小出しにしたんだと思う」
「えっと、具体的に飛渡本部長たちはどんなことを話したん?」
「お前たちが今日聞いた話とほぼ同じだ。明日香にロストファクターの疑惑がある。それで今日の作戦が終わり次第、明日香を中央機関に引き渡すようにと俺たちに命じたんだ」
和真の言葉に誠司はぎりっと奥歯を噛み締める。
結局二人も、自分たちに内緒で明日香を中央へ引き渡す為に行動していたんじゃないのか。本当のことという和真の話が分からないまま、誠司は二人に疑いの目を向けた。
「それで、二人はその説明で納得したのか?」
誠司の問いに美琴は苦虫を噛み潰したような顔で首を左右に振り、それは違うと反論した。
「そんな訳無いじゃない。執務室を出た後、私は真っ先に杏姉さんに聞いたわ──」
─────
その時DSI東京本部の無機質な廊下には、美琴、和真、そして杏の三人だけで他の職員はいなかった。
『……杏姉さん、本当にやるんですか?』
少し先を歩く杏の背中に向かって美琴が声をかけると、杏はぴたりと足を止める。それを美琴は話を聞く体制になったと捉え、そのまま話を切り出した。
『私は反対です。明日香ちゃんを、中央の人に引き渡すなんて』
納得のいかない顔で反論する美琴の肩に和真が手を置いた。彼女の肩は小刻みに震えて、怒りが背中から滲み出ているようだった。
『おい美琴、』
『和真君もそう思うでしょ? こんな不確かな状況証拠だけで、まるで明日香ちゃんを悪だと決めつけるみたいに……あの時、明日香ちゃんは一生懸命誠司君を助けようとしてたのよ!? そんな子がロストを生み出してる訳ないじゃない!』
和真を見て感情的に叫ぶ美琴を和真が宥めようとした時、それまで黙っていた杏が後ろを振り向かずに声を上げた。
『和真、美琴、これから私の言うことに口答えするな。野暮用があるのでこれで失礼する』
『え、ちょっとまだ話は』
美琴の制止も聞かず、杏はそれだけ言うとスタスタと足早に歩を進め和真と美琴から離れていく。その途中杏のジャケットから何かが落ち、二人はそれを咄嗟に拾いに行った。
『おい杏姉、何か落とし──』
『待って和真君、なにか書いてある』
和真が声を上げたその時、美琴が何かに気付き和真を制した。杏が落とした物を二人で確認すると、ブックバンドが付いた手帳の表紙に紙のメモが貼られていた。
“家で読むように”
綺麗な字で書かれたそれは、杏から二人に向けたメッセージであり、これは杏がわざと落とした物だとすぐに気付いた。和真と美琴は顔を見合わせ、お互い声を出さず静かに頷く。
おそらく杏は既に何か知っていて動いている。ならばそれに従うべきだと、言葉を交わさずとも理解出来た。
─────
「……それで俺たちは家に帰って杏姉からの指示を確認して、今日実行に移したんだ」
「杏姉さんは私たちが本部に呼び出される前に飛渡本部長から聞いて色々打ち合わせしてたみたい。それで何かあった時に明日香ちゃんを埼玉支部で保護出来るように準備してたの」
「指示とは言っても、基本俺らは何も知らないお前たちのサポートをする事ぐらいしか言われてないけどな。殆ど杏姉が手回ししたんだ」
二人の種明かしに奏は表情を変えなかったが、誠司と空美は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。話の流れ的に、和真と美琴は勿論、杏と章吾も明日香を中央機関に引き渡すつもりは最初からなかったらしい。
だとしてもまだ誠司は腑に落ちない点があった。
「でもそれじゃあ、何で埼玉支部の人達が中央のスーツ着て明日香を連れてったんだよ。明日香がロストになったのは予想外の事だろ?」
「せやで。本物の中央の人らが来る可能性だってあったやん?」
「埼玉支部は既に中央の指示が通ってる事になってたから、逆に明日香がロストになった事で現地対策班が動きやすくなったんだ。不幸中の幸いって言って良いかは微妙だけどな」
「ロスト関連だと中央の人たちは直接動かないからね。中央のスーツを着てたのは、貴方たちを騙すのが目的だったから」
「騙すって……」
「明日香が本当に中央に連れてかれたって見せつけた方が、中央のお偉いさんたちも一緒に騙せるからな。悪かったって」
和真が顔の前に手のひらを縦にしてごめんと軽く頭を下げれば、空美がなんやそれ、と脱力したようにその場にぺたりと座り込む。しかし安心したのかはあ〜と大きなため息を着いた。
「じゃあ父さ……本部長と研究開発班のあの人は……」
「飛渡本部長はそうだけど、あの職員さんもおそらく演技よ。あそこの監視カメラは音声付きで中央機関に繋がってるから、本当のことを話すのは出来なかったの。ここは杏姉さんが飛渡本部長と事前に打ち合わせして外してあったから」
美琴が苦笑いしながらそう言うと、誠司はバツが悪そうに下を向いた。
「何も知らなかったとはいえ、俺、カッとなっちまって……酷いことを……」
「職員さんも騙すつもりで動いてたと思うから、誠司君は気にしなくて良いのよ」
「なあ、てことは明日香さんは今、埼玉支部におるん?」
空美が聞いたその時、どこからかスマートフォン特有の短い通知音が鳴る。和真が自分のそれを取り出し画面を確認すると、静かに頷いた。
「杏姉から連絡があった。無事に明日香を移送出来たから、もう心配はしなくていいと」
「じゃあ、俺たちも埼玉支部に」
「駄目だ」
誠司の提案を、和真が有無を言わさず却下した。
納得のいかない顔をしている誠司を諭すように、和真は静かに口を開く。
「さっきの職員の説明を忘れたのか? 確かに明日香は無実かもしれないが、ロストと無関係ではないことぐらい分かるだろ?」
和真の反論に誠司は言い返せず、ぎりっと奥歯を噛み締めながら下を向く。何か言いたそうにしている誠司の頭を、和真が苦笑いしながらがしがしと幼子をあやす様に撫でた。
「ちょ、和真さ」
「とりあえず今は杏姉に任せとけば大丈夫だ。今の俺たちに出来ることは、明日香を信じて待つことだけだ」
子ども扱いされた事も相まって、誠司は腑に落ちない表情をする。そんな誠司の様子を見て奏が蔑んだ目で誠司を見下ろした。
「お前は相棒がいないと、一人じゃ何も出来ない腰抜けなのか?」
「え……」
「ちょっと奏、そんな言い方はないでしょ!」
美琴が言い過ぎだと奏を窘めるが、奏は気にせず言葉を続ける。
「お前がロストになった時、あいつは独りでもお前を助けようとしてたぞ」
それを聞いた誠司はハッとして、明日香がロストになった時の自分の行動を恥じた。口だけ達者で何も出来なかった自身の無力さに腹が立ち、何も言い返せない。
拳を握りしめたまま下を向く誠司に空美が視線を合わせるように誠司の前にしゃがむと、励ますように誠司の両肩に手を置いた。
「誠司さん、明日香さんは大丈夫や! うちと誠司さんも、ロストになったけど……こうして、ここにおるやんか!」
空美の励ましの言葉が誠司の頭の中に響き、同時に自分より歳下の女の子に励まされたという情けなさに誠司は顔を上げられなかった。
会議室の蛍光灯から発せられる機械のような音が、一際大きく聞こえていた。
次の話から明日香の回想が始まります。
全体的にストレス回なので一気読みしたい方は年明けに読みに来て頂いて構いません。




