サザンクロス~願いをかなえて~ 7
☆コディ視点☆
昼食をアンさんが持ってきてくれて、二人で食べた。
「今日も昼寝する?」
「……ううん。エッジさんと、話がしたい」
まっすぐ見つめて言うと、アンさんは優しい表情でうなずいた。
「わかったわ。ちょっと待ってて」
「うん」
アンさんが昼食のトレイを持って出ていくと、少しだけ開いている扉から、何か言い争うような声が聞こえてくる。
緊張しながら待っていると、アンさんがエッジさんの背中をぐいぐいと押しながら部屋に入ってきた。
「いい加減覚悟決めなさいよ」
「…………」
エッジさんは扉の前で立ち止まり、一瞬だけ私を見て、すぐ目をそらす。
思わずまじまじと顔を見てしまった。
伸びていた髪が全体的に短くなっていて、髭もないから、気まずそうな表情がよくわかる。
「……髭……どうしたの……?」
「私が剃れって言ったのよ。
髪も髭も整えてあるならかっこいいけど、伸ばしっぱなしでもっさりしてるのは鬱陶しいから。
ついでに武器も手放させたわ。
家の中で話し合いをするのに、武器はいらないでしょ」
なぜか勝ち誇ったように言いながら、アンさんが部屋に入ってくる。
顔にばかり視線がいってしまって気づかなかったが、確かにエッジさんの腰には剣がなかった。
私の屋敷に滞在していた時でさえ、寝る時以外はいつも帯剣していたのに、よく手放すことに同意したものだ。
アンさんの勝ち誇ったような表情の意味がわかった。
アンさんは香草茶が入ったコップ二つを載せたトレイを椅子の上に置くと、私ににこりと笑いかける。
「手伝いが必要になったら、いつでも呼んでね」
「……うん。ありがとう」
なんとか笑顔を返すと、アンさんはぽんぽんと私の背中を叩いて、扉をきっちり閉めて出ていった。
「…………」
扉の前にいるエッジさんは、目をそらせたまま黙っている。
改めてその顔を見て、眉をひそめた。
「エッジさん……痩せた……?」
髭がないからかもしれないが、頬から顎にかけての線が鋭くなったように感じる。
ゆったりしたシャツとズボンを着ているからわかりにくいが、身体の線も、少し細くなったように見えた。
元々贅肉なんてほとんどない引き締まった身体なのに、なぜだろう。
理由を探してまじまじと見つめていて、目の下の隈に気づく。
まるで長い間眠れていないような、濃い隈が出来ている。
「……もしかして、私と離れてから、ゆっくり眠れてないの?」
エッジさんの肩がぴくりと揺れた。
私といるとよく眠れる、と何度も言われた。
あまりにもつらい出来事が多くて夢に見てしまうのと、他人を警戒しているせいで、深く眠ることが出来ずにいたが、私と出会って一緒にいるようになってからは、穏やかに眠れるようになったと。
だったら、今は眠れていないのかもしれない。
それを、嬉しいと思ってしまうのは、なぜだろう。
「ねえ、エッジさん」
「…………」
エッジさんは答えない。
聞きたいことはたくさんあるが、答えてくれそうにないから、言いたいことを先に言うことにした。
「私、エッジさんのこと、わかったつもりでいたけど、全然わかってなかったんだなって、今回のことで気づいたよ」
エッジさんはわずかに顔を上げたが、やはり私を見ようとはしない。
「記憶を消された後、エッジさんのことは思い出せないのに、好きっていう気持ちははっきり残ってて、なのに誰を好きだったかわからなくて、苦しくてつらくて。
眠るたびに夢を見て、泣きながら目を覚ますのに、おぼえてなくて。
せつなくて、哀しくて、気が狂いそうだった。
昔のことを話してくれた時、『狂えた方が楽だったろうな』って言ってたよね。
ああ、こういう気持ちだったんだなって、思った」
「っ」
息を呑んだエッジさんは顔を上げて、ようやく私を見た。
呆然としたまなざしを、まっすぐ見返す。
「それから、狼に襲われた後、ここで目覚めた時。
まだエッジさんのことを思い出せてなかったから、知らない男に、知らない間に……犯されたんだと、思った」
「!」
愕然とした表情を見つめながら、なるべく静かな口調で言う。
「すごく怖くて、気持ち悪くて、苦しくて、泣きたくて、嫌だった。
最初の頃に、『俺がしたことはおまえを穢すことだ』『知識でしか知らないから、嫌なことだと理解できないだけだ』って、言われたよね。
エッジさんが相手ならそんなことないって思ってたけど、……知らない人が相手なら、確かに、嫌なことだったって、わかった」
「……ぁ……」
エッジさんは何か言おうとして、だけど言葉にならず、唇を噛みしめる。
