サザンクロス~願いをかなえて~ 10
☆コディ視点☆
目を開けると、室内は夕日の色に染まっていた。
ぼんやりと視線を動かすと、毛布の上からおなかのあたりに添えられたエッジさんの手が見えた。
手を伸ばそうとしたが、毛布が邪魔で出せない。
もそもそ動いて手を出そうとすると、静かな声が耳元で囁く。
「どうした?」
「手、握りたいの」
ようやく出せた手を伸ばそうとするより早く、エッジさんが手を差し出してくれる。
「ありがとう」
「ん」
両手で包むように握ると、少し冷えていた。
「エッジさん、寝てないの?」
「いや、しばらく前に起きた」
「そっか」
冷えた手を温めるように軽くこすると、柔らかく握り返してくれる。
それだけのことが、やけに嬉しい。
「寝てばっかりでごめんね。
もっとちゃんと色々話をしたかったのに」
「……話は、明日でも出来る。
今は、身体を回復させることを最優先しろ」
「うん。ありがとう。
えっと、後なんの話が残ってたかな」
アンさんに指摘されて気になったことを思い返してみる。
「……俺は、おまえを自分の都合のいい女にしようとしてないかと、言われた」
耳元に苦しそうな吐息がかかる。
「あ、そういえばそんなことも言われたね。
エッジさんは、どう思ったの?」
「……俺は」
言いかけた言葉が途切れて、気になって振り向こうとしたが、ぎゅっと抱きしめて止められた。
「……そのまま、聞いてくれ。
俺は、アンが言う通り、おまえがコドモだから、好きになったんだと思う。
性的なことを連想させない見た目と中身だから、昔を思い出すことが少なくて、安心できた。
もしおまえが、もっと抱いてほしいと求めてくるようなら、一緒にいることが苦痛になって、離れていっただろう。
だから、おまえが大人にならないように、俺から離れていかないように、無意識のうちに他人との接触を出来る限り妨害して、囲い込んでいたんだと、思う。
…………軽蔑するか?」
静かな声は、最後が少しだけ震えていた。
「しないよ」
きっぱりと言って、強引に身体の向きを変える。
額を合わせるようにして、エッジさんの揺れる瞳をのぞきこんだ。
「私も、エッジさんがしょっちゅう求めてくるような人だったら、嫌になって、たぶん一緒にいられなかったと思う。
私だって、エッジさんのことを大人で、私を甘やかしてくれる優しい人だと思い込んで、守られるだけなのが悔しいって思いながらも、エッジさんに言われるまま、自分からは動こうとしないで、頼りきってた。
軽蔑、する?」
エッジさんはゆっくりと瞬きして、私を見る。
「しない」
きっぱりと言ってくれて、ほっとした。
「ありがとう。
じゃあ、その話題はもう終わりね」
抱きつきながら体重をかけると、察したエッジさんが仰向けになってくれたから、胸の上に乗ってぴったりと抱き合う。
「後は……そうだ。
年齢の割に心が育ってないんじゃないかって、言われたんだ」
「……俺も、言われた」
「あ、そう言ってたね。
……人との関わりで心が育つなら、私は、十二歳で成長が止まったんだと思う」
父の屋敷の使用人とも、近衛騎士の同僚とも、一方的な関係ばかりで、仲良くなれた人はいなかった。
「そのせい、なんだろうけど。
私は、エッジさんが好きだけど、くっついてると嬉しいけど、……抱いてほしいとは、思わないんだ」
言葉にするのはやっぱり恥ずかしくて、顔を伏せてエッジさんの服をぎゅっと握る。
「夏に、抱いてもらったのが、すごく嬉しかったのは、本当だよ。
でも、また、抱いてほしいとは、思わない。
それは、私がコドモだからなのかな。
それとも、やっぱり私の『好き』は勘違いなのかな」
求め合うのが恋人の『好き』なら、私の『好き』は、違うのかもしれない。
「……夏の時にも言ったが、恋人同士だからといって、交わらなければならない、わけじゃねえ。
貴族なら、婚約者同士でも結婚までは純潔を保つのが普通だ。
結婚してからも、なんらかの理由で関係を持たない場合もあるらしい。
お互いが納得してるなら、しなくてもいいと、思う」
言い聞かせるような優しい声が、耳元で囁く。
「……俺も、侍従の教育が始まった八歳までと、養父に拾われてからの三年間しか心が成長してないなら、十一歳、おまえと同じぐらいコドモだ」
「……そっか」
同じぐらいと言われて、なんだか嬉しくなる。
「……あれ?」
ふいに閃いたことに、笑顔のまま固まった。
「……どうした?」
エッジさんのとまどうような声にも答えられない。
「あ、あは、あはははっ」
突然笑い出した私を見て、エッジさんが目を見開く。
「コディ」
「あはは、はは、あはははっ、はーーー」
最後に大きくため息をついて、エッジさんの肩に額をぐりぐり押しつけた。
「……どうした?」
「ごめんね、びっくりさせちゃって。
あのね」
話そうとするとまた笑いが込み上げてきて、くふっと笑う。
「あのね、私、自分の『好き』が世間の人の『好き』とどう違うのか、わからなかった。
恋人同士なら求め合うのが普通、っていうのも、わからなかった。
身体と心の距離っていうのも、わからなかった。
でも、私が十二歳のコドモなら、わからなくても仕方ない、むしろ当然だよね?
