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サザンクロス~願いをかなえて~ 5

☆コディ視点☆


 翌朝、起きるとベッドには私一人だった。

 隣の部屋から、かすかに音がする。

 毛布をめくって身体を起こすと、少し肌寒く感じた。

 長袖のワンピースの上に大判のショールを羽織って、室内靴代わりの木靴を履いて扉に向かう。

 おそるおそる隣の部屋をのぞくと、アンさんが台所で朝食を作っていた。

 振り向いて私に気づいて、にこりと笑う。

「あらおはよう。

 もうすぐ朝食出来るから、ベッドで待ってて」

「おはよう。

 何か手伝えることある?」

「もうすぐ出来るからいいわよ。

 病み上がりなんだから、おとなしくしてらっしゃい」

 まるで母親のように言われて、くすりと笑う。

「はーい。

 あ、トイレ行ってくるね」

「ええ、寒いからすぐ戻ってくるのよ」

「うん」

 ショールを落とさないよう胸の前で端を結び、外へ出る扉を開ける。

 空気は冷えていて、吐いた息が白く見える。

 早足で小屋の裏にあるトイレに向かい、用を済ませた。

 戻り際にふと見ると、花壇の脇に植えられた低い木に白い星形の花が咲いていた。

「これ、サザンクロスだったかな。

 まだ咲いてるんだ」

 花の時期は春から秋にかけてだったはずだが、遅咲きの品種だろうか。

 かわいらしい花を眺めていると、小さなくしゃみが出た。

 あわてて小屋に戻ると、アンさんがトレイに二人分の食事を並べていた。

「お帰りなさい。 

 先に手を洗ってね」

「わかった。

 私、もう大丈夫だから、ここで食べるよ」

 台所で手を洗いながら言うと、アンさんはしばらく考える顔をしてからうなずく。

「じゃあ、ちょっとテーブル狭いけど、ここで食べましょうか」

「うん」

 一人用のテーブルの上のものを全ておろして、なんとか皿を並べた。

 アンさんは椅子に、私は木箱の上にクッションを置いて、向かい合って座る。

 今日も干肉入り野菜スープと小さなパンで、スープにはチーズが入っていた。

 食前の祈りをして、アンさんと雑談をしながら、時間をかけてゆっくりと食べる。

「片付けはやらせて。

 少しは動かないと、身体が鈍っちゃうから」

「じゃあお願いね」

「うん」

 片付けている私の横で、アンさんは香草茶の用意をする。

「さ、あっちで話しましょ」

「……うん」

 出来ればこのままベッドから離れたかったが、まだ許してもらえないらしい。

 苦笑しながらも、その気遣いが嬉しくて、一緒に部屋を移動する。

 部屋の隅に置かれた炭ストーブのおかげで、室内はほんのりと暖かい。

 私はショールを羽織ったままベッドに入ってベッドヘッドに枕を背もたれにして座り、アンさんは枕元の椅子に座る。

 二人の間に置いたトレイから、香草茶の入った木のコップをそれぞれ手に取った。


「さて、今日話したいのはね、あなた達のことよ」

 ()、と言われてドキリとする。

「あの……アンさん」

「何かしら」

「……あの、……エッジさん、は、……もう、出ていったの……?」

 朝食を食べながら部屋を見回してみたら、隅にエッジさんのリュックがあった。

 だが、私は熱を出して倒れて以降、エッジさんの姿を見ていない。

「出ていってはいないわよ。

 でも、この小屋に『いる』とも言いがたいわね」

「……どういうこと?」

 微妙な表現に首をかしげると、アンさんは苦笑いを浮かべる。

「あなたが寝込んでる間はほぼ付きっきりで看病をしてたけど、目覚めそうになったら、合わす顔がないというか、どんな顔で会えばいいかわからないって感じでオロオロしてたの。

 結局昼間は外に狩りに出て、夜に戻ってきてこっそり部屋に入ってベッドの横に座ってあなたを見てたわよ」

「え……。

 看病してくれたの、ほんとにエッジさんだったんだ……。

 母様やばあやもいた気がしたから、夢かと思ってた……」

「まあ、うなされてたもの、仕方ないわね」

「うん……。

 あれ、でも、『狩り』って、今の時期に……?