「その後、エッジさんが死んでるって気づいた時。
ものすごく哀しくて、苦しくて、現実だと思いたくない、受け入れたくないって、思った。
エッジさんがお養父さまを目の前で喪った時の絶望が、やっとわかった」
「……っ」
エッジさんは何かをこらえるように、うつむいたまま小さく首を横に振る。
「もちろん、私が感じたことなんて、エッジさんの百分の一にもならないだろうけど、それでも、こんなにつらかったんだなって、思い知った。
今まで、わかったつもりでいて、ごめんね」
エッジさんの心の奥底の闇が少しでも薄まればいいと、薄められる手伝いが出来ているなら嬉しいと、思っていた。
だが、そんなに簡単に薄まるものでも癒せるものでもないと、思い知った。
記憶を消されたことを許せるかどうかは別として、勘違いをしていたことはきちんと謝りたかった。
「…………違う、俺は」
絞り出すような声は、苦悩に満ちていた。
「俺は、おまえを傷つけたくなくて、俺と同じような思いをさせたくなくて、だから、……なのに……っ」
エッジさんはその場にがくりと両膝を付き、床に手をついてうなだれる。
「すまなかった……!」
血を吐くような苦しそうな声を、不思議に思う。
私は自分の勘違いを詫びただけだったのに、エッジさんには、責めているように聞こえてしまったのだろうか。
うなだれたままの灰色の髪を、じっと見つめる。
「どうして、私の記憶を消そうと考えたの?」
「…………それが一番いいと、思ったからだ」
「どうしてそれが一番いいと思ったの?
私にとっては、一番つらい方法だったよ」
「……すまねえ……」
いつでも冷静で、私よりも深く物事を考えて最善の方法を選んでいると思っていたエッジさんでも、間違えることがあるのか。
アンさんの『エッジはあなたが思うほど大人じゃない』という言葉を思い出す。
アンさんの言う通りなのかもしれない。
うなだれていたエッジさんが、ゆっくりを顔を上げた。
「……謝って済むことじゃねえのは、わかってる。
どんな方法でもいいから、償わせてくれ。
苦しんで死ねと言うなら剣で全身を切り刻むし、狼に食われろと言うならそうする。
おまえの気が済むように罰してくれ」
覚悟を決めた表情で言われて、むっとする。
エッジさんが死んだと思って哀しかったと伝えたのに、なぜ私がエッジさんの死を望むと思うのだろう。
ふとアンさんが提案してくれたことを思い出す。
「……どんな罰でも、いいの?」
「ああ」
「じゃあ、アンさんの【命令】で、私に関する記憶を消してもらってほしい」
目を見開いたエッジさんは、呆然と私を見た。
「……それ、は……」
「どんな罰でもいいんだよね?」
すがるようなまなざしが、泣きそうに歪む。
「……頼む、それだけは、勘弁してくれ」
「どんな罰でもいいって、言ったよね?」
「……っ」
エッジさんは震える唇で何か言おうとして、だが言葉にならず、そのまま額を床に打ちつける勢いで頭を下げた。
「頼む、どんな罰でもいい、どんなことでもする、だから、それだけは、それだけは、勘弁してくれ……!」
「私の記憶は消したのに、自分の記憶を消されるのは嫌なの?
どうして?」
純粋に疑問に思って問うと、エッジさんは上げかけた頭を再び床に押しつける。
「頼む、頼む、頼む……」
それしか言わなくなったエッジさんは、まるでいたずらを叱られたこどものようだった。
『大人で、強くて、優しい人』。
私は、今までエッジさんの何を見ていたのだろう。
込み上げた感情は、失望ではなく愛しさだった。
「エッジさん」
「頼む、頼む、頼む……」
同じ言葉を繰り返すだけのエッジさんには、私の声は届いていないようだ。
そこまで嫌なら逃げ出せばいいのに、留まったままなのは、償いたいという気持ち自体は本当だからなのだろうか。
ベッドから降りて裸足で床を歩き、エッジさんの前で膝立ちになる。
「エッジさん。顔上げて」
「…………」
ゆっくりと身体を起こしたエッジさんは、絶望に染まったまなざしで私を見上げる。
そっと手を伸ばして、頭を胸に抱えるように抱きしめた。
腕の中の身体が、びくりと強張る。
「強い人だと誤解してて、ごめんね。
優しい人だと思い込んでて、ごめんね。
泣かせてあげられなくて、ごめんね」
私はいつも守ってもらって、優しくしてもらって、泣かせてもらったのに。
守ってもらうばかりのことを不満に思いながら、自分が返すことを思いつけなかった。
エッジさんに優しくすることも、泣かせてあげることも、してなかった。