だって、大人の恋愛なんて、知らないんだもん」
エッジさんは目を見開いて、まじまじと私を見つめる。
「コドモなんだから、大人のやり方がわからなくて当然だった。
そんな簡単なことだったのに、いっぱい悩んで、馬鹿みたいって思ったら、なんだか笑えちゃったの」
「……………………そんな簡単なことにして、いいのか?」
呆れよりとまどいが多い問いかけに、強くうなずく。
「コドモなんだから、それぐらい簡単に考えていいと思うよ。
それで、誰かに迷惑かけるわけでもないし。
あ、アンさんとアトリーさんには迷惑かけちゃったかな。
でも、二人は大人だから、謝ったら許してくれると思う」
「…………」
悩む表情を見ていて、ふと思い出す。
「六歳ぐらいの頃かな、私、自分で摘んだ春の野草をサラダにしてもらったことあるんだ。
見た目は美味しそうだったのに、すごく苦くて、一口しか食べられなかった。
でも、母様は『美味しい』って言って、全部食べた。
『わたくしも小さい頃は苦手だったけど、大人になったらこの苦さが美味しいって思えるようになったの。コディも大人になったらわかるわよ』って言われた。
それから、父の屋敷に連れていかれるまで、毎年春になると摘んできて挑戦したけど、いつも一口でダメだった。
春にエッジさんと旅してる時にも、どこかの町で食べたけど、やっぱりダメだった。
大人には当然で、平気なことでも、コドモだから理解できないし、無理。
私にとって、恋愛とか、性的なことってそういうものなんだと思う。
ほんとは苦手なのに、大人の真似して平気なフリして食べたら、おなかが痛くなっちゃった感じかな」
「…………」
「エッジさんは、苦い野草を無理やりたくさん食べさせられたから、味には慣れたし上手に料理出来るけど、嫌いだから普段は見たくもない、って感じ?」
思いついたことをそのまま言ってみると、エッジさんは再びまじまじと私を見たが、ふいに手の平で目元を覆った。
くつくつと喉を鳴らすような笑い声が聞こえてきて、驚いた。
エッジさんが声を上げて笑うところを、初めて見た。
しばらく笑い続けていたエッジさんは、大きく息を吐いて、ようやく手をおろす。
穏やかなまなざしで私を見た。
「確かに、それぐらい単純に考えれば、悩んでたのが馬鹿らしくなるな」
笑いの余韻が残る声で言われて、私も笑う。
「でしょ?」
「ああ。
……無駄に悩んで、傷つけて、悪かった」
「ううん、私も同じだから、気にしないで」
ぎゅっと抱きつくと、柔らかく抱きしめてくれる。
「お互いコドモなら、一緒に成長していけるよね」
「そうだな」
「でも、大人になっても、苦手なままでも、いいと思うんだ。
母様やばあやは、苦い野草が美味しいって言ったけど、じいやは、大人になっても苦手だって、こっそり教えてくれたから。
苦手なものがあったって、それで誰かに迷惑かけないなら、いいと思う」
「……ああ」
☆☆☆☆☆☆☆
寝転がって抱き合ったまま喋っているうちに、部屋が暗くなってくる。
「そろそろ起きた方がいいかな」
「そうだな」
そう言いながらも離れたくなくて、ごろごろしていると、扉がゴンゴンゴンと叩かれた。
「夕食が出来たわよ。
そろそろ出てきなさい」
「はーい」
アンさんの声に返事を返して、仕方なく起き上がり、ベッドを出る。
エッジさんも起き上がって、私の肩にショールを掛けてくれた。
「ありがとう」
「ん」
お互い靴を履いて、服の皺を伸ばし、髪を整えて、扉に向かう。
部屋は薄暗いが、向こうからの灯りが扉の隙間から差し込んでいるから、無事たどりつけた。
「手伝わなくてごめんね」
「いいわよ。座って」
「ありがとう」
三人分だとテーブルにおさまらないから、木箱を並べて布を掛けた即席の食卓が作られていた。
椅子も小さめの木箱だ。
私とアンさんが雑談をしながらのんびりと食べる。
片付けは、エッジさんと二人でした。
その間にアンさんが淹れてくれた香草茶を持って、再び即席の食卓に座る。
「それで?