 もしかして、私がお世話になったせいで、食料足りなくなった?」

 毎年冬越しの為に秋の間にたっぷりと食料を蓄えると、前回来た時に聞いていた。

「食料はまだ大丈夫よ。

 エッジが狩りに行ったのは、灰色狼よ」

「え」

「あなたを襲った狼を許せなかったんでしょうね。

 見つけたのは全部殺したって、今日の早朝に顔を合わせた時に言ってたわ。

 森の生態系が崩れるから全滅させるのは止めてって言って、やりすぎないよう約束させたけど、守ってくれたかは微妙なところね」

 呆れたように言われて、言葉に詰まる。

「私の、為に……?」

 いくらエッジさんでも、あちこち移動している狼を広大な森を回って探すのは、大変だったはずだ。

「……今は、どこに……?」

 お礼を言いたいし、他にも言いたいことも聞きたいこともたくさんある。

 会いたいが、会うのが少し怖くもある。

 おそるおそる聞くと、アンさんはくすりと笑う。

「返り血やら泥やらで汚れて臭かったから、追い出したわ。

 『川で髪と身体を洗って着替えて、身綺麗になるまでは中に入れないから』って宣言しておいたから、まだ川岸じゃない?」

「え、でも、もう冬なのに」

 北国に比べれば真冬でも暖かい地域だが、さすがに川で水浴びは寒いだろう。

「それぐらいで風邪引くほどヤワじゃないわよ。

 それより、昨日のあなた達の話を聞いて私が思ったこと、言っていいかしら」

「あ、うん」

 強引に話を戻されて、とまどいながらもうなずく。

「ありがとう」


 香草茶を一口飲んだアンさんは、静かな口調で言う。

「あのね、そもそもあなた達、人との距離の取り方に慣れてないんだと思うの」

「人との、距離……?」

「ええ。

 あなたの場合、こどもの頃は植物に夢中で、近所のこども達と遊んだこともほとんどなくて、十二歳からは父親の屋敷に軟禁されて教育されて、十八歳で騎士になっても味方は誰もいなくて、ずっと気を張って生きてきた、って言ってたわよね」

「……うん」

「対人関係というか、人との距離の取り方ってね、数をこなさなきゃおぼえられないの。

 いろんな人と接することで、こういう態度の人とはこういう付き合い方をすればいいんだって、適切な距離を学んでいくのよ。

 特に恋愛方面は、最初は何もかも手探りだから不安で、試行錯誤しながら回数をこなすうちに、慣れていくものなの」

「回数をこなす……」

 前に誰かに同じようなことを言われた気がする。

 しばらく考えて、それがヒカゲマジワリソウの時の青年だと思い出した。

「そうよ。

 でもあなたは、エッジが初恋で、しかも気持ちを自覚する前から一緒に旅をしてたでしょ?

 恋ってね、相手と少しずつ心と身体の距離を近づけていくのが、楽しさでもあり難しさでもあるの。

 会えないと寂しくて、会えたら嬉しくて、もっと一緒にいたくなって、どうやったら近づけるのか、一緒にいられるか、必死に考えて。

 身体の距離を近づけていくことで、心の距離も縮まっていくの。

 だけど、あなた達はその段階を飛ばしてしまった。

 しかもあなた達は、恋心を自覚する前に身体の関係が出来ちゃったでしょ。

 あなたの命を救う為とはいえ、順番がめちゃくちゃになっちゃったから、心と身体の距離が合わなくなってしまった。

 あなたが、最初の頃に、自分の気持ちがわからなくなって泣いてしまうことがよくあったっていうのは、そのせいだと思うわ」

「…………そっか……」

 アンさんに指摘された内容は、すとんと心に落ちた。

 確かに私達は、順番がめちゃくちゃだった。

 旅をしている間はずっと二人きりで過ごしていたようなものだから、身体の距離は最初からないに等しい。

 そのうえ、まず身体の関係があって、それから気持ちを寄せていって、好きだと自覚して、告白した。

 だから、身体の距離に追いつけない心がとまどって、おかしくなってしまったのか。

「それと、人との距離感だけじゃなくて、情緒とか心の機微とかも、年齢の割に育ってないと思うわ。

 あなたにとって他人への感情って、好き、嫌い、どうでもいい、ぐらいでしょ?」

「……うん」

「それぐらい単純な方が楽だけど、人付き合いってそう単純にはいかないものなの。

 好きな相手と距離を取った対応をしなきゃいけないこともあるし、嫌いな相手と親しくしなきゃいけないこともある。

 特に貴族は、表面上は仲良くして裏で蹴落とし合うっていうのが多いから、父親の屋敷の使用人とか近衛騎士の同僚と仲良くなれなかったのは、あなたがそういうのが苦手だったせいもあるんじゃないかしら」