「つらかったら、哀しかったら、泣いていいんだよ」
母様が私にそうしてくれたように、淡い灰色の髪をそっと撫でる。
水浴びしたせいか少し湿っていたが、思ったより柔らかかった。
私はエッジさんに何度も頭を撫でてもらったのに、私が撫でてあげるのは初めてだ。
大人の男の人にそんなことをするのは失礼な気がしていたが、逆だった。
大人の男の人だからこそ、撫でてあげればよかった。
「我慢して、胸の奥に溜めこまないで。
泣いて、いいんだよ」
「……っ」
何度も囁きながら髪を撫でると、エッジさんの身体が震えた。
胸元に吐息がかかり、しっとりと濡れていくのを感じる。
かすかな嗚咽を聞きながら、黙って髪を撫で続けた。
☆☆☆☆☆☆☆
どれぐらいそうしていたのか、ふいに小さなくしゃみが出た。
びくりとエッジさんの肩が揺れる。
密着していたから、振動が伝わってしまったのだろう。
「あ、ごめ」
言いかけたところで、もう一度くしゃみが出た。
今度はぎりぎり両手で口元を覆えたが、体勢が崩れて床にぺたりと座りこむ。
板張りの床は、直に触れると結構冷たい。
「まだ本調子じゃないんだろう。
身体を冷やすな。ベッドに入れ」
「……うん」
心配そうな声で言われて、迷った末に小さくうなずく。
確かに、少し身体が冷えているし、頭がぼんやりする。
もし熱がぶり返したら、また心配と迷惑をかけてしまう。
立ち上がろうとしたが、膝が少し痛んでぐらついた。
「あ」
倒れ込む前にエッジさんに支えられ、横抱きにされてベッドに運ばれる。
そっと座らされて、横の椅子に置きっぱなしだったコップを差し出された。
「飲んでおけ」
「ありがとう。
エッジさんも飲んで。
泣くと、喉乾くから」
「……ああ」
気まずそうに目をそらしながらも、エッジさんはもう一つのコップを掴んで一気に飲んだ。
冷えてしまった香草茶を何度かに分けてゆっくりと飲むと、手を差し出されたから、コップを渡す。
「寝ろ」
「うん……」
うなずきながらも動かずにいると、さっと抱き上げられて、ベッドに寝かされた。
すぐに離れていこうとするのを、シャツの裾を掴んで止める。
「行かないで」
エッジさんは動きを止めたが、困ったような表情で私を見る。
「まだ話したいことがあるから、行かないで」
「……後で聞くから、今は寝ろ」
「いやだ。もう置いていかないで」
「……すまねえ」
小さな声で言ったエッジさんは、ベッドの横の床に座る。
「ここに、いるから」
なだめるように言われたが、信用できない。
「そこじゃいやだ。ここに来て、腕枕して」
横をぽんぽんと叩いてじっと見つめると、エッジさんは再び困ったような表情になったが、根負けしたようにうなずいた。
「わーった」
靴を脱いでベッドに上がったエッジさんは、少し間を空けて私を向いて横たわり、毛布を私の身体に掛け直す。
枕に沿うように伸ばされた右腕に身体を寄せて、頭を乗せる。
これなら、眠ってしまっても離れていく前に気づけるだろう。
ようやく安心して、感触の違いに気づく。
「やっぱり、痩せた?」
筋肉質の腕だが、少し細くなったように感じる。
「…………そうかもな」
曖昧な言葉で濁したエッジさんをじっと見つめる。
目が少し赤くなっているし、目元の隈もそのままだが、表情は穏やかだ。
泣いたことで、少しは気が晴れたのだろうか。
「……何だ?」
「なんでもない」
「……そうか」
エッジさんは私の肩に左手を伸ばして、空中でその手を止める。
おそらくいつものように撫でようとして、ためらってしまったのだろう。
ゆっくりとおろそうとした手に向かって、指先を伸ばす。
「手握ってもいい?」
「……ああ」
差し出された手は、私より一回り大きいが、両手でなら包み込める。
この手の強さを、器用さを、優しさを、知っている。
だが、弱さや、不器用さや、ずるさには、気づかなかった。
アンさんは、エッジさんが私を『都合のいい女にしようとしてるように感じる』と言っていたが、私も、エッジさんをそうしようとしていたのかもしれない。
だから、自分に都合の悪い面に気づかなかった、いや見ようとしないようにしていたのかもしれない。
「ごめん、ね……」
間延びした声で言うと、エッジさんは眉をひそめて私を見る。
「眠いなら、寝ろ。
……今度は、置いてかねえから」
「…………うん」
もう回復したつもりだったが、まだ昼寝が必要なぐらい弱っているようだ。
眠気に負けそうになりながらも、エッジさんの手を握りしめると、ごく軽くだが握り返してくれた。
それに安堵して、眠りに落ちた。