話し合いの決着はついたの?」
アンさんの問いかけに、エッジさんと視線をかわす。
「えっとね、結論としては、私達はコドモだから、一緒に成長しようねって、なった」
「……意味がわからないわ」
アンさんがそう言うのも当然だから、簡単に説明する。
「……というわけで、お互いコドモなんだから、のんびりいこうねって、ことになった。
アンさんにはいっぱい心配と迷惑かけてごめんね。
ありがとう」
「…………そう」
深くため息をついたアンさんは、香草茶を一口飲んで苦笑する。
「言われてみれば、そうね。
あなた達をコドモだと言いながら、大人の恋愛がわからないのはおかしいと考えた私が間違ってたわね」
「ううん、アンさんに色々指摘してもらって、いっぱい考えたおかげで、わかったんだから。
助かったよ」
「だったら、よかったわ。
じゃあ、これからもまた一緒に旅をするの?」
「うーん、一緒にいたいと思うけど、まだそこまでは決めてない。
あ、でも」
ふと思い出して、黙って聞いていたエッジさんを見る。
「エッジさん、魔法の使い過ぎで身体が限界だったって、アンさんに聞いたけど。
それはもう大丈夫なの?」
「……わからねえ。
王立研究所の魔法者の学者に聞いてみねえと、自分じゃあ判断つかねえんだ」
「そうなんだ。
じゃあ、とりあえずはその学者さんに会いにいかなきゃね。
それから、その後のこと、相談しよう」
「……ああ。
おまえも一緒に見てもらった方がいい。
短期間での【命令】の重ね掛けで、何か影響が出てねえか調べてもらえ」
「わかった」
「……学者に聞いてみて、生き返りはしたけど、身体がぼろぼろなのは変わりないって言われたら、どうするの?」
アンさんの静かな問いかけに、首をかしげる。
「どう、って、一緒にいるのは変わらないよ?
なるべくエッジさんが長生きしてくれる方法を考えるけど」
「……エッジも、同じ考えなの?」
問いかけに、エッジさんは目を伏せたが、すぐにアンさんをまっすぐ見て、うなずく。
「……ああ。
コディと出来る限り長く一緒にいられる方法を、考える」
じっとエッジさんを見つめ返したアンさんは、ふわりと笑った。
「そう。
それなら、いいわ」
もっと色々話したかったけど、まだ昼寝が必要なぐらいなんだから身体を休めろと二人ともに言われて、早めにベッドに入った。
今夜も、アンさんが一緒だ。
「もう少し詳しく話してちょうだい。
私が指摘したことに、エッジはなんて言ってたの?」
「えっとね……」
隣の部屋のエッジさんには聞こえないと思うが、なんとなく小声で順に話していく。
「『アンさんの【命令】で私の記憶を消してもらって』っていうの、言ってみたら、『間違いなく狂って、おまえ達に襲いかかるかもしれないから、それだけは勘弁してくれ』って、頭を下げて懇願された」
「……嫌がらせの為に提案したんだから、してやったりだけど、嫌な理由が『狂うから』って……。
しかもそれ、狂うのが嫌なんじゃなくて、狂ってあなたを傷つけるのが嫌ってことよね。
そこまで好きなくせに離れることを選ぶなんて、馬鹿よね……」
「そうだよね。
でも、私も似たような判断して、エッジさんから離れようとしたことあるから、お互い様かな。
それで、一緒に昼寝した後、アンさんを見習って『ぶっちゃけて話そう』って言ったんだ。
おかげで色々話してくれたよ」
野草のたとえ話には、アンさんも声を押さえながら肩を震わせて笑った。
「確かに、食べ物の好みと同様に、恋愛の仕方も個人差が出るものよね」
「そうだよね。
えーっと、これぐらいかな。
エッジさんのほんとの気持ちをたくさん教えてもらって、もっと好きになったし、もっと信じられるようになった。
さっきも言ったけど、アンさんが、ぶっちゃけて色々指摘してくれたおかげだよ。
ありがとう」
「どういたしまして」
ふふっと笑い合って、アンさんがからかうように言う。
「エッジと一緒に寝たかった?」
「…………うん。
エッジさん、私が一緒じゃないと深く眠れないみたいだし」
だが、さすがに家主のアンさんを追い出して、二人でベッドを使うのは失礼だろう。
「二回も昼寝したから、ちょっとはマシになったと思うけど」
「そうね。
でも、今のあなたよりはエッジの方が体力あるだろうから、自分のことをもっと気にしなさい」
「そうだね、ありがとう」
「いいわよ。さ、寝ましょ。
おやすみ」
「おやすみ……」
☆☆☆☆☆☆☆
それから十日ほど、アンさんの小屋で過ごした。
改めて話し合いをして、お互い我慢はなし、ぶっちゃけて話す、嫌なことは嫌と言う、と約束した。
二日目から、エッジさんと一緒に寝るようになった。
柔らかい草と毛皮でエッジさんが改造してくれたとはいえ、木箱のベッドは寝心地がいまいちだったが、それでも一緒だとよく眠れた。
最後の夜は、アンさんと一緒に寝て、小声でたくさん話をした。
また絶対会いに来ると約束した。
エッジさんと二人でのんびり旅をして、トールマン村の屋敷に着いた。
ばあやとじいやに迷惑をかけたことを詫びて、一泊する。
その後、王都に向かった。
王立研究所の魔法者のカーラ先生は、エッジさんが手紙を出すとすぐ返事が来て、面会に行くと大興奮だった。
「まあまあまあ!