「……そう、かも……。

 私、そういう、顔は笑ってるけどおなかの中で嫌ってるみたいな対応、苦手で、下級貴族出身の使用人とも、名門貴族の同期や先輩とも、うまくいかなかった……」

 指導役の先輩が私を陥れようとしたのは、私が嫌いだったかららしいが、貴族にとっては当然のそういう対応が出来なかったせいもあるのかもしれない。

「好きも嫌いも、幅があって、色々あるの。

 家族、友達、知り合い、恋人、仕事仲間、客、見知らぬ他人、全部少しずつ違うものよ。

 どう違うか、説明出来る?」

「…………出来ない」

 情けない気分で答えると、アンさんは優しく微笑む。 

「じゃあ、わかりやすいところから考えてみましょうか。

 エッジへの『好き』と、家族への『好き』がどう違ったか、わかる?」

「違い……」

「一緒にいて安心できる、そばにいたい、触れ合いたい、話をしたい、顔を見たい。

 恋人にも家族にも感じることだけど、違いはどこにあると思う?」

 言われるままに考えるが、確かに全てエッジさんにも母様にも当てはまるのに、どう違うのかわからない。

「…………わからない。

 どう違うの?」

 降参して答えを求めると、アンさんはどこかからかうような笑みを浮かべる。

「女同士だし二人きりだし、ぶっちゃけて言うわよ」 

「? うん。何?」

「違いは、抱かれたいかどうかだと、私は思ってるわ」

「っ」

 直接的な言葉に、かあっと顔が熱くなるのを感じる。

「より正確に言うと、触れられて平気か嫌か、かしら。

 同じ相手でも、付き合い始めの頃は、手を握られると嬉しかったのに、仲が拗れてきて心が離れていくと、手を握られたら鳥肌が立って、振り払ってしまったこともあるわ。

 好意を持ってない相手に触れられても、嫌なだけでしょ?」

「……うん」

 ヒカゲマジワリソウの青年のことを思い出して、背筋がぞわりとする。

「でも、好きな人に同じことをされると、嬉しくなる。

 まあこのへんは、好きな人だから嬉しいのか、嬉しくなるような人だから好きになるのか、境界線は曖昧なんだけど。

 抱かれると、その人のことを世界で一番近くに感じられるでしょ。

 その感覚が嬉しくて、それを求めたくなるのが、恋愛の意味での『好き』なんだと思うわ」

「それは……なんとなくわかる……」

 夏の終わりにエッジさんに抱かれた時に、そんな風に感じた。

「でもね、あなた達は最初に身体の関係になって、『一番近い人』だと身体が認識しちゃったところから気持ちが始まってるから、心が混乱しちゃったんだと思う。

 普段は抱きしめるとか触れるだけのキスとかで満足だったって言うのも、心が許容できる距離がそれぐらいだったからじゃない?」 

「……そう、かもしれない……」

 抱かれた時は嬉しかったが、何度も抱かれたいとは思わなかった。

 エッジさんからも求められなかったから、それでいいと思っていた。

 だがそれは、お互いに距離感をはかりかねていたのかもしれない。

 私はエッジさんが好きだと思っていて、エッジさんも私を好きだと言ってくれて、すごく幸せなはずなのに、時々擦れ違ってしまったのは、そのせいかもしれない。


「でもね、それはあなただけが悪いんじゃないわ」

 アンさんは、こどもに言い聞かせるように優しい声で言う。

「エッジも、あなたと同様に、大人になるまでに人との距離や複雑な感情を学んでなかったみたいだから、初めて好きになったあなたに執着してしまったんだと思うわ。

 それとたぶん、自分をかばって死んだという養父のことを、あなたに重ねてたんだと思う」

「お養父(とう)さまと……?」

「ええ。

 養父は助けられなかったけど、あなたは助けられた。

 だから失いたくない、死なせたくないと思って、過保護になっていったんだと思うわ。

 過保護っていうより、過干渉ね。

 いくら治安が良くないところだとしても、『絶対に一人で出歩くな』なんて、束縛しすぎよ」

「それは……私が弱くて、うかつに離れちゃったりしたから……」

 私がエッジさんから離れなければ、その後の騒動は起きずに済んだことが、何度もあった。

「エッジよりは弱いかもしれないけど、近衛騎士になれた程度には強いんでしょ?

 何もわからない幼児じゃないんだから、恋人だとしてもそこまで行動を束縛する権利はないわ。

 どこに行くのでも一緒だなんて、一人での自由がないじゃない」

 そういえば、アンさんは【ひとり】を求め、楽しめる人だった。

 だから気に障ったのだろう。

「……でも、私も、それでかまわないと思ってたから……」

「それは、エッジにそういう風に言いくるめられたからじゃないの?」

「…………」

 違う、と言おうとしたが、言えなかった。

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