エッジさん、あなた、あれだけぼろぼろだった魔法力の器が、新品みたいに綺麗になってるじゃありませんか!
しかも魔法力がたっぷり溜まってるなんて、一体どうやったらそうなるんです!?」
エッジさんが生き返った話をしたら、さらに興奮して、大変だった。
根掘り葉掘り聞かれて、二人してよくわからない検査をいくつもされたが、なぜエッジさんが生き返ったのか、魔法力の器が綺麗になったのかは、結局わからないとのことだった。
「かつてすべての人が魔法を使えた時代には、自分の魔法力を一時的に誰かに移すことが出来たそうですから、エッジさんが最大限の力を込めていた魔法力が、コディさんに溜まっていたのかもしれませんね」
それでも、エッジさんの身体は問題ないと言われたから、安心した。
私は、今は全く魔法力のない普通の人の状態だそうだ。
精神的なこども返りについては、魔法の影響かどうかは判断がつかないが、当人の私とそばにいるエッジさんが気にしていないなら、問題ないだろうと言われた。
それもそうかと納得した。
「これからどうしようか」
宿に戻って、いつも通りぴったり抱き合ってベッドに寝転びながら、話をする。
「おまえは、何がしたい?」
「うーん、まずは明後日アトリーさんのお休みの日にお詫びに行くのは確定だよね。
それからは、トールマン村の屋敷に戻って、しばらくはエッジさんと一緒にのんびりしたいな。
で、今後どうするか、相談しよう。
人と関わって成長するには、また旅に出た方がいいかな。
一年に一度ぐらいは、アンさんにもアトリーさんにも会いにいかなきゃね」
「そうだな」
話しながら、目元の隈がようやく消えたエッジさんの顔を見つめる。
話し合いをした日以来、エッジさんは表情も雰囲気も柔らかくなった。
戦う人の本能で他人を警戒する癖は抜けないらしいが、問答無用で拒絶する感じではなくなった。
それがすごく嬉しい。
「ねえ、エッジさん」
「なんだ?」
「キスしていい?」
「……ああ」
肘をついて身体を起こし、そっと伸びをして、触れるだけのキスをする。
また伸びてきた無精髭のちくりとした感触も、だいぶ慣れた。
「ふふっ、ありがとう」
満足して姿勢を戻そうとしたが、後頭部に手を添えられて止められた。
「俺からも、していいか?」
「うん。してほしい」
ゆっくりと顔が近づいてくるから、目を閉じる。
そっと触れた唇は、少し冷たいのに、あたたかく感じた。
「おまえが、好きだ。
これからも、ずっと一緒にいてくれ」
吐息がかかる距離で言われて、目を開けて笑ってうなずく。
「私も、エッジさんが好き。
ずっと一緒にいようね」
「ああ」
互いに同じことを願うなら、きっとかなうだろう。
もう一度キスをして、ぎゅっと抱きしめ合った。
~終~
これにて完結です。
お読みいただきありがとうございました。
この作品は、十五年以上前に書いたものを手直ししましたが、最終章のサザンクロスだけはほぼ書きおろしです。
当時の伏線、というほどでもないですがあれこれちりばめたネタを回収したくて、かなりもだもだが長くなってしまいましたが、書ききって満足です。
ブックマーク、☆評価、いいね、感想、いただけると嬉しいです。
最後にもう一度。ありがとうございました。